最近の夫、一時期ほどのマイナス思考からは脱しましたが、焦っています。滑舌が悪くてうまく言葉が伝わらないことに気づいて落ち込んでます。目にしたり耳にしたりする単語をブツブツ復唱する場面が見られます。焦らず気長に…と、私もリハ担当さんも言ってますが、その場では「そだな」と言うものの焦る気持ちは変わらないみたい。


さて、あの日から1年という月日を過ごし、私もある程度気持ちの整理がつきました。発症時のことや急性期病院でのことを少しずつ書き残しておこうと思います。


1年前の12月24日。日曜日の朝でした。


7時半に起きようと思っていた私。
でも目覚ましではなく夫の声で起きました。時計を見たら、7時半よりちょっと前でした。


「頭がおかしい。ヤバい。救急車呼ぶ。」


え?救急車?何事?


トイレに入っていたら、首の後ろに今までにない違和感を感じたと言っています。でも話し方は落ち着いてるし、痛がったり苦しがったりもしていません。「そんなんで救急車を呼んでも良いの?」と、一番に思ったのが本音です(汗)


私の返事を待たずに夫は自分で救急車を呼ぶ電話をしているので、慌てて着替えて保険証と財布と携帯を持ち、一緒に玄関を出ました。


夫は自分で歩いて救急車に乗り込み、冷静な口調で症状を説明していました。私はそこでも何だかよく分からないまま、そのやり取りを聞いていました。


でも。


家から1番近い大学病院に着き、私が窓口で手続きをしている最中に処置室で意識がなくなってしまったのです。血圧が180とかみたいで、看護師さんが大きな声で何回も夫に呼び掛ける声が聞こえました。


正直なところ、何でもなくてすぐ家に帰るだろうくらいに軽く思ってたんです。でもさすがに私もただごとではないんだと自覚して一気に不安になりました。


CTを撮り終わって、先生に呼ばれて「くも膜下出血」と病名を告げられた時、まさに全身の血の気がサーーーと引くのを感じました。


くも膜下出血の他に脳出血もあって、再出血が起こったら命に関わる等説明されました。


ところが。


日曜で医師が自分一人。今は別の患者さんの手術を抜けて来ていて、夫の対応が出来ないら責任を持って別の病院を探しますって。


じゃぁ何で受け入れOKだっの?と疑問だらけでしたが、そんなことを追及する余裕もなく、◯◯病院で受け入れてもらえますが良いですか?と聞かれ、断る理由もないからお願いしますと返事をし、乗って来た救急車にまた乗りこみました。


付き添いは私一人なんだから、しっかりしなきゃ!と思いました。


救急車の中で娘や父と電話でやり取りをして、私の父が車で娘たちと搬送先の病院に来てくれることに。


脳出血の処置として開頭とカテーテルがあるが、夫の出血箇所的に開頭手術の方が良く、安定剤で安静にして翌日は手術との説明で、HCUの中の個室みたいになっているところで一晩過ごすことになりました。


(ICUというのがない病院で、HCUの中の個室がICUみたいな位置付けなのかな?と思いました。扉にICUと書いてあった痕跡があったので…)


再出血を起こさないように点滴で安静に。面会に行くと部屋の電気は消されていて目にタオルが被されていました。声をかけても大丈夫と言われて声をかけたら、分かってるという合図なのか手を動かしたりしていました。刺激が良くないというので、あまり沢山は話さず「明日また来るよ」ということをとにかく繰り返し伝えたのを覚えています。


その晩は、本当に我が家に起こった出来事?と、夫の状況を信じられない気持ちが強かったです。


ただ、とにかく再出血が起こらないように!緊急の電話が鳴りませんように!ということばかりを考えて一晩過ごし、無事に翌日手術を受けることが出来ました。


手術は、その1回だけじゃなく合併症などで何回も受けることになったのですが、それらのことはまた時間を見つけてちょこちょこ書き残しておこうと思います。