【戦中(昭和12年~20年)】
長く暗い戦争の時代。
中国大陸での軍事衝突が日中戦争へと発展すると、日本陸海軍の軍用犬班は続々と出征。
日本犬界も戦時体制へ組込まれていきます。
この状況下でも日本犬界は発展を続け、多種多様な犬種が販売・飼育されていました。
また、昭和13年には米国盲導犬オルティが初来日。翌年、盲導犬4頭がドイツから輸入され、日本の盲導犬史もスタートを切ります。直轄警察犬制度が広まったのもこの時代ですね。
全ての物資が軍需優先となる中、商工省は駆除野犬の毛皮を皮革統制対象としました。これは範囲を拡大し、昭和19年の軍需省・厚生省認可による飼犬供出運動へと繋がっていきます。
戦況の悪化と共にペットを飼育する余裕もなくなり、昭和18年を最後に愛玩犬の広告も消えました。
空襲によって日本が焦土と化す中で、日本畜犬界も壊滅したのです。

犬の戦中史について。

帝國ノ犬達-保険


1937年(昭和12年)

日本水産がヒノマル印ドッグフード開発。

歩兵学校トップクラスのハンドラーである三重野信大尉、盧溝橋の戦いで軍犬を支給されず。

青島在留邦人退避命令により、青島産シェパードが壊滅状態に。

大山事件を経て第2次上海事変勃発。上海市街戦に日本陸海軍及び中国軍が軍用犬を投入、日中双方の軍犬多数が戦死。

上海郊外で潰走する中国軍を追い、日本軍が南京へ侵攻。南京へ一番乗りした軍犬ハッピー号は直後に急死。南京陥落により中国軍は南京交輜学校軍用犬訓練所を放棄、鹵獲した中国軍用犬は日本軍が使用。

戦線の拡大で新人軍犬兵を長期教育する余裕が無くなり、軍用犬班のレベルが急低下。

KVが軍用犬宣傳行進歌(後の軍用犬行進曲)と軍用犬ポスター図案を一般募集。選考は和田三造画伯と菊池寛、編曲は陸軍戸山学校。

入江KV会長が僅か1年で辞任、坂本副会長がKVの運営の為奔走。創立満5周年展覧会開催。
KVが民間功労犬への第1回表彰式。シトーを始め12頭に授与。

上海デニー・チェン氏のケンネルが廃業状態に。残余3頭もチェン氏不在により健康状態悪化。JSVの中村芳太郎氏が支援を申し出るも、直後の上海事変勃発により頓挫。

軍犬報国運動活発化。各地で軍用犬献納、街頭募金など開催。

RDHが警邏犬新規定と伝令犬訓練新規定を発表。

北里研究所のシュートンサック秀雄氏がジステンパー病原問題を検討。

「アイヌ犬」の呼称は民族差別助長との請願を受けて「北海道犬」に改称、天然記念物に指定。北海道犬保存会発足。

アイルランドの動物愛護団体が取り扱った動物は4980頭。うち610頭を安楽死処分。

平岩米吉氏、犬科生態研究所設立。平岩宅にハイエナのへー坊がやってきます。

日保が社団化しました。

警視庁が警察犬運用を再開。ベル公の主人朝倉巡査が初代警察犬係に。

日本犬と武士道精神を結びつける論調が顕著に。

英国にて、愛犬保険が大盛況。フランス陸軍のリヨン第14連隊に対し、伝令犬訓練所再設置命令。

イタリア陸軍の中央軍用犬育成所は将校4名、軍属15名、軍犬兵170名で稼働中。

需要急増により満洲で偽造キツネ毛皮(犬の毛皮)の価格が暴騰。キツネ毛皮と騙されて犬の毛皮を着ていた御婦人方も大勢いました。 

北海道犬と四国犬が天然記念物指定。東京府畜犬商組合発足。

本郷の計算犬ジョン登場。

カナダのレス・ホール氏愛犬ブルエイ、28回目の誕生日。イギリスで飼育されていたアイリッシュ・テリアも28歳に。全米でのAKC展覧会に出陳された犬は78000頭。アメリカ農業省動物産業局、家畜(牛・馬・羊・豚・山羊・犬・猫)の輸入資格者を米国籍所有者のみに変更。

カナダ警察が、14州の騎馬警察隊に120頭の警察犬配備計画。犬種はシェパード、ロットワイラー、シュナウザー。アメリカへ職員を派遣し、ナッシュビルの犬舎で訓練法を研修中(同時に60頭を購買予定)。

群馬の敬神犬「マル」登場。

山岳遭難した西郷吉之助侯爵の令弟隆明氏、捜索隊の連れていた北海道犬ポチに救助されます。

来日したヘレン・ケラー女史に秋田犬「神風」が贈られました。

山形県中津川部落にてニホンオオカミ射殺の報道。調べたら、会津からの旅行者が連れていた日本犬を誤射したものと判明。

ドイツで狩猟中の誤射により事故死した犬の総数、7万頭に。 

日本に輸入されたシェパード、ドイツ産牡12頭、ドイツ産牝9等、カナダ産1頭、中国産1頭。以降、大幅に減少。

佐治正次郎著「犬病寶典」、伊藤藤一著「改訂シェパード」、犬の研究社編「新愛犬家読本」、今田荘一著「エアデール・テリアの再検討」出版。         

1938年(昭和13年)
国家総動員法公布により配給制度開始。

この頃、在日ポーランド大使館が日本犬2頭、カナダ大使館がエアデール1頭、ドイツ大使館がシェパード1頭、ソ連大使館がワイアヘアードテリアとセッター各1頭購入。

食肉の供給不足に目をつけた長野県の宮原長作ら、犬猫の肉を混ぜた獣肉を密売。東京・神奈川の業者もグルになって犬猫混入肉を一流ホテルに納入開始。

米国盲導犬オルティ号とゴールドン氏来日。帝国ホテルその他が盲導犬の宿泊を許可。ゴールドン氏、東京第一陸軍病院で盲導犬講演。相馬黒光さん宅にも招かれます。7月19日、三木軍医中将が陸軍・福祉団体・畜犬団体関係者を招聘、日本初の盲導犬輸入計画開始。

文部省、優良日本犬章制定。珍島犬を天然記念物に指定。

日保に対し、ドイツSVが日本犬に関する資料送付を要請。

ドイツ畜犬連盟(RDH)と合併したドイツ小動物繁殖連盟(RDKL)が会員名簿を発行。

オーストリア畜犬統制団体OKVがドイツRDHに統合された為、オーストリア犬籍簿の取扱いが問題に。

ドイツSVとドイツ羊繁殖者連盟牧羊者専門部が使役協会結成。アムステルダムの動物愛護団体、犬の断耳根絶運動開始。

AKCの前半期登録畜犬数41075頭。

香口鎮戦にて、敵に包囲された瀧澤部隊へ向けて放たれた伝令犬ビービー、アルド、トッパーが次々と戦死。

平岩米吉氏宅のへー坊、犬舎の針金を食べて死亡。

フランスの山岳ガイドが飼っていたダックスフントのモーリス、雪崩に巻き込まれたスキーヤーを発見救出。ラトビアの畜犬団体「リガ狩猟者協会」が世界畜犬連盟(FCL)に加盟。リトアニアの加盟も承認。
ポーランド、ブルガリア、アルゼンチンの加入申請は保留中。チリは英国ケンネルクラブの保護団体資格により承認。ポルトガル愛犬協会展覧会に大統領夫妻が参加。カナディアン・ケンネル創立50周年記念祭。アメリカの畜犬記者協会(Dog Writers Association)について日本でも紹介。

オーストラリアで反シェパード犬運動拡大中。ディンゴと野生化したシェパードによる家畜被害多発がその理由。

ドッグワールド・オブ・オーストラリア誌では、シェパードの出場を拒否する品評会が多いとの事。
第52回Cruft展にて、ジョージ6世が愛犬のラブラドル・レトリヴァーを出陳。

同展の延べ出陳頭数は9109頭、うちエアデール86頭、シェパード225頭、コッカー755頭、レトリバー634頭。

ブラジル、アルゼンチンの英独系移民によるシェパード輸入増加中。ペルーでも1925年以降輸入したシェパードが2000頭を突破。シドニー警察記念祭にて、オーストラリア警察犬(ドイツ牧羊犬種)による電話器操作訓練披露中。

ロンドン警視庁がレトリバーに加えて米国産ブラッドハウンドの親子4頭を購入、オッターハウンドとの交配もテスト。イギリス内務省が捜索犬を採用。内務省Gメンの選んだ犬種はラブラドル・レトリヴァー。BBCがウォッシュウォーター内務省警察犬訓練所を取材。

イギリスに入国しようとした米国盲導犬が狂犬病検疫の為足止め。イギリス大衆は盲導犬入国を、英国の獣医と畜犬団体は入国阻止を主張。

ロンドンとサセックスでイギリス盲導犬協会(The Guide Dogs for the Blind Association)を支援する展覧会開催。英国アニマル・デー(動物愛護の日・6月8日)にて救われた動物の総数が数千頭に。
英国の住宅街で配達されたミルクの盗難が続発。犯人は野良シェパードと判明するも、どうやって牛乳瓶の蓋を開けたかは謎。

英国王室動物虐待防止協会(RSPCA)が動物虐待行為の証拠写真展を開催。それらの加害者達から犬の飼育資格を剥奪。イギリスで愛犬家女性が孤独死、餌を貰えなくなった愛犬91頭中85頭が餓死しているのをRSPCAのクック夫人が発見。

英国婦人愛犬家協会(LKA)展覧会開催、出陳総数4542頭。英国の大規模畜犬展覧会場でジステンパー予防液(TCPジステンパー予防法)を無料サービス中。

赤羽のKV訓練所、陸軍用地転換の為移転。一旦は久米川に仮養成所を設けたあと武蔵境に新訓練所建設。 

新設された帝国軍用犬協会軍用犬訓練所で番犬ノーラ飼育中。

悪質なブリーダーや畜犬商対策の為、KVが初心者向け軍用犬斡旋事務規程を制定。廣島で第6回KV展覧会開催。葛飾区下千葉町で、葛飾署栗崎巡査と警察犬強一号が鶏23羽を盗んで逃亡中の野口某を発見、逮捕。

福島の菊池さん、愛犬フリーダをブラッシングしていたら突如感電。試しに社員達も電気犬に触ったら同じく感電(強い静電気が原因だろうという結論に)。

JFAK(台北放送)が傳令犬ファルコ号の活躍を描いたラジオ劇「物言はぬ戦士」を放送。ファルコ役として軍用犬ナチ号、エルフェイ役としてルイゼ号が出演。

多摩川河川敷(京王線附近)で第13回KV全国優勝犬競技会開催。

時局を鑑み競技内容は伝令任務に特化、優勝犬はエルビン・V・フィールランドKZ12597★(北陸支部)

KVが登録犬部類別変更。軍犬候補合格犬と訓練資格を持つ犬のみが資格犬組審査対象に。KV犬影会発足(写真クラブ)。

警視庁警察犬クラール号、三軒茶屋の小児科へ侵入した賊を逮捕。3日後、江古田錦花学院を脱走した少年2名がタクシーを乗り逃げするも、世田谷署警察犬係の朝倉巡査とクラールが追跡して逮捕。

朝倉巡査の愛犬ベル公が老衰死。享年13、犯人検挙数8回。

小樽市住ノ江町古峰ヶ原神社にて、軍用動物慰霊祭開催。

蘇州で木村幸太郎伍長に拾われた野良シェパード(元中国軍犬?)のハチ公、日本軍犬として再訓練中。黄河南部にて、匪賊に拉致された地元住民5名の救出作戦の際、東一等兵と軍犬テル号が匪賊の副頭目を捕虜に。消耗し切った伝令犬エリックの代わりに伝令へ向かった田村一等兵、狙撃されて死亡。

台湾出身の軍用犬太郎号、触発地雷に触れ爆死。ドーベルマンの軍用犬奉天号、井戸に落ちて死亡。

福島県警平署刑事係の齊藤藤三氏、警察犬運用の研究半ばで郡山署へ転任。東北地方の警察犬配備が再度停滞。

ミシガン州に畜犬個体表示局(Michigan Dog Identification Burrau)設立。

山梨県で甲斐犬の「クロ」が誕生(昭和41年、28歳で安楽死処分)。第11師団伝令犬の英智、フィラリア症で死亡。

戦死した軍犬オヴィーネ号の遺骨が大阪に戻されます。オヴィーネとヨチの葬儀を大阪市東淀川区の中津第二小学校で開催。

名古屋藤原部隊下士官集会所にて、戦死した所属犬7頭の慰霊祭開催。

函館・森町間の国道50㎞を軍犬橇で雪中踏破。使用したのはシェパード3頭、ドーベルマン1頭。

非常時道産軍用犬展覧会開催。出陳犬53頭中、エアデールとドーベルマンの参加は僅か6頭。

ソ連での革命21周年記念行事に、赤軍銀輪部隊所属のエアデールテリアが登場。張鼓峰事件で日本軍がソ連軍用犬部隊と遭遇。レニングラードの畜犬展覧会にシェパード200頭が参加。

理想的完全畜犬栄養及ラジウム並放射能含有飼料「アイデアルミール」、3グラム1円で販売中。

関東軍、軍犬訓練教範作成。軍犬用防弾チョッキ登場。

ドッグフード研究及び犬の餌糧問題討論会で農水省が畜犬駆除案主張。

関東軍軍犬育成所廃止論立ち消えに。関東軍が地雷探知犬研究に着手、対軍用犬臭気撹乱剤開発は失敗します。 

小泉軍医中将、JSVにドイツ側との盲導犬輸入交渉を依頼。藤村高元曹長の軍用犬学校 事情により譲渡。大阪朝日新聞岡山支局主催の軍用犬撮影会開催。

警視庁板橋署の警察犬クラールが強盗傷害事件で初出動。

第14師団軍鳩犬班が栃木県で水中電話線敷設訓練。練馬の中央大学運動場にて警察犬嗅覚試験開催。

中国戦線にて、竹下部隊所属の軍犬「城」と長谷川部隊所属の「郎」母子が偶然再会。3日後、城号管理係の福留生吉上等兵が実弟の福留大吉一等兵に偶然再会。

満鉄警戒犬の成績、現行犯逮捕160件、犯罪未遂逮捕117件、警察援助79件、不審者逮捕298件、不正通行者検挙963件、列車妨害未然防止94件。しかし、この90年史全部読む人いるのかね?太宰治が甲府へ転居。夥しい数の野良犬に遭遇。

小樽の消防犬ブン、23歳で老衰死。火災現場への出動1000回以上。

レニングラードでの畜犬大会に200頭のシェパードが出場。英国ケンネルクラブ、婦人部会員の理事就任案を否決。チベットの寺院がセントバーナードを飼い始めます。

オランダ・ベルギー動物生体解剖反対同盟のA.N.van praag博士が逝去。

何家宅~劉家村間で23日に亘って伝令を行ったエアデールテリアのゴール号、狙撃され戦死。

東亜トーキーニュース製作の映画「無言の戦士」上映。中野電信隊の軍用鳩、歩兵学校の軍用犬が出演。

野呂横行の「軍用犬」連載を纏めた「ドーベルマン」、白木正光著「犬の訓練読本」、宮川文雄著「最新犬の研究」出版。          
 
1939年(昭和14年) 
ドイツ軍がポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が勃発。

米国巡洋艦アストリア、ワシントンで死去した斎藤駐米大使の遺骨を護送。ターナー艦長は日本で狆の太郎と櫻を購入。在日米国大使館がシェパード1頭を購入。

満洲国軍甘珠部隊が土佐犬を1頭を購入。

ノモンハン事件発生、伝令任務中の軍犬迅号と狼が格闘。

皮革統制対象に犬・鹿・ノロの皮を追加。毛皮と肉目的の犬泥棒頻発。JSVが出征会員の会費を免除、軍人、警官、傷痍軍人、失明者、牧羊業者は会費半額。

日本士道犬養成会(闘犬団体)が6月25日に近衛野戦砲兵連隊にて将士慰安闘技犬大会開催。

ポツダムから盲導犬カロル(ボド)、リタ、アルマ(アスタ)、リチルト(ルティ)が来日。盲導犬カロルの購入者、浅田JSV理事急逝。

リタとボドは相馬安雄・蟻川定俊氏による再訓練の後、8月より東京第一陸軍病院へ献納され、桝田宇三郎准尉、平田宗行軍曹の誘導開始。

讀賣新聞が東京盲学校澤田教諭の盲導犬バッシング記事を掲載。

山縣軍医少佐が「戦盲勇士の誘導犬記(点字)」の翻訳発表を許可。舛田・平田両名は誘導犬記上で讀賣新聞の批判記事に反論。

KV内部で盲導犬推進派と無用派が対立。軍事保護院開設に伴い、小石川失明軍人寮と失明軍人教育所を設置。東京で民間盲導犬ルチルドを訓練中、との話(真偽不明)。

戦況激化により、10月頃からドイツRDHとJSV間の連絡が途絶。

ヘレン・ケラーの愛犬神風号が死亡した為、兄弟犬の剣山号がアメリカへ贈られます。 シーイング・アイから送り出された盲導犬は延べ325頭、1頭の価格150ドル。カナディアン・パシフィック、盲導犬の乗船運賃を無料化。

陸軍歩兵学校が軍犬用雪中迷彩服を開発。

日本犬の評価を巡り、著書をけなされた吉村某と宮本某が大ゲンカ。瀧川、苫小牧及び群馬神津牧場でコリーとケルピーを使用中。

秩父にて、シェパードのドリー号が溺れている少女を救助。満鉄警戒犬ショウト号、一酸化炭素中毒で倒れた女性を救助。JSV北海道支部のマリー号、新川に飛び込んで入水自殺遺体を発見。

全日本猟友倶楽部発足。

秋田にて、横城愛犬協会闘技大会開催。関東軍軍用犬育成所がソ連軍用犬部隊への対抗策について愛犬雑誌に寄稿。日本犬とチャウチャウの交配が流行、狩猟関係者が批判。

埼玉県にて、狩猟中に急死した主人坂本さんの遺体を三日間守り続けた猟犬エス、捜索隊が発見。

遼陽に忠犬慰霊塔建立。軍が満洲の小学校に動物愛護啓発パンフレットを無料配布。犬の寄生虫駆除剤として、副作用のあるナフタリンやチモールに代わってオキシウリン登場。

岡田嘉子・杉本良吉が樺太の国境線を越えてソ連に亡命。岡田さん宅の愛子ちゃん(エアデールテリア)が存命中だったかは不明。

KV第7回展覧会を戸山学校で開催、出陳数24頭。KVの坂本副会長退任。新会長は予備役の香月清司中将、副会長は橋本庄太郎獣医少将。

KV審査員規程と三犬種標準発表。上井草野球場で14年度軍用犬競技会開催。前年と違って警備任務主体で出陳数は26頭。KV各地方支部の統制強化。年末に陸軍省馬政課、歩兵学校とKVが軍犬候補合格犬証明書附与規定改正について相談。

岩手シェパード犬協会(ISA)発足。JSV規格シエパード犬毛色図鑑頒布発売中。 

日本犬保護の為、米穀配給方請願。小樽軍用犬倶楽部、ドッグフード4箱を陸軍に献納。ニホンオオカミの頭骨レプリカ、外国から逆輸入。

リバプールにて、犬の映画を犬に見せて反応を調べる実験開催。「シェパードは幾らか反応するも、コリーは映画に無関心」との結果に。

英独で白色シェパードが忌み嫌われている事について、スイスのホワイトシェパ繁殖家バーミッシュ嬢が「滑稽千万(ドイツ語で)」と批判。

イギリス王室動物虐待防止協会(RSPCA)、イギリスで発生した動物虐待は36627件、虐待行為で警告を受けた者19114名、虐待された動物288519頭が無料治療を受けるも190621頭は安楽死処分と公表。

福岡にて、手提金庫を盗んだ男が逃走。偶然居合わせた散歩中のシェパードが追跡して制圧。

陸軍登戸研究所設立。関東軍、軍犬忠魂碑建立。

光女峰山での遭難者捜索に、在郷軍用犬シトー、カロー、アヤックス、戦地から帰国した軍犬球磨が参加(遭難者は遺体で発見)。

磯貝春雄著「日本犬の活きた訓練」、藤村高・下村憲一・竹内安吾・高久兵四郎共著「犬の訓練法」、松本有義著「シェパード犬の蕃殖法」、犬の研究社編「テリア犬の知識」出版。碓氷元著「軍用犬訓練の實際」出版。太宰治が「畜犬談」発表。憲兵隊に睨まれ、田川水泡がのらくろ連載中断。


1940年 (昭和15年)

陸軍衛生材料廠の機能を分離し、陸軍獣医資材廠新設。

東京畜産連盟による家畜週間行事、浅草観音堂にて家畜慰霊祭開催。

関西にて、大味氏が紀州犬「勝利」を盲導犬として使用中。

陸軍歩兵学校、土佐犬ムツ号、柴犬シナ、アソ、カサギ号(いずれも雑種)を使った雑犬軍用化研究。結果は良好。

三井物産経由によるタイ国文部大臣ソングラム氏の要望により、日本犬保存会が日本犬4頭をタイに寄贈。食糧切符制により、畜犬の餌料確保が問題に。

ソウル猟友会が平壌にて猟野競技会開催。

満洲国税関からの依頼で、税関犬育成所中久主任とJSVが京都にて税関監視犬35頭(1頭130円)購買。

MKからもKVとJSVに対し国産種牡牝犬の購買依頼。

酷寒期の雪中戦に備え、北鎮師団石田部隊獣医部が樺太犬の実戦テストを決定。北海道の樺太犬飼育者に対し、軍用犬カードを発行予定。

仙台郵便局が、積雪期の郵便配達誘導用に郵便犬採用を決定。愛犬専用のホノリン石鹸発売中。1個30銭也。馬の軍事供出により、瀬戸市登録の荷車犬が399頭、営農犬が466頭に増加。

愛知県では、殺処分された野犬が毛皮及び食用肉として流通(節米運動の一環で、野外魚獣肉として犬肉市販を公然許可)。

ドイツ軍機甲部隊がマジノ線を迂回突破、スランスへ侵攻。マジノ要塞に配備されていたフランス軍用犬は役に立たず。満洲国実業部奉天獣医養成所が中央農事訓練所奉天分所へ改称。

本間一夫氏が点字図書を集めた日本盲人図書館開設(盲導犬の入館可能)。鈴木彪平氏、独力で盲導犬アルフの訓練開始。

JSVが誘導犬部を発足、戦盲軍人誘導犬運動開始を宣言。JSVで、雪崩被災者捜索犬訓練の提案。

戦況激化により警視庁警察犬制度廃止(他県警では継続)。

KV犬種登録規程改正。警戒繁殖血統書廃止、早期繁殖及び極近親繁殖血統書新設等など。2600年度展覧会開催、出陳数178頭。

旧家で代々保管されていたニホンオオカミの頭骨発見。青森県警察犬協会発足。

パリで愛玩犬の染毛が流行。アメリカ司法省が刑務所警備犬を購入。

ソ連空挺部隊が軍犬もパラシュート降下させているとの報道。6大都市で食糧切符配給制開始、全国へと拡大。

陸軍、農林省、糧抹本廠関係者による「軍用犬の飼料問題に就て其の対策を検討する座談会」開催。席上で農林省畜産課より皮革増産用の駄犬撲滅が提案されます。毛皮は軍用に、肉は養鶏飼料にする予定との事。戦線拡大により、KVが軍犬候補合格犬証明書附与規定改正。大阪にて15年度KV競技大会開催。

栗林忠道が大佐昇進につき馬政課長へ着任、対ソ戦に備えた軍用犬配備拡大に関する提言を発表。

関東軍軍犬教程公開。坂本健吉少将(前KV副会長)、肺炎で死去。

斎藤弘(弘吉)、日本犬研究資料編纂に着手。青森県警察本部、警察犬協会設立(会長には太田署長が就任)。 

平田軍曹と盲導犬リタ、富山に帰郷。有坂騎兵大尉、東京シェパード犬研究所の喜多見訓練所閉鎖。
第10回日保本部展開催。

イギリスが運搬犬禁止を命令してから100周年。

年間に警察が駆除した野犬総数約50万頭に。うち警視庁が処分した25000頭は、皮革製品化(三味線用)及び肥料化処理。警視庁狂犬病予防デーの廃犬買上数、1810頭。

警視庁と人道会、中野駅隣で野犬マーケット開催。新しい飼い主に貰われた約150頭が殺処分を免れます。徳島県で、犬の鳴き声を巡っての乱闘騒ぎ。

東本願寺がエアデールテリアのフレッシュブラザー号を陸軍に献納。鳥取県警の高木巡査部長と警察犬、米泥棒を現行犯逮捕。新潟県で忠犬タマ公銅像設立募金開始。

KVとJSVの合併交渉完全決裂。満洲軍用犬学校設立、国境警備警察犬訓練開始。

JSVにて、犬の単性生殖(クローン)についての可能性が論じられました。ドイツからの畜犬輸入がほぼ途絶します。国崎部隊の伝令犬アルフ号と美恵号、狙撃されて相次いで戦死。
オーストラリアでのジャーマン・シェパード及びディンゴの排斥運動、更に拡大。紀元二千六百年奉祝全日本盲人大会開催。後に名犬ラッシーを演じるラフコリー「パル」誕生。

東宝映画「エノケンのワンワン大将」に阿部幸也氏愛犬ボドー・ジャクソー出演。ボドーが撮影中に高熱で倒れ、俳優一同で看病。

「軍犬資源國犬之真価」、「世界犬種大観」、「探偵犬ダンの冒険」、「名犬ラッシー 家路」出版。文化映画「軍犬物語」公開。

1941年(昭和16年)
ソ連軍が対戦車自爆犬(地雷犬)を使用したニュースが、日本でも報道されます。ヒトラーがブロンディの飼育開始。コンラート・ローレンツがドイツ軍医としてポーランドへ。

陸軍省が東京第1陸軍病院盲導犬事業の民間委託を計画。これに反発したJSVが事業協力拒否を表明。

ドイツRDHより日保宛に日本犬資料出陳依頼。日本軍地雷探知犬の存在が公表されます。
日本犬協会が盲導犬訓練計画を開始、日本犬の献納を呼びかけ。

警視庁衛生課獣医係内田警部らが犬猫肉密売ルートの内偵開始。

一流ホテル・有名料理店に対し、昭和13年から犬猫をハム・ソーセージに加工販売していた宮原長作・木藤文太郎一味ら80名を逮捕。

軍用犬シトー死亡。シトーを偲ぶ会の席上にて、荒木貞夫元陸相が某代議士の主張する犬猫毛皮供出論に不快感表明。愛犬家・愛護団体・軍用犬関係者も毛皮供出論に猛反発。

陸軍省兵務局馬政課発第214号にて、KVとJSV会員宛に軍用犬の体毛収集依頼(こちらは抜け毛の収集)が出されます。

体力不足の軍犬が多い事から、後楽園で第1回軍用犬鍛練競走大会開催。各地で陸軍による種牡犬購買会開催、KV登録犬にのみ陸軍種犬の交配許可。

KV創立10周年記念展を代々木で開催、全国から軍用犬二百数十頭が参加。 日本のニュース映画でアメリカのドッグショウ紹介、チワワも登場。ドリトル先生、少年倶楽部に登場。秋田犬保存会、第7回鑑賞会開催。日本グレートデン協会、第1回鑑賞会開催延期。

歩兵第236連隊第1大隊第8中隊の成岡正久曹長、白砂舗の住民に請われ豹退治。親には逃げられるも2頭の幼豹を捕獲し、うち1頭に第8中隊の名を取ってハチ公と命名。第8中隊のマスコット兼歩哨ヒョウ(?)となったハチ公、同部隊の軍用犬に勝負を挑まれ、これを一撃で殺害。

神奈川県の有志、軍犬レリーフをヒトラー総統へ寄贈。上野動物園で空襲時の脱走猛獣捕獲訓練。笹塚の雌犬、子猫達を育ててニュースに。

国産盲導犬アルフ病死。

陸軍が盲導犬事業をJSVに丸投げ計画。激怒したJSVは盲導犬事業から撤退。戦地から帰国した軍犬2頭、阪大にて心臓外科手術によるフィラリア蟲体除去(麻酔中に1頭死亡)。

三井物産厚食研、固形軍犬口糧を完成。お値段は1箱8円10銭也。ドイツ降下猟兵、クレタ島攻略戦でドーベルマンを降下させたとか何とか。

日本に於ける盲導犬の先駆者、中根KV理事急逝。新橋の国際ケンネルにトリミング場設置。

東京青年使役犬研究会発足。

16~17年にかけて国産陸軍盲導犬千歳、利根、フロード、エルザー誕生。民間盲導犬アルフ病死。 

関東軍軍犬育成所を満洲第501部隊に改称し、施設を西八里庄へ移転。関東軍獣防疫廠を満洲第100部隊に改称。編成は第1部(家畜防疫研究)、第2部(細菌生産)、第3部(資材・営繕)。

関東軍野戦第11軍馬防疫廠(満洲第2630部隊)臨時編成。満洲各地での家畜伝染病防疫、輸入軍馬検疫に着手。警視庁狂犬病予防デーの廃犬買上数、2711頭。

歩兵学校が「軍犬ノ参考」編纂。

         

1942年(昭和17年) 
獣医師等徴用令制定。陸軍獣医資材本廠が、時局用に狂犬病予防液20000グラムを調達。

大東京畜犬商組合と大日本畜犬商組合が万国畜犬大展覧会開催。某宮家が日本テリア購入。
九条家と徳川家が日本犬購入。陸軍省馬政課の小林公雄少佐、KVとの合同をJSVに打診。
KV姫路支部が地元で活動中の盲導犬エルダー号を視察。

フォート・ペンダン駅で還らぬ主人を6年間待ち続けた牧羊犬シェブ、列車に轢かれて死亡。

アニ・ガイガ=ゴグ著「犬と子供と兵隊」、H・バイコフ著{北満の樹海と生物」、「講談社の絵本 軍馬ト軍犬 」出版。

1943年(昭和18年)         
日本軍、ガダルカナルから撤退。米海兵隊が軍用犬訓練スクール設立。

上野・京都動物園に続き、名古屋動物園でもディンゴの飼育開始。映画「名犬ラッシー 家路」公開。

焼夷弾の初期消火訓練が活発化。防空演習に在郷軍用犬が参加。東京都長官の判断により、上野動物園で動物の殺処分が行われました。全国各地の動物園でも動物の処分は広がります。

KVが愛犬の日制定を発案。KV防長支部が、軍用犬飼料配給停止の撤回を訴え。

北海道で日本犬を用いた盲導犬訓練中。空襲で罹災したドッグフード工場、生産再開。

大阪で日本スピッツ協会発足。

MK、中国語の軍用犬訓練教本発行。朝鮮総督府が犬毛皮資源利用及び珍島犬保護状況調査。
関西で地雷探知犬研究演習開催。

地雷探知犬バアーラ号、京漢線揚家塞附近で線路内に埋設された擲弾筒弾を発見。警戒犬アックス号、湖北省蒲折県にて鉄道破壊工作隊を迎撃。満洲501部隊、満蒙犬2頭をテスト。 

JSV展覧会休止。日本犬保存会活動停滞。犬の研究休刊。

アッツ島玉砕。キスカ島守備隊撤退作戦の際、軍用犬が置き去りに。何故かキスカの狐だけは連れ帰って8月から上野動物園で飼育中。

ライトハウスが失明軍人会館へ改称、戦盲軍人と共に盲導犬も入館。 

逗子の軍犬ジュリー像、金属供出により撤去。食糧難などで多数の犬種が姿を消して行きます。

秋田県警大館署、警察犬阿利号配備。日本陸軍の軍犬総数7762頭。

陸軍獣医学校編纂「陸軍獣医部将校必携」出版。

1944年 (昭和19年)      
グアム侵攻作戦で米海兵隊が軍用犬チームを投入。全国で軍用犬非常体勢整備強化。

撃墜された同僚救出の為、敵中着陸したルーデルをソ連軍用犬が追跡。渋谷ハチ公像、金属供出により撤去。

軍用犬表彰、甲功章は斥候犬ウィンゴルフと歩哨犬ピーロ、乙功章は地雷探知犬テル、警戒犬興亜、フジ、エルザー。

長山厚氏、犬の研究社からKV編集部へ移籍。陸軍歩兵学校が軍犬手募集中。月給は未経験者80円(女性は60円)。

帝国軍用犬協会内に国土防衛用の「国防犬隊」発足。KVが戦時犬用飼料として蛙、蛇、野草の調理法を発表。KV会報が大幅減ページ、活動休止へ。 

農商務省とKVの交渉により、軍犬口糧の価格は4円6銭に。

軍需省および厚生省、年明けから3ヶ月間の畜犬毛皮供出活動を認可。軍用犬、警察犬、天然記念物指定日本犬、登録済猟犬以外の犬が対象。

東京で狂犬病が流行、9月までに被害者714名、死者13名。当局は犬の移動禁止を発令。 

蟻川定俊著「獨逸シェパード犬概論」出版。


帝國ノ犬達-dog

1945年(昭和20年)

本土決戦に備え、国防犬隊編成。

厚生省・軍需省指導による犬猫毛皮献納運動本格化。年明けから3月にかけ、警察の監督下で多数の飼犬が殺処分されます。

4月、陸軍省が軍犬、軍馬、牛の体毛(理毛・剔毛・脱毛)回収利用を陸軍各部隊に通牒。回収した体毛は陸軍製絨廠四日市製造所で製品化。 

土佐闘犬の登録数が20頭程度に激減、絶滅の危機に。

盲導犬ボド、大阪大空襲の後、栄養失調で死亡。 

ヒトラー、愛犬ブロンディを薬殺したのちベルリンの地下壕で拳銃自殺。

満洲第501部隊を満洲第13990部隊へ改称。砂川愛犬倶楽部、帯広愛犬倶楽部発足。

硫黄島攻防戦に米海兵隊が軍用犬を投入。読谷・嘉手納飛行場を強襲した義烈空挺隊員が対軍用犬撹乱剤を携行。

「南極探検犬橇隊 二人のアイヌの話」、「化学戦と軍用動物」出版。