一昨日、オッパと出掛けた時に 買った この お菓子


催事会場で 試食をさせてもらい 一口食べて、すぐに 「これ、オッパの好きな味!」と  口に出した。



オッパも 続けて食べて やはり 気にいる。



一箱だけ 購入したが 昨日、一日で 食べてしまい 


「あの催事、いつまでだろう?」


と また 買いたい様子。



調べたら 元々、店舗での販売は ないので 再び 購入することに。



4箱、買ったから 数日、待つだろう😅





ところで 11日に 書きたかったことを…



3月11日は 母方の伯母の命日だった。


年は違うが 母の命日と 一週間違いで 東日本大震災が あった日と同じ(これも 年は違う)



震災の当日、一番下の従姉妹は お墓参り中で 次の日まで 帰宅できず。



母には 2人の姉と 兄がいるが この伯母とは 一番、接する機会も多く 良き相談相手だった。



母は 几帳面、真面目を絵に描いたような人だったが、伯母は 母より 砕けた感じのする人。



子供の頃から お小遣いは なく 文具などは お金を渡され、領収書を貰って お釣りを返す。


何故か、バニラアイスだけは 買うことを 許されたが 駄菓子などは 身体に良くないと 買っては もらえなかった

(赤いウインナーも同様😅)



学校が 終わり 真っ直ぐ 帰宅した時間が門限で 日曜日は 午後からしか 出掛けては いけない決まりだった(私の時代、土曜日は半日 学校だった😅)


それも 門限、17時ガーン


高校生で 17時!



小学生なら 未だしも それ以上の年齢になって お小遣いのない お友達は 1人もおらず。


しかも アルバイト禁止。

(隠れて アルバイトをしていたけれど)



今となれば 躾を しっかりとしてくれたのだと 有難いと思えるが 当時は 反発ばかり。




伯母に よく 愚痴をこぼした。


必ず 頬の横で 小さく前倣えの 格好をし


「妹は こう、真っ直ぐな人だから 子ぶたちゃんの したい事、考えなんて わからないわよ」



「はい、はい…と 言っておけば 良いの」



「逆らっても 結果は 同じだから はい…と返事をしておけば 良いのよ」



と 毎回、言われた。



伯母曰く 母は 社会人になった後、次の冬の セーターを買う為に 毎月、封筒に 決まった金額のお金を貯めておく人…で 子供の頃から 真面目で 決めた事は 絶対に 守り抜くタイプだったらしい。



そういう母に 逆らったところで 母の考えが 変わるはずも なく 返事だけしておけば 良いのよと。




初めて 伯母家族に 会った日の話も よく してくれた。


伯母は 私を どんな風に 迎えたら良いか、家族と話し合ったらしい。



名前を何て呼ぼうか…


年齢が離れた 娘たち(私の従姉妹)と 馴染めなかったら どうしようか…




そういう気苦労も よそに 初めて 伯母の家を訪問した私は



「お・ばぁ・ちゃん! 遊びに来たよ」



と 玄関で 大きな声で 言ったらしい🤣



あの日のことは ずっと覚えていると。



よく色々な人から 子供の頃、 人の懐に飛び込むのが 上手いと 表現された。



私は そう言われるのが あまり 好きではなかったが 伯母だけは いつも


「子ぶたちゃんは 小さい頃、色々な家庭で 育てられたから その場にいる人と いかに すぐに仲良くなるかを 子供心に 考えていたのだと 思うわ」


と 言って 涙をこぼしてくれた。



そう言ってくれたのは この 伯母だけ。



タバコや お酒を嗜む 伯母で 一緒に タバコが 吸えるのも 嬉しかった。


我が家は 両親共に お酒、タバコは吸わず よその人の前で 女の人が タバコや お酒を飲むなんて!と 言う家庭だったから。


だから 伯母と 2人で 出掛けた時は 堂々と 吸えた🤣




そして これも 必ず 話してくれた。



祖母は 普段、長男の家で生活していたが 定期的に 娘たちのところへ 泊まりがけで 遊びに行っていた。


私が 小3の時に 亡くなったので 過ごした期間は 少ないが 我が家にも よく 遊びに 来てくれた。



祖母は 伯母のところへ行った時



「子ぶたちゃんは 瓜実顔で 鼻がすっとしていて 美人だし 愛想は 良いし とにかく 可愛い」


と 大絶賛していたとか。



瓜実顔…と 表現するところが 明治生まれの祖母らしい😅



伯母にも  3人の娘がいるので


「うちにも 女の子が いるのに そこは 全然、褒めないのよ🤣 」



「我が家に来ても 子ぶたちゃんの話しか しないのよ」


と 祖母が 私を 可愛がってくれていた事を いつも 話してくれた。



伯母は 最期まで 私が 皆に愛されている事を 話してくれ 私のモチベーションにも 繋がった。



母と 伯母は 全然、違うタイプのように 見えたが 同じところもあった。


伯母が 洗濯物を クリーニング屋さんから返って来た物のように 畳むこと。


これは 母より 几帳面だったかも。




伯母が 亡くなり こういう話し相手も 居なくなったが 今では 代わりに 従姉妹たちが 同じ話をしてくれる。



「覚えてる? 初めて 我が家に来た時に お・ばぁ・ちゃんって 玄関で 大声で 言ったことを🤣🤣」



と😅