14.1 新竹(シンチュー)
とんぼ返りの英国出張から半年後、年1回秋に行なわれる顧客セミナが台湾の新竹で行なわれるので、そこでまたプレゼンすることになった。
新竹(Hsinchu)は台北の南西60kmくらい、国立清華大学や国の研究機関がある、人口数十万のハイテク都市だ。12:55 成田発のJALで、15:40 中正国際空港(現台湾桃園国際空港)着、時差1時間なので3時間45分かかった。エコノミーはプレゼン練習、16時に台湾入国、このころは円安が持ち直して、NT$1=3.4円くらいだった。
今回は日本からの出張者が大勢いて、17時に揃ってバスで、空港から50kmほどの新竹に移動した。18時に新竹のホテル老爺大酒店(Hotel Royal Hsinchu)に到着。20階以上の高層ビルで、私の部屋は18階、広々とした落ち着いた雰囲気で、眺めは抜群。
19時からホテルでレセプションがあり、6~70名いたと思うが、テーブル席で初対面のお偉方と一緒では、ちょっと窮屈だった。21時にレセプションが終わり、シャワー浴びてすぐに寝た。
超高級中華料理
翌朝6時に起きて、6時半に朝食、参加者はみな同じホテルなので、現地関係会社やお客様の技術者と同席で食べながら、情報交換することができるのは、レセプション以上に有意義だった。
8時半に、ホテルから西に数km離れたセミナ会場にバスで集団登校。この日はキーノート講演や招待講演の後、お客様のレポートセションで、欧州のお客様も大勢来ておられたのに、1年前のトゥルーズのような猛攻撃もなく、いくつか課題も報告されたが、割と平穏だった。17時半にホテルに戻って、みなで回答の検討を行なったけど、簡単に終わってほっとする反面、ちょっと拍子抜け。
18時半にまたみな一緒にバスで移動、ずいぶん高級そうな中華料理店だったが、私のテーブルは円卓を囲んで9名、欧豪3人、台湾4人、日本人は敬愛する米国駐在の所長さんだけ、幸い隣が仲良しのDr.Mで、助かった。料理は高級食材がふんだんに出てきて、アワビ、フカヒレ、海老など、日本式にちまちま食べるようなんじゃなくて、でっかい。こういうのはちまちま食べるから旨いのであって、どかっと出てくると、有り難みがないもんですね。フカヒレスープのどこにフカヒレがいるんだ?と探して、爪楊枝みたいな切片を見つける方が、楽しいし、美味しい。極めつけは蛙料理、何か判らなかったが、蛙と聞いて、遂に食べられなかった。高級中華料理は要注意です。
21時半、ホテルに戻り、新竹にも夜市はあると思うが、今回はネオンが並ぶ通りを少し散歩しただけで、早々に部屋に戻り、24時に寝た。
単調プレゼン
翌朝6時に起きて、朝食後チェックアウト、2泊で8,000元だった。9時にまたみな一緒にバスでセミナ会場へ。今日は日本からの出張者の出番で、私は午後一番の予定だったが、昼食前に済ませるとかで、もうすぐ12時なのに、急遽出番になった。台湾で前回は紛糾して翌日になったし、今回は急に繰り上げ、韓国でも前々回、話す内容が大幅に変わったし、前回は10分前に会場に着いたし、こういうのは柔軟性が高い、というより、計画性がないのか、欧州と違ってどうも危うい。聴衆はもうお昼休み気分で、あまり盛り上がる気配もなく、こちらも淡々とした喋り方になってしまい、1時間の予定をすっ飛ばして30分で済ませてしまった。質問もなし。う~む、時間帯も悪かったが、下手なりに一生懸命だった昔の緊張感もなく、ちょっとマンネリ化してきたな、、、真摯なプレゼンというより単調なプレゼン、喋っていても気が乗らないし、前回台北での迫真感もないし、聴衆との一体感もないし、イマイチのプレゼンだった。
会場はトゥルーズのときほど広くないが、同じようなすり鉢型で、この半年の間にプレゼン装置が飛躍的に進歩し、OHPからプロジェクタになっていた。OHPフィルムをとっかえひっかえ投影台に乗せる人間くさい動作がなくなって、画面切り替えがPCワンタッチなので、かなり時間短縮にはなるが、歩き回ることもないし、つなぎのことばもなくなるし、ずっとPC画面を見ながらの聴衆無視になってしまったようだ。
プレゼンはさっさと終わってしまったが、食事時に、独のお客様が声を掛けてくれて、私の単調なプレゼンを熱心に聞いてくださってたようで、食べながらいろいろお話をした。プレゼンの無反応を補うことができて嬉しかった。会場の雰囲気が醒めていても、こういうお客様もおられる、というのがとても貴重に思えて、単調ななりにも真摯な態度で臨まないといけない、と反省した。
バイクが凄い
新竹のセミナが終わり、明日は台北で別の顧客セミナがあるので、その日のうちに、みな一緒にバスで移動した。せっかく台湾の地方都市に来たのに、ちょっともったいなかったな、、、
バスで移動中、まだ退勤ラッシュには早いと思うのに、バイクが多いことに驚いた。北京では自転車の放列が道路を占領していたが、台湾ではどこもバイクが道路を占領していた。バスのすぐ脇に車に混じってバイクの集団が何列も走ってる。ちょっと危ない。