昨晩の一件があり 今日は 朝から 清々しい気分

若い頃など 父に 反抗したモノの言い方をしたり 何度か 自分の意見を言って来たけれど 私も もう 立派な大人だし いちいち 父の挑発に乗ることも 無い…
そう、ずっと 思って来ました。
平均寿命も超え、透析を始めた父に 対して 貴方の ここが 嫌いだからなんて 言うのは 子供じみていると 思っていました。
でも 私の出来る範囲で 父のサポートをしているのに それでも 足りない、足りないと言われ続け 50歳にも なろうとしている私の部屋の見て回り 手紙は開封するか、勝手に処分する。
母が私に遺してくれた お金も 言いように使い 孫である おちゃるを味方に付けたくて 遺言書を書き換え それを おちゃるに 話したり 私の事を 無いことばかり 悪口を吹き込む。
そんな生活を 母が 亡くなってから ずっと されて来ました。
母が 元気だった頃は その標的が 母であって 母が亡くなった時に 母の姉から 「こんなに早く亡くなったのは ○○さんと結婚したからだ」と 父の名を言ったくらいだから 。
父からは 「こんな家に住めて」
「何、不自由無く」
「お前達の為に」…と いつも 言われて来ました。
確かに 父は 商売が上手で 私も 小さい頃から 近所の誰よりも 大きな家で 育ち 何にも 不自由をしない生活を させてもらっていました。
周りの人から 羨ましがられる事も 度々あって 「幸せねぇ」と よく 言われたものです。
ただ それは 見かけだけ。
仕事上でも 傲慢で 強い父でしたが、家庭の中では もっと 酷くて 父と母の夫婦は、奴隷と王様が 暮らしているようでした。
商売に成功し ある程度の お金を持った父は 愛人を作ったり ギャンブルにハマったり 色々な事をして来たけれど それを ずっと 支えて来たのは 母でした。
車は 毎年、乗り換え 呑めもしないのに 一晩で 何百万も 使ってくる。
自分では 節約し 借金も無しで ずっと商売出来たのも 母が 家計や経理に 携わっていたから。
亡くなった後に 知ったのは、 女の人では あり得ない程の お金を遺していた母でした。
その お金を 投資や 改築、着もしない 何着あるか わからない洋服や 電化製品、車に使っている父。
父が 稼いだ お金だから どう使おうが 自由だけれど 母が生前、どんな思いで このお金を 貯めたのか 知りもしないで 亡き母の悪口三昧。
「こんな家に住めるのは 俺が…」と言う父の言葉と 孫である おちゃるに対しては 高い授業料の学校に 入れてくれたことに ずっと 負い目を感じていて いました。
でも いくら 尽くしても 足りないと言われて 身近な人には 嘘を言って 私を悪者にする。
最近、色々と考えたら 私、この家に住んでいるけれど それによって 得たモノも無いし 皆が思う程、 幸せなんかじゃ無かったと 気付きました。
皆に 羨ましがられたけれど 私は お金より もっと大切なモノがあると ずっと思って来ました。
そんなことを言うと お金は、あった方が良いと言われるけれど。
それは、私だって お金は あった方が良いと わかっています。
今は、命も お金で 買える時代です。買えないモノなんて 無いかもしれません。
たった一つを 除いては。
「無償の愛」は お金で買えません。
お金の為に 結婚する人も 愛人になる人もいるかも しれないけれど そこに 愛は 無いと思うけれど。
困っているから 少し 手伝ってあげよう。
こうしたら 気分よく 過ごせるかな?と 気遣いをする。
疲れているのかな? 痛いのかな?と 同調する。
お腹が空いているかな?
そんなことを 色々な事を 自然と出来るのが 愛じゃないのかな。
当たり前に 想える ちょっとした 気遣いも出来ず 「俺は 良い生活をさせている」って言われても。
だから 昨晩は もう これで この生活にも 終わりにしようと 父に 久しぶりに ハッキリとモノを言いました。
だから 結果が、どうであれ 清々しい気分になりました。
今日は 梅雨だと言うのに 晴天です。
大袈裟かもしれないけれど 新しい朝が 来た気分です。
父の親戚には もう 話が行っているでしょうね。
でも もう 誰が何と 言っても 私は 話をするつもりは ありません。
今まで 嫌な事があっても あまり 父の名前を出さず 誰だか わからないように 書き込んで来たけれど たくさん 色々と 愚痴って 本当に スッキリです。
やるべき事を さっさと 片付けて 仕事の合間に オッパと お昼でも 食べに行きますかっ。