日本犬保存会メンバーとして、エン・ベー・カー犬舎を営んでいたブリーダー。島根県のご出身だそうで、戦前から島根産柴犬(石州犬)の蕃殖に力を注いでいます。

昭和9年前後の記録は下記の通り。

 

中村鶴吉氏のエンベーカーケンネルは日本犬を警察犬として活用さすべく今回砂町警察署へ數頭寄附して目下熱心に訓練中。なほ氏の犬舎では純血島根産の仔が續々生れてゐる

 

愛犬エン・ベー・カー・ユワ號も、エン・ベー・カー・ユリ號も、日本犬保存會展覧會で推奨されたので大得意。その上ユワ號とマキ號の直系子が十二月八日に生れて一層有掛に入つてゐる

 

縄文時代に日本列島へ現れた小型猟犬は、弥生時代や古墳時代に大陸から渡来してきた犬と交雑しつつ「しば犬(芝犬)」「兎犬(兎猟の犬)」として北海道や沖縄を除く全国各地へ定着します。

しかし洋犬が渡来した明治以降、しば犬たちは交雑化によって消滅。山間部に残存するのみとなりました。

※「柴犬の名称は昭和期に登場した」という説は誤りで、明治26年の文献に「秩父の芝犬」「信州のしば犬」が記載されています。

 

それら小型在来犬を救うため、文部省は「柴犬」として天然記念物指定。日本犬保存会も大中小サイズ別のスタンダード化で繁殖に取り組みます。

日本犬保存会と対立する日本犬協会も、日本柴犬倶樂部との提携によって関西地方での柴犬復活を進めました。

 

柴犬復活の過程において重要な役割を果たしたのが島根産の石州犬です。

昭和になっても纏まった数の石州犬が残存していたことで、中村鶴吉氏は島根県から関東への石州犬移入と繁殖に注力。石州犬をベースとして、「戦前における柴犬復興」と「戦時体制下で大打撃を受けた柴犬の復活」はなし遂げられました。

 

つまり石州犬は「戦後の柴犬」のルーツであり、「昭和以前のしば犬」とは区別して語るべきです。

中村氏による多大な功績は、あくまで日本犬保存会視点における柴犬復興の分野。「柴犬消滅期」以前の柴犬論とは区別しましょう(中世、近世、近代を走り幅跳びし、古代の縄文犬と現代の柴犬を直結している乱暴な解説が散見されます)。

 

エン・ベー・カー犬舎の犬は、わざわざ故郷の島根から連れてきていたんですね。

 

日本犬界の一権威であるエン・ペー・カー犬舎は既に衆知の如く、最新日本犬向きの犬舎にして、そのサンルーム、運動場、消毒室等々の殆んど理想的に完備してゐる。

同犬舎に於て氏は早くより日本犬特に石州犬(石見犬)に着目し、苦心研究の結果今日の名聲高き石州犬數十餘頭の作出に成功されたのである。

此の石州犬は現在にては、原産同地方に重水血統の優秀犬殆ど跡を絶ち、氏のエン・ペー・カー犬舎に於て漸くその命脈を保ちつゝあるとは云はるゝ有様なれば、石州犬と云へばエン・ペー・カー!エン・ペー・カーと云へば石州犬!を思はしむるに至れり。

氏は石州奥地の出身にして、この十年來多忙なる醫業の寸暇をさきて屢々石州山岳地帶に踏入り、親類、知人、友人等多數の協力を得て探査して得たる最も優秀なる純粋血統のものを氏の犬舎に収容、研究作出せるものなり。

同犬舎より出たる名犬は一昨年のユワ號(日本犬保存會推奬犬)、昨年の栃號(同上犬)等にして、本年は遂に日本犬の代表的「弓」號を發表せり。

尚同犬舎には石州犬の代表犬が十數頭あり、氏の熱心なる研究は今後益々日本犬の名犬作出に非常なる威力であらうと日本犬フアンから期待をかけられてゐる。

 

『中村鶴吉氏又々日本犬の名犬を發表す(昭和10年)』より

 

犬

昭和9年の広告より