ハワイを発った後、12日間の船旅であった。その間船内で行われた、社交ダンス、太極拳、

フラダンスなどたくさんの発表会が行われました。私のウクレレチームとフラダンスのチームは合同で4曲分の演奏とフラダンスを披露しました。一緒に演奏している女の子たちはほぼ初めてのウクレレでありながら旅の終わりには素晴らしい演奏を見せてくれた。私は指導に当たったのですがみんなの上達ぶりには大変感慨深いものがありました。

 

 

船内では最後の特別なディナー

 

そのディナーではこの長い航海で私たちの世話をしてくれた

クルーたちが全員挨拶に来てくれました。私たちは今までの労を

ねぎらうべく感謝の拍手と声援を送りました。

 

長い旅も終わりが近づきみんな連絡先の交換を行いました。

日本ではまず横浜港で東日本の方たちが下船し、

神戸港で西日本の方たちが下船します。

 

横浜港へ着岸。横浜赤レンガ倉庫が見えます。

長い間同じ部屋で過ごし、旅を共にし。絆を深めた仲間とのお別れです。

横浜港で下船した若い人たちが乗船している私たちに手を振ります。

仲間の名前を叫び手を振ります。

サヨナラ、ありがとうと涙を流し叫び続けます。

 

船が出航しても走って船を追いかけます。

声は枯れ、涙でぐしょぐしょ。

お互いに見えなくなるまで手を振り続けました。

 

若い人はいいね。素直に感動を分かち合えて。

これからの人生にはいい糧となるでしょう。

 

もらい泣きしそうなオッサンの私でもこの旅でいい経験を積んで良かったと思います。

何もしないより、何かをした人生なら良かったと自分に言える。

そして素晴らしい出会いにありがとう。

共に生きようまた会える日まで。

 

                                       完

 ハワイ滞在2日目 レンタルのバイクでオアフ島1週のツーリングをしてみた。バイクはトライアンフ。2気筒で中低速トルクがあり、とても乗りやすいです。

実はこれが2回目なので迷うことはほとんどありませんでした。

 

オアフ島ツーリングのノウハウはこちら

https://ameblo.jp/w650-w203/entry-12507672106.html?frm=theme

 

 ハワイ風の挨拶「シャカ」。親指と小指を立てて他の3つの指は折る。電話を耳に当てるしぐさのような手の形です。

 あいさつでアロハと言ってこのしぐさをすることが多いです。

ハワイのピースサインとしてライダー同士サインを交わすことも多いです。右側通行のため左手でサインを送るのですが日本のように手を上げなくてもよく、左手を左下に手を伸ばして挨拶する人も多いです。

 

 

 

 全米で最も美しいビーチに選ばれたラニカイビーチ。有名な割に人が少ない。交通事情が良くなく直通のバスが無かったり、駐車場が狭いなどの理由があるのではないかと思います。

そんな点バイクでは駐車にさほど困らないので行きやすいですね。

 記念撮影でにジャンプしてみた。

 美しい海辺の道が続きます。

 

 オアフ島北東部にあるエビの養殖場近くのエビ料理の屋台。箸が日本の物?

 サーフィンの聖地ノースショア。 画面では説明できないほどのビッグウェーブに驚きました。

当日はサーフィンの大会のようで多くの人たちでいっぱいでした。

 ツーリングが終わるとガソリン満タンで返却します。お金は先払いで後でお釣りをもらう形式で、セルフ給油です。

船に帰るとこのクルーズ最後の出航となり、セレモニーが行われました。

さらばハワイ。また来れたらいいな。

後は横浜港に向け10日の航海があります。船酔いしないように気をつけねば。

 9日間の長い航海を過ごしようやくハワイ諸島へと着いた。まず見えたのがハワイ島。次にマウイ島。クジラは出産時期をハワイ近海で過ごすらしくフォエ―ルウヲッチングが盛んな時期。

期待はするが現れず。

 

 港に着いてすぐウクレレのトップブランド 「カマカウクレレ」へ訪問。カマカのウクレレは世界中のトッププレイヤーに愛され、演奏されます。

この日は工場見学できる日。期待に胸膨らみます。

 工場の中には製作途中のウクレレが沢山あります。材木は4年間乾燥させられ、歪みがなくなります。

 3代目社長による説明。型を使って材木を弯曲させるらしいです。

 お店の中には沢山のサンプル。引かせてもらいましたが響きが良くいい音が出ます。

「オータサン モデル」のデラックス仕様を注文してしまいました。高額なのでちょっと後悔もしましたが、何もせずに後悔するよりましだったかもと思います。

 次にハワイ王国最後の女王リリウオカラニの像を訪ねました。王座に着いて2年後の1893年、親米派の白人勢力によって王国が倒され、退位したことから、悲劇の女王とも称されています。

 その後1894年ハワイ共和国として傀儡政権が樹立され、1898年アメリカによって併合された。後の1959年、50番目の州としてハワイ州が成立。ハワイは完全な米国領となりました。

女王リリウオカラニの像の左手には、3つの書類が携えてあります。

  1. つめは、ハワイアンの楽曲として有名なの女王作の名曲、「アロハ・オエ」の楽譜。
  2. つめは、ハワイの創世記「クムリポ」の原稿。
  3. つ目はリリウオカラニ女王がクーデターの憲法の代わりとなる1893年に成立を目指した新憲法の草案。

女王リリウオカラニは激動の時代に生き、その中で名曲「アロハオエ」を作曲しました。

 

「アロハオエ」

 

誇らしげに谷を横切る雨は
森の中を通り抜けていく
それはまるでリコ(ハワイの植物)を探しているかのよう
山あいに咲くレフアの花よ
さようなら、あなた。さようなら愛する人
木陰にたたずむ愛しい人よ
私が去る前にもう一度あなたを抱きしめたい
また会えるその時まで

 

 

 

 

次に訪れたのはビッショプ博物館。

ハワイ独自の文化の紹介は圧倒的な展示。

先ほど紹介したアメリカに併合された歴史を伝える品の数々があります。

巨大なクジラの標本もあります。

サーフィンの歴史を語る資料。初めてハワイを訪れた宣教師によるとハワイの住民は仕事もせずにサーフィンに明け暮れていたらしく禁止されていた時期もあったとか。

展示品はハワイに限らず太平洋諸島ポリネシア全域にわたります。

先ほど紹介した女王リリウオカラニとアロハオエの楽譜。

現在の楽譜と若干違うらしいです。

 

1900年初頭の制作と思われる古いウクレレ。

ただウクレレが制作されるようになったいきさつは説明がありませんでした。

 

 

 

 

夕方にルームメイトと拳銃の体験。

あまり当たらなかったけどストレス解消にいいかも。

 

翌日はバイクのツーリングです。

 

 メキシコを発ってからハワイへと向かいましたが、その間9日間の長い航海となりました。

船内ではハワイにまつわるイベントがいくつか開催されました。

 ウクレレを趣味にしている私に2つのイベントに声が掛かり演奏することになりました。

まずは、沖縄移民、オキナワンとハワイの関係性を披露する催し「オキナワン・ナイト」がありました。

私が演奏したのは「涙そうそう」のハワイ版「カ・ノホナ・ピリ・カイ」。この曲はハワイの有名なアーティスト、ケアリー・レイシェルがBIGNにインスパイアされて作られました。

 

曲に合わせて同じく乗船しているニックネーム「ホヌ」さんのフラダンス。

 

続いてハワイ寄港2日前に行われた「ハワイアン・イブニング」での演奏。

曲目は 「アロハ・オエ」  「ビヨンド・ザ・リーフ 邦題・珊瑚礁の彼方へ」

「カイマナヒラ」いずれもハワイアンの曲としては定番です。

 

いつも一緒に練習している女の子たちと演奏です。

 

今回の航海での最も思い出深い出来事でした。

練習も沢山しましたが終わった後の達成感も良かったです。

いい人生の一コマになりました。

 

 メキシコの太平洋側の港町サンマニージョへ寄港しました。

いかにも南国の街。

 

 この日は海で泳いだり、日光浴したりとのんびり過ごしました。

この国にはテキーラという強烈に強い酒があります。勧められたけどお酒はほとんど飲まないので遠慮しました。コロナビールもあったようですがこれは売り切れです。

 

 夕方は現地の方たちと文化交流。サルサダンスが披露されました。陽気なリズムがラテンアメリカを感じさせます。

 

 

 ピースボート乗船の太鼓教室のメンバーによる小倉祇園太鼓の演奏。最近習ったとは思えないほどのバチ捌きですね。

 

我々ピースボート出航の時にメキシコの方たちがランタンを飛ばしてくれました。

(この写真はイメージ)

港から飛んで行くランタンを眺めるとメキシコの人たちが

サヨナラを言っているようで胸が熱くなります

 いい思い出を胸にしまって出航です。

次は最終寄港地ハワイです。