今日は 多分、一度も書いた事がないことを。


若い頃、よく 一緒に遊んだ友人 Kちゃんが 彼の 生まれ故郷の 仙台へ 移り住んだのは 私が結婚して 少ししてからだと思う。


それからは 手紙や 電話の やり取りだけに なっていた。


彼女との 出会いには 面白いエピソードがある。



あまり 詳しく書くと 身バレしそうだから 適当に😅


はたちの頃。


私が 呑みに行っていた お店に そっち系の人が 乗り込んで来た事があった。


お店と 何かの揉め事が あったのか、その理由は 知らない。


若い人しか 出入りしない お店に おじさん、しかも 日本刀を 持った人が 入って来たので 驚いたのは 覚えている。


「△△の○○だ」と 名乗っていた。



当日だったか、数日後だったかは 忘れたが 夜遅くまで やっている 和食屋さんで ご飯を食べていた時に 友人たちと その 日本刀を持った おじさんの話に なり皆で 盛り上がった。



その時 隣のテーブルの 女の子が


「ごめんねぇ〜 」


「それ うちの 親父!」


と 大笑いしながら 話しかけて来た。


それが Kちゃんのと 初めての出会い。




子供の頃に ご両親は離婚し 歳の離れた弟は 母親と Kちゃんは 父親と暮らしていた。


最初に書いたように Kちゃんの お父さんは あっち系の人。


強面の人だったが 娘には 弱く Kちゃんの お父さんは 私には「Kが 世の中で 一番、怖い」と よく 話していた。



小さな時に 別れた 弟を 何かと 気遣い、プレゼントなどを 送ったり 冷蔵庫である物で ささっと お料理が作れたりと 優しく 家庭的なところのある 女の子だった。


彼女は  その後、少し年上の男性と お付き合いを始めた。


Kちゃんが 交通事故で 入院した時に 初めて その男性と 病室で 会った。


腰だったか、足を負傷し 動かないKちゃんの 手を 洗面器に お湯を入れ 洗ってあげているところだった。


私が お見舞いへ来たのを知り すぐに 病室を 出て行ってしまったので あまり 話は できなかったが 優しそうな男性にみえた。


2010年の秋。


Kちゃんから 電話があり 入籍を機に 近いうちに引越すと 話していた。


東北方面に ゆかりのない私は 地名を聞いたが その時に住んでいた仙台地区の どこだかも 検討もつかず また 聞き返すことも しなかった。


2011年、お正月。


その年は 年賀状では なく 電話での 新年の挨拶を Kちゃんから もらう。


そして 3月11日。


東日本大震災が おきる。


少しして そういえば Kちゃんは 仙台だ!と 思い出し 自宅へ電話をしたが 応答は なし。


引越すと言っていたが もしかして まだ 同じ家へ 住んでいるかも?と 思い 手紙も送ってみたが 宛名不明で 戻って来てしまった。


その後 新聞に載った 亡くなった方の 名前にない事を 祈りつつ 探したりもした。


あれから 12年。


Kちゃんが 世界のどこかで 誰かと 仲良く暮らしている事を 願いつつ 亡くなった方の ご冥福をお祈りしたい。




今日の WBC、先発投手は 佐々木朗希選手が 登板する。


お父様や祖父母を 震災で 亡くした 佐々木選手。


こういう姿を 見せてあげたかったなぁ。