母の死後 私に 数千万、渡している。



家事もしないし 入院しても 来てくれず 退院すら タクシーで帰った…


娘や孫を 思って 賃貸物件を建てようとしているのに 反対している。




もう これでもかっという くらいに。





営業マンの前で 話す内容では 無いけれど 私が 何故、賃貸物件を建てることに 納得しないのかを わかってもらうには 我が家の事情を 話すしかありませんでした。




なぜ、他人である人に 内情を話さないといけないのか?と思ったけれど 父の嘘ばかりの話を 営業マンは信じて疑いませんでした。


父が 私たちに 遺してあげたい、相続税対策にしたいと言っているのに 何故、私が賛成しないのかを 不動産会社の方が 納得してくれなかったからです。





私は 数千万なんて お金を貰っていません。


母の生命保険の受け取りが ありましたが、同じ保険会社で 受け取り分を そっくり 銀行から銀行へ 私の息子である おちゃるに 保険を掛けました。


それは 父の希望だったからでした。



私が 受け取り人だった 生命保険のお金を どう使おうが 本当なら 自由だと思うけれど 我が家は 父の権力が強いので 従うしか ありませんでした。





息子である おちゃるが 受け取りで 私が生命保険に入る…なら 納得出来たのですが 父が言うには おちゃるに生命保険を掛けろと。



結構な金額を 小学生の子供に 掛けて 死亡保険を 私が受け取るのは おかしいのでは?と 私も 知人の保険会社の方も 言ったけれど 聞く耳を持たず 。




何度も 受け取りを おちゃるにして 娘さんに生命保険を掛けた方が良いと 保険会社の方が話したけれど 納得せず 母の死亡保険の全額を おちゃるに かけました。




数年後、自分の間違いに気付いたようでしたが 今度は 私が 勝手に そうしたと話が 変わっていました。




お前が、死んだら おちゃるが 保険金を 受け取れるようにするように 言ったのに 自分の息子に生命保険をかけて 受け取りになるなんて そんな母親がいるか!と。




これには 契約するまで 一緒に説得してくれた 保険会社の人も 呆れていました。



あの時に 何度も お孫さんを受け取りに 娘さんが 掛けた方が良いと 話したのにと。



それからも 何度も 多額な金額を 自分の息子に 保険をかけて 受け取り人になっていると 色々な人に言っていたけれど 事実は 違うのに。



父は 私が 母の生命保険の受け取り人だった事が 相当、許せなかったみたいでした。

 怒るのも 仕方ないけれど 父の言う通りに そのまま 生命保険に掛け 結局、私の手元に お金が 渡ったことも ないのに 数千万、渡したことになっているし。




家事もしないって。
母が亡くなる前から 病気の母に 代わって両親の食事作りや 掃除、洗濯は 全て 私がやっていました。




母達の 食事にかかる費用や その他の 頼まれた お買い物は 母が お金を出していました。



母の亡き後、同じように 父には 食事を作り 洗濯、掃除も 私がしていました。



ただ 食費や 雑費などは もらえず 私が 父の食費などを出していましたが。




私が いない お昼なども 作って 置いておいたし 母がいた時のように 栄養のバランスにも 気にかけて 作っていましたが 父は あまり 食べてくれませんでした。




もともと 父は 超が たくさん付く程 好き嫌いが 激しくて 母も困って 色々と工夫をしていました。




野菜は お漬物以外は 食べない。
お肉が 大好き。
煮物などの 和食は 嫌い。


毎日 ステーキや焼肉、すき焼き、お肉では 無いけれど おでん なら 大喜びだけれど その他の物は これは、嫌い これは 食べたくないと 残していました。



私が こういうのも 食べないと 身体に良くないと言っていたら 「お前は 奥さんでも 何でも無いのに 何故、言う事をきかないと いけないのか!」と 怒鳴られたことも ありました。




父の大好物だった おでんを 私の留守のお昼に 月に 二回、作って 怒られたことも ありました。
二回も 出す奴がいるかと。



一回の食事に 三回、作り直させられた事も ありました。

それでも 何かを作らないと いけない。
こちらは 母子家庭なのに 食費だって もらっていない。
私は ノイローゼになりそうでした。



そんな頃に 父が 付き合っていた彼女に 私が 父の お金を自由に使っているとか、食事も ちゃんと 作ってくれないなど 話し、その彼女から お小言を言われるように なりました。




生前、母から もし 自分に何かあった時には 金庫の番号は 父には 教えないで欲しい、 お金の管理は 私が 全てするようにと言われていたので 父は 金庫が 開けられませんでした。


それが 父には 許せなかったようでした。


父に 言われれば お金は おろして来たし だいたい 母の死後、全て 父名義になっていたので 私が 勝手に 使うことも出来ないのに。



通帳のお金が 少しずつ 少なくなっているから 本当なら 現金が あったはずまで。



あり得ない話でした。



でも 父の彼女や 父の親戚の人は 親のお金を勝手に使って、まして お料理も作ってあげないなんて!と 言うのでした。




私は 金庫の中にある通帳に 1円也とも 手を付けた事がないこと。それは 父は、家計簿を付けているのだから 通帳と 照らし合わせて見れば わかることだと 言いましたが そこまで 誰も調べませんよね。




その金庫の中では ありませんが、現金は 確かに ありました。


生前、母から 父と母の 分の お葬式代を 預かっていました。



もし 私(母)が 先に亡くなったら ここから 半分、お葬式代に使ってね。その時に この お金を全て お父さんに 見せてはダメよと。

半分を渡して これだけ渡されていたと 言いなさいって。


それから その残った半分で お父さんが亡くなった時に お葬式を出してあげてねと。



残ったお金は その後の 冠婚葬祭費用に 残しておきないよと 言っていました。




でも 私、今ほど 父のことを わかっていなかったので 母から渡された お金を全て 父に 見せてしまったのでした。



いつから 預かっていたのか?など 聞かれたりした後に とりあえず いくら お葬式代に かかるか、わからないから 全部、もらっておくと 言われれました。




ただ 母から 預かっていた その お金は 結構な 金額でしたから 1人のお葬式代に それほど 掛かるわけが ないので 後で 残りを 戻しておいてねと 言い 全て 父に 渡しました。




結局、そのお金の残りは 父の物になりました。



私が 20歳の頃に もしもの時に 慌てないようにと 母が 私に 手渡してくれ 20年近く 誰にも話さず ずっと 隠して来た お金でした。



正直言って もしも 私が 父に その 存在を知らせなければ わからなかった お金です。

私と母しか 知らなかった話でしたから。




もし 私が先に死ぬ事があったら 半分だけ 渡してねと 頼まれていたけれど こんな風に お母さんは お父さんの分も 遺しておいてくれたんだよと いうつもりで 全額、見せてたのですが。



父は 本当は もっと 預かっていたのだと 思っていたみたいでした。



父の彼女や親戚を 巻き込んで 大騒ぎになりました。