どれだけ歩いたのだろう。
よく覚えていない。
気付くと僕は、新宿の地下街の片隅に座っていた。
つい先程まで僕を取り巻いていたはずの喧騒はいまやその余韻さえなく、眼前には誰もいない地下道が先へ先へと続いている。
なぜこんなところにいるのか?という問いは空虚である。
僕は自分が自分の脚でここまで歩いてきたことを知っていたからだ。
何のために歩いてきたのか?という問いも、また空虚だ。
なぜなら、ここまで歩いてきたことに意志は不在であったし、その行為に意味などないことを、僕は知っていたからだ。
僕は、あらゆる無意味とあらゆる虚無の只中にいるような気分でそこに座って、薄暗い地下道の続く先をぼんやりと眺めていた。
ある先輩はこう言った。
合コンこそは社会人の幸福の泉源。
合コン無き處に出会い無く、故に彼女無く、畢竟幸福無し。
その言を信ずるとすれば、合コンとはすなわち、少なくとも人生の希望とでも言い得る一群の有価値の何かに繋がる活動であると言える。
だが、虚無界のホープであるところのこのジーゲスゾイレ太郎にかかればそんな合コンでさえ、瞬く間にむなしく、無意味なる存在へと連なるもののひとつとなるのだ。
僕の隣には、あゆちゃんという実にかわゆい女の子が座っていた。
僕は話が上手いほうではないし、そのうえ人見知りであるから必ずしもそういう場は得意でない。
だがその日、場は僕を中心に盛り上がった。
なにこれ。
実におもしろい。
あゆちゃんも僕のほうばかり見ている。
なにこれ。
実におもしろい。
だから僕は、気付かなかった。
僕の目の前にたくさん置かれた誰が頼んだかわからぬグラスの中身がウイスキーのロック(ダブル。いやダブルどころの量じゃなかった気がする)であることに。
さらに角瓶であるはずなのに変な消毒液の味がすることに。
程なくして、僕の大脳はその機能を失った。
気付くと僕は、新宿の地下街の片隅に座っていた。
つい先程まで僕を取り巻いていたはずの喧騒はいまやその余韻さえなく、眼前には誰もいない地下道が先へ先へと続いている。
後で聞いた話だが、その日僕は、オバマ夫人のマスクをかぶって散々暴れた後、忽然と会場から姿を消したのだという。
…。
人生というものに何か天与の目的を見出だそうとするならば、その試みは必ずや失敗に終わるだろう。
広い宇宙の数多ある星々の中で、ごく微妙なバランスの上に地球という星は生まれた。
同じく絶妙なバランスと偶然によって、地球には生命が生まれた。
そしてまた、同じく幾多の偶然に偶然が重なって、僕という存在が生まれた。
いずれも奇跡的であるのは間違いない。しかしそれらは単なる現象であって、そこに意味はない。
世界は、意味なき現象の積み重ねなのである。
そんな意味なき現象のひとつであるところの人生を、それでも一所懸命に生きるところに、まさしく生命の真価があると言えよう。
僕はまたひとつ、虚無の階段をのぼった。