帝國ノ犬達-帝國ノ犬達


ここは、明治から昭和の敗戦に至る近代日本犬界史のブログです。

タイトルは「日本の帝国主義に利用された犬」

……とかいう仰々しいモノでは勿論なく、「大日本帝国の時代(±20年)に暮らしていた犬達」の意味。要するに、その辺にいたペットや野良犬の話です。

歴史批評と犬の日本史を混同しないためには、名もなき普通の犬への視点がとても大事です。それを怠ると、何とかのひとつ覚えみたいに忠犬ハチ公の話しかできなくなりますからね。

 

我が国には「犬の歴史解説」を謳う書籍やサイトがたくさんあり、邦訳された外国の犬の歴史が詳しく述べられています。

しかし自国の話になった途端、みな黙り込んでしまうのは何故でしょう?普通は逆ですよね?

この洋犬種はいつごろ来日し、以降はどのように歩んでいったのか。飼育・訓練・医療に関する知識や用具はいつ輸入され、どうやって発展普及を遂げたのか。洋犬が勢力を拡大する中、在来の日本犬はどうやって生き残ったのか。

誰も彼も忠犬ハチ公の話ばかり繰り返し、あげく「日本のペット文化は戦後にアメリカから持ち込まれた」とウソを広めるのは何故なのか。

 

犬たちの足跡すら辿れない理由はただひとつ。

現代の日本人が、自国の犬界史を忘れてしまったからです。

幕末の開国によってスタートした近代日本犬界は、敗色濃厚となった戦争末期に崩壊。都合がよいことに、戦時中にやらかしたアレコレの証拠は雲散霧消してしまいました。

戦時体制下で犬を迫害した日本国民は、敗戦のドサクサに紛れて「カワイソウな被害者」へ華麗に変身。すべての責任を軍部へ押し付けるには、戦前犬界の存在を否定するしかなかったのです。

辛い15年間の戦争と暗い10年間の戦後復興期で打ちのめされた日本に、太平洋戦争で途絶えていた欧米のペット文化が再流入。

その明るさに眩惑された戦後犬界は、自ら記憶喪失へと陥りました。

 

戦後世代のライターが戦前の犬界史を調べようとしたとき、基礎知識となるテキストすら存在していなかったのでしょう。

そこで発案されたのが、日本犬界はアメリカの支援でスタートしたという「進駐軍理論」です。

これはとても使い勝手が良いフォーマットでした。記憶の空白を利用して「戦前の日本人に犬の知識はなかった」「ペット文化は戦後にアメリカから持ち込まれた」という魔法の呪文で誤魔化せば、いちいち過去を調べ直す手間もかかりません。加えて、それを読まされた側も「なんだ、戦前の記録は調べなくていいのか」と思考停止してしまうので、ウソがバレる心配もないのです。

こうして、犬の歴史解説者が記憶喪失を再生産する悪循環へ突入。「忠犬ハチ公以外の犬は語るに値しない」という傲慢きわまりない思考を広めた犯人は、戦前の愛犬家自身でした。

 

困ったのは次世代以降の愛犬家たち。戦前の犬について知りたいと思っても、「すべて忘れた」などと先人から指導を拒否されるのです。会社で例えれば事業継承大失敗ですよ。

それを嘆いても仕方ないので、個人に出来る範囲で調べ直してみました。上の世代のツケを支払わされるのが、ワレワレ就職氷河期世代の運命なのですから。

断わっておきますが、私の目的は「正しい犬の歴史」とやらの究明や、その暗部を断罪することではありません。種々雑多な記録を集めることで、昭和20年8月15日以前の日本犬界を再現したいだけです。

そもそも、「正しい犬の歴史」って何なんですかね?(※長くなるので読み飛ばして結構)

 

【日本犬界史の欺瞞について】

 

犬は文字を書けないので、彼らの記録を残すのも結局は人間です。

人が記したものには、それぞれの主張や主観が混じってしまいます。一次史料の中にも愛犬団体ごとに内容が矛盾・対立したり、脚色されたり、捏造されたものは沢山あるのですよ。

そういった記録を見比べている内に、私は何が「正しい」歴史なのか分らなくなってしまいました。

 

あと、前提となる「近代日本犬界」をどう定義したものやら。

現代犬界のように対象範囲が日本列島の47都道府県だけならば話もカンタンなのですが、近代犬界には南樺太、台湾、朝鮮半島、千島列島や南洋の島々といった「外地犬界」も含まれていました。

そして、日本犬界の双生児たる「満州国犬界とその周辺」までが広義の日本犬界に含まれたのです。三倍ですよ三倍。

近代日本犬界史とは、それら各地域犬界における種々雑多な出来事の集合体です。

「地域犬界」へ目を向けないと「日本犬界」を俯瞰できず、当然ながら「外地犬界」や「満州国犬界」も認識できません。

「国家と犬」とかいうご大層なお話は、自分が住んでいる地域の犬界史を調べた後でどうぞ。

そもそも彼らが連呼する「国家と犬」って何なの?どの中央省庁の何という施策かハッキリ説明してみろと。

 

歴史への見解や知識は人それぞれですし、新たな史料の発見によって歴史上の定説が覆される事例も珍しくありません。

犬に関しても同じこと。明治から昭和に至る時代のごく一時期・一部地域・一個人レベルの出来事が、まるで全てがそうであったかのように誇張されて語られるケースも見かけます(例えば東京エリア限定に過ぎない「警視庁の警察犬史」が、「日本の警察犬史」などと誇大広告されているのがソレですね。他府県警の警察犬を粗末に扱うような者が、警察犬の歴史を解説しているワケです)。

犬界における「戦前の証言」や「史実」とやらの拠り所も、意外とアヤフヤで脆弱だったりするのです。


地図

近代日本の地図がこちら。オレンジ色っぽいところと、滿洲とか蒙古とか書いてある地域の犬界が当ブログの対象範囲です(他に南洋庁とか絶対国防圏とかあったけど気にしない)。

 

現代日本の愛犬家が享受する有形無形のモノや知識は、前述のとおり「戦後にアメリカから持ち込まれた」のひと言で片付けられています。
するとアレですか?

幕末の開国から昭和20年8月15日までの約90年間、日本人は犬に関する知識や技術や物品を輸入しなかったのですか?明治・大正・昭和と近代化に邁進する日本で、愛犬家だけは鎖国し続けていたのですか?

そんな訳ありませんよね。

 

明治時代から、日本の愛犬家は必死になって海外の情報を学び、試行錯誤を繰り返してきました。

犬を供給するペット業界も、顧客のために様々な洋犬を輸入繁殖し、ペット用品を研究・開発しました。

西洋式の教育を受けた新世代の獣医師たちも、愛犬家を支えるためペット医療の分野を発展させてきました。

無責任な愛犬家に対し、地域の行政機関は畜犬取締規則や狂犬病対策で「畜犬(ペット)」と「野犬」をコントロール下におきました。

明治・大正・昭和の日本犬界はそうやって発展してきたのです。戦後犬界はスタートラインではなく、戦争で壊滅した戦前犬界が復興した中継点に過ぎません。戦前と戦中と戦後はひと続きであり、戦前から積み重ねられてきたモノ、受け継がれてきたモノはたくさんあります。

その成果だけは受け取っている癖に、「戦後にアメリカから~」などと真顔で語るのは止めにしましょう。

 

 

明治30年代にはペット業界が隆盛していたので、「昭和20年8月15日からスタートした」とかいう主張は通用しないんですよ。


先人の払った努力や犠牲は忘れ去られ、日本犬界史の根幹である「ペットとの日常生活」は無視され、「無名の犬たちが生きた証」は無価値なゴミとして忘却されました。

結果、忠犬ハチ公と軍用犬と狂犬病と畜犬献納運動だけが記された、薄っぺらで殺伐とした犬の年表が完成。

そんな赤点のテスト用紙を掲げて

「これこそが正しい犬の歴史なのだ!」

とか

「日本の犬は悲劇の歴史を歩んできたのだ!」

等と叫ぶのは、詐欺師のお先棒を担ぐようなものです。

 

怖いのは、その先入観によって自分の視野が狭くなること。そして、自分の主張にとって都合の悪い史料は無視・隠蔽せざるを得なくなることです。

「自分の歴史観に合わないから、この犬は存在しなかったことにしよう」

「庶民のペットや地方犬界を論じる価値はない」

そのような愚行を、私はイヤというほど見てきました。

「犬の歴史小説」を創作したければ、脚色もOKでしょう。しかし、「犬の歴史」を解説する者がソレをやってはいけません。

……何の話をしてたんだっけ?

 

まあ、そんな感じでごちゃごちゃのピースを並べてみたのがこのブログ。

「近代日本犬界」という巨大なパズルを完成させるには、それらを47都道府県と外地と満洲国の犬の数だけ組み上げる必要があります。消滅・散逸したピースが多過ぎて、そんなことは不可能ですけどね。

ただし、「東京エリアの犬界史」に過ぎない欠片が「パズルの完成品」と勘違いされる現状は何とかしなければ。

たとえば「東京のウドンは汁が黒いので、日本全国黒いに決まっている」などと東京ウドン業界が主張したら、西日本ウドン界との東海道戦争が勃発することでしょう。食文化の地域性を軽視してはいけません。

地域性が重要なのは、犬の歴史でも同じこと。

東京の国会図書館で調べた東京の犬界史を「日本全国の犬界も同じだったに決まっている」などと拡大解釈されたら困るのです。
 

こういう惨状なので、皆様は「へぇ、昔はイロイロな事があったんだねー」程度の気持ちで拙ブログをご覧ください。

種々雑多で広範な出来事の集合体。それが幅広い視野に立った、犬の歴史の正しい捉え方です。

 

帝國ノ犬達-ワイヤーヘアードテリア 
昭和9年4月3日、銀座三越屋上で開催された東京ワイヤーヘアードテリア倶樂部の展覧会。一般市民から軍人まで、老若男女さまざまな愛犬家が集まっていますね。
先行する関西ワイヤー倶楽部に続き、東京ワイヤー倶楽部が活動をスタートしたばかり頃の写真です。
 

さて。

「正しい歴史」はともかく、間違った部分は修整していく必要があります。

日本人と犬の歴史については、様々な取り上げ方がなされてきました。それらの中でよく話題にされるのが忠犬ハチ公。

しかし、渋谷界隈にいた一頭の秋田犬だけを引き合いに「日本人と犬」を語るのは余りにも乱暴です。日本全国にはたくさんの犬が暮らしていたのですから。

100頭の犬には100通りの生き方があり、各々の暮らしも時代や地域、社会状況や飼い主によって左右されたことでしょう。

 

近代日本犬界は、無数の犬たちと愛犬家をはじめ、畜犬団体、獣医学、国策、行政、狩猟、産業、宗教、ペット業界、文化芸能、動物愛護運動などと歩調を合わせて発展してきました。それらを無視した「日本人と犬」論など、基礎を見ずに建屋を語るのと同じこと。見かけだけ立派な欠陥住宅なんですよ。

よく見かける「犬の年表」がその手のシロモノ。

 

え~、

昔の犬は粗末に扱われていて

昔の日本人には犬の知識なんか無くて

洋犬が渡来して

狂犬病が流行して

ハチ公が国家に利用されて

軍用犬が戦地へ送られて

毛皮目的でたくさんの犬が殺されて

戦後にアメリカがペット文化をもたらして

幸せな時代が訪れてめでたしめでたし。以上。

 

これでは端折り過ぎです。

「昔の犬」とか言われても、対象の時代や地域がさっぱり分かりません。明治維新と日露戦争後、関東大震災の前と後、満州事変の前と後、日中戦争開戦時と太平洋戦争開戦時、敗戦直前と戦後復興期では状況が全く違います。

それらを南樺太と北海道と東北と関東甲信越と中部と関西と中国と四国と九州と沖縄と朝鮮半島と台湾ごとに整理区分する必要もあります。

ハチ公や軍用犬以外の犬はどうだったの?まさか「普通の犬と愛犬家は無価値な存在だった」と言いたいの?

犬を粗末に扱う奴が犬を語るなと腹が立つワケです。

せめて名もなき彼らが生きていた証を記したいと思い、当ブログでは残された断片を集めてみました。

 

 

軍用犬や狂犬病や犬皮統制の歴史も、すべては「ペットとの日常」が根幹なのです(昭和13年撮影)。

 

一応、注意事項などについて。

・記事はチョコマカと追加していきます。

・誰かの思想や主義主張や「正しい歴史観」とか「戦争責任の断罪」とやらを支援する為のブログではありません。動物愛護の立場ゆえ、動物虐待の実情(虫酸が走るような記録の数々)も掲載いたします。

・半世紀以上昔の古い情報ばかりですので、愛犬の飼育などに応用しないでください。現在の通説や常識とは異なる内容もありますが、当時の資料を引用しているだけなので気にしないでください。不正確な部分もある筈なので、書かれている事を鵜呑みにしないでください。
・引用元の詳細については参考文献欄をご覧ください。引用部分は「」『』で示してありますが、原文のままではありません。読み易いように口語訳、仮名交じり文の変更、句読点の追加、新字体への変更、()にて意味の補足や文章の省略、振り仮名の追加をしている部分があります。また、引用部分には当時使われていた名称や不適切な表現などが含まれています。予め御了承ください。
・後から間違いを発見した場合は、こっそり修正することもあります。「文章が下手」とか「構成力不足」とか、その辺はどうしようもないのでご勘弁を。
・掲載画像は1946年以前に撮影・発表され、著作権法(旧)の保護期間を経て著作権が消失したものです。引用元は画像下に併記しております。

・本文中での「戦前」は昭和12年の盧溝橋事件以前、「戦中」は盧溝橋事件から昭和20年の敗戦まで、「戦後」は敗戦以降の時期としています(※日清・日露戦役、第1次世界大戦の話には当てはまりませんけど)

・資料の販売・貸与・複写および調査のご依頼には一切対応しません。

・(念の為)当ブログの内容を引用した事で、何かしらの不利益を蒙られても当方は一切の責任を持ちません。

・犬とは無関係のご質問や、下請け業者扱いで非常識な要求をしてくる勘違いメール(「はじめまして。あなたの資料を売ってください」とか「はじめまして。軍馬に関する調査レポートを作成し、三日後までに提出してください」とか「はじめまして。私の指示通りに記事を書いてください」とか。知らんがな)が増えてきたので、すべての連絡窓口は閉鎖しました(2016年)。

・お探しの事柄がありましたら「ブログ内検索」にキーワードを入れて検索してみてください。ナニか引っ掛かるかもしれません。

ダラダラと列挙して済みませんが、今後もこんな感じでやっていきます。

 

 

私は終戦から何十年も経った頃に生まれました。昭和50年代以前の日本犬界など、この目で見た事もありませんし。
だから、当ブログの大部分は先人達が残してくれた記録で成り立っています。

他人様の歴史をほじくり返すならば、先ずは自分の足元確認から始める必要があります。それを怠ると非常に危険です。暴走したり迷走したり、ポエムやアジテーションを叫び始めたり、挙句の果てに事故ったりしかねません。
右を見て左を見て、自分の立ち位置を指差し確認する。1人KYの基本ですね。

更に長くなりそうなので、続きは次回↓