オッパと 知り合ったのは 私が 17歳で オッパが 24歳の時。
それから 私が 26か、27歳くらいまで 会ったり 会わなかったりを 繰り返し その後、数年前まで 一度も 会いませんでした。
あっ、一度 見かけた事があったんだ。でも その時に 私は おちゃるを生んだ後で もう 関係の無い人だと思っていたので 声を 掛けないまま。
私が バセドウ病になった頃も オッパとは、付き合いがあったので その話をしたと思うけれど オッパには 記憶に無いらしい(笑)
その オッパと 久しぶりに会うようになった時に 私と再び出逢う 1年前に 数ヶ月、入院していたと 聞きました。
病名は バセドウ病。
えっ、バセドウ病で 数ヶ月も入院するの?
実は オッパ、自分が バセドウ病だとは 知らず ずっと 過ごしていたらしいです。
スポーツ万能なオッパは スキーも上手。バセドウ病だと診断される前から その スキーの最中も 下まで 降りるのに 数回、吐いていたと言う。
どれ位前?と聞いたら 随分、前から…と言っていた。おかしいと思わなかったのと 聞いたら 「年なのかな?と思った」って。
…って 何歳よ!と 私は言ったけれど オッパは、本当に そう思っていたらしい。
それを前後して 疲れるし 下痢は、酷いし 何しろ 息が出来ない感覚になったり また 食べ物が 喉に詰まり 窒息しそうになったりしていたとか。
これは 重大な病気かもと 思ったけれど 怖がりなオッパは 病院に行かなかったらしいです。
それから 数メートル歩くのも 辛くなり 最終的には 運転も 出来なくなり これは、いよいよ病院に行かないと ダメだと思い 次の日に 病院に行ったとか。
最寄りの病院に行って 受付を済まして 診察室に入ったところで オッパの記憶は、大学病院に 入院しているところまで 飛んでいます。
実は 最寄りの病院で 心停止になり そのまま 大学病院へ 救急車で 運ばれたらしい。
それから 数週間、オッパは、悪夢を見ながら 目を覚まさなかったとか。
遠くに嫁いで しばらく会っていなかった 妹まで 病院へ駆け付け 枕元で 泣いたと言うから 危篤状態だったのだろう。
数週間、意識不明だったオッパは もちろん 動く事も無く 意識を取り戻した後、筋力、体力ともに 落ちてしまい 病院食が 食べられるように なった時に スプーンすら 持てなかったとか。
もちろん 歩く事も出来ず リハビリで 歩く練習をしたと言います。
そんなに 酷い状態になるまで 放っておいたの?と聞いたら 最後の方は、これは 大変な病気だろうなと 自分でも 思ったけれそれまでは、年を取るって こんなに 体力が 落ちて 色々な事が 出来なくなるんだと 思っていたって。
その年で そこまで 体力が 落ちるワケ無いじゃないよ…と 今では 笑い話になるけれど 当時は 本気で そう思っていたらしい。
私自身 若い時に バセドウ病になったので 少しは 皆より バセドウに関しての知識もあります。
心臓が 悪くなる人もいると 聞いていたけれど それにしても 病院に着いた途端に 心停止になる程 放っておく人がいるのに 驚き。
意識を取り戻し 歩くリハビリを初めてから カテーテルアブレーションをした方が良いと 主治医から 言われたけれど 病院も嫌いなのに まして 手術など。
手術と言っても カテーテルアブレーションって カテーテルで 焼く事だから その方法が、一番と 主治医が言うなら 私なら 「やってもらうべき」と 喧嘩してでも 言ったのに 賛同する人も いなく オッパ自身も 踏み切れなかったらしい。
結局、体調が良くなったのを 期に 退院したみたいです。
そして 退院した 次の日、自宅にいたオッパは 目の前が 急に暗くなり 視野が狭くなり 死ぬかと思ったとか。
そして また 入院となりました。
主治医にも 言われ 結局、カテーテルアブレーションを受ける事に なりました。
手術と言っても カテーテルでの 手術なので その後は、すぐに退院。
しかし その後も いけない。数ヶ月の入院生活で しかも 意識不明が続き 筋力が弱ってしまい リハビリまでして 歩けるように なったばかりだと言うのに 退院後、半月もしないで 親戚の子供と スキーに行ったのだとか。
リハビリ中の病院では 靴を自力で 履く事も出来なかったと言うのに。
足の指先に 力が 入らないので 指先が 丸まってしまい 靴が 上手に入らないらしいです。
それを どうにか 自力で履けるくらいになって 退院したのに その 半月後に スキーは、ムリでしょ(笑)
スキー場の 初心者コースを 滑っていて 見事に 足首を 骨折したらしい?
ブーツを履くのも 大変だったと言っていたけれど ブーツを履くのが 自力で 出来ない人が スキーをしちゃ、ダメでしょうって感じだけれど(笑)
私が オッパに 再び、会うようになったのは そのスキーで 骨折した後になるのだけれど その頃 オッパは まだ 足を引きずっていました。
私自身 おちゃると一緒に 滑るのは もう 絶対にしないと 決めています。この年になり 頭で 思っている以上に 体は、ついていけて いないし だいたい 私が スキー場で 骨折したら 誰が運転して 家まで 帰るのか?と考えたら もう スキーは 引退する事にしました。
体力、筋力も無いのに スキーをして 骨折するなんて 普通に考えたら わかること。
その半月前まで 入院していて しかも 危篤で ずっと 意識不明だったのに。
バッカじゃ無いの?って 言葉が ピッタリ(笑)
その親戚の人も 事情を知っていたのに よく スキーに行ったよなぁ~と ちょっと 怒りすら 覚えました。
話は逸れちゃったけれど その後 毎月、定期的に病院に 通うオッパ。
現在は 2ヶ月に一度、検査に病院に通っています。
私に 不整脈が出ると 「バセドウの検査をした方が良いよ」と とても 心配するオッパ。
私も 別の病気で 定期的に 病院に通っているし もちろん バセドウの検査も 主治医が やってくれているから 大丈夫なのに 自分の経験上から 心配しています。
順調に下がっていた 数値も ここ最近、横ばい状態で オッパは 「いつになったら お薬を飲まないようになるの?」と 嘆いています。
オッパの場合 バセドウだと気付くのが 遅く とても 重症化していたのだから それだけ 完治に時間が 掛かるのでは?と私は 思っていますが。
普通に生活もでき 年相応のスポーツも 出来るようになったのだから お薬を持続して飲んでいれば いつかは 治るよと 言っているけれど 本人は、もう どこも 具合が悪くないのに 病院に通う事や お薬を飲む事に 嫌気がさしている様子です。
まぁ、私だって もう 病院に来なくて良いと言われるまで 数年掛かったし、それ以降も 再発したり 色々とあったから もう少し 我慢してもらわないと。
ブログを読んでいるも 本当に たくさんの人が 同じバセドウ病で 悩んでいる事を 知りました。
私の場合は 初期の段階で わかった事や すぐに 良い先生に巡り会えました。
オッパの場合は 体調不良が ずっと、ずっと 続いていたのに 病院にも行かず 「これは、もう ムリ」と 思い 病院に行った その場で 倒れ 意識不明になりました。
その日に 病院に行かなければ 仕事先で 倒れて 大変な事に なっていたでしょうね。
普通の人であれば ここまで 体調不良になる前に 病院へ行っているので オッパの場合は 普通では あり得ない話です。
食事の度に 喉が詰まり 窒息しそうになったり 下痢で トイレに間に合わない事が 毎日のようにあったり。
その前に 病院に行っているのでは?と思う程に 症状が出ていたからです。
今のオッパを見ていたり 私の経験上、きちんと お薬などで コントロールしてもらっていたら バセドウ病は 治る病気です。
お薬が合わなくて 副作用が出たら 別のお薬に変更して貰ったり 数値が安定するように 調節しながら お薬を出してくれる病院なら 絶対に 治る病気だと 思っています。
私は 独身時代に バセドウ病になったので お世話をしないといけない 家族も無く 仕事を辞めても 自分のお金が無くなるだけで 家計に 響く事も無かったので その点、良かったのかも 知れません。
お薬の副作用で 入院騒ぎには なったけれど それも お薬を変更して 事無きを得ました。
オッパも ずっと出ていた 色々な症状を 放っておいて 心臓が止まるまでに なってしまいましたが 蘇生し お薬を飲んでから 普通に生活しています。
だから バセドウ病だと わかったら 病院に通って 主治医の指示に従っていたら 絶対に 治る病気です。
まぁ、専門的な病院を変えるのも 一つの手だとは、思いますが。
私も 一年中 半袖で着て 汗をかいては ハアハアしていたので 大変なのは 十分、わかっていますが いつか 治る病気ですから 気長に頑張って欲しいなと 思い このブログを 書きました。