日本人道会は我が国における動物愛護運動の先駆けとなった団体です。
鍋島侯爵を会長として、動物虐待防止会(動物愛護会に続いて大正4年に設立されました。
主力メンバーの多くが新渡戸万里子(メアリー・パターソン・エルキントン・新渡戸稲造夫人)やアメリカ領事館附武官バーネット大佐夫人などといった在日外国人で占められており、我が国に欧米式の動物愛護精神を広める上で大きな役割を果たしています。
活動内容は少年少女・女学校生徒・野犬駆除にあたる警察官への動物愛護教育、ボーイスカウトやミッションスクールとの交流、荷役牛馬用飲料水槽の増設、警視庁への野犬安楽死処分用炭酸ガスチャンバー寄付、廃棄ペットの救護所設置など、多岐に亘ります。

 

犬に關する仕事としては、野犬や廃犬を一定の収容所に収容することをやつてゐます。只今四ケ所に収容所があり、鎌倉に一ヶ所ポチクラブの収容所がありますが、廃犬等の収容は震災當時から始めました。
しかし、どんな犬も引受けるといふことは色々の關係で出來ないものですから、引つ越しにはぐれた犬とか迷ひ犬といつた様な種類のものを収容し、毎年犬と猫で七百頭位来ますが、この中半分が犬で、七十頭位は飼主を見つけることが出來ました。
何しろ収容費がかゝるのでもつとやりたいとは思ひますが、思ふ程には参りません。
どうにも仕様のない犬は、苦しめず眠らせますが、これはガス、時にはピストルを用ひます。犬についてやりたいことは澤山ありますが、それは後から申しませう。

 

金子人道會理事「動物愛護家と犬を語る(昭和10年)」より 

 

日本人道会の功績は、今でも横浜の街角に残されています。
 

牛馬飲水槽

現在、横浜の馬車道駅近くに保存されている牛馬飲水槽解説文より引用。

 

この牛馬飲水槽は大正六年 当時横浜の陸上交通の主力であった牛馬のために神奈川県動物愛護協会の前身である日本人道会と横浜荷馬車協会が現在の横浜磯子 区八幡橋際に設けたものです。
このほか中区の生糸検査所、西区高島町駅前、久保山のガードそばに設置し牛馬の途中休憩所としました。
また荷馬車協会には三千頭の牛馬がいて、夏ともなればしゃれた麦わら帽子をつけ気どった足どりで荷物の運送をしました。

昭和四十五年十月
横浜史料保存会

 

「馬車道」といえばロマンチックな響きに聞こえますが、当時は炎天下で鞭うたれる苛酷な扱いを受ける牛馬が多かったらしく、日本人道会ではこのような水槽の増設運動を推進していました。
この水槽で、多数の牛馬が仕事の合間に喉を潤していたのでしょう。

牛馬飲水槽レプリカ
牛馬水槽といえば表通りに設置されたコチラの方が有名ですが、実はレプリカです。

しかし万里子会長の死去、そしてバーネット夫人の帰国によって活力を削がれた人道会は、後の戦時体制下で次第に衰退していきます。
戦後も細ぼそと活動していた様ですが、南極越冬観測隊に置き去りにされた樺太犬達の記念碑建立に残る資金を投じ、消滅しました。