12.2 2度目のソウル

 

景福宮

翌朝 8時に起きた。昨日焼き肉を食べ過ぎたか、腹が重い。朝食は抜き、コーヒーだけで、8時半にはチェックアウト。担当者が迎えに来てくれて、9時から2時間、事務所でお客様対策会議を行なって、今回の仕事は終わった。帰国便は夕方なので、少し街歩きができる。それなら景福宮に行くといい、と担当者が教えてくれた。

11時に、地下鉄で汝矣島から30分ほどで景福宮に着き、南側正面の光化門を入ると入場券売り場があって、当時は₩700だったか?中央に一列に門や宮殿が並ぶ。右に折れて東門(建春門)の方に行くと、左手に五重搭、といっても法隆寺のとは違って下の方が大きいでっぷりした搭が見えたので、赤と緑が艶やかな壁の建物や回廊をいくつか通って、出口に来てしまった。

景福宮は、東側半分を1時間ほど歩き回っただけだが、とても美しい。南の光化門から北の神武門まで1km弱、東の建春門から西の迎秋門まで500mほどで、北京の紫禁城と同じような建物配置だが、景福宮の方が歴史が古い。紫禁城は明代の15世紀初頭に建てられたが、景福宮は李氏朝鮮の14世紀末に建てられた朝鮮王朝の宮殿だ。規模は紫禁城の半分くらいだけど、美しさでは勝ると思うなあ。赤と緑が基調で、綺麗に維持されている。建物の扉がみな閉まってて、部屋の中は見られなかったが、紫禁城のように空っぽかも知れないけど、ちょっと中に入って朝鮮王朝の名残を味わってみたかった。売店で買った写真集(₩6,000)に、全体図や歴史が載っているが、創建当時は419,100㎡、300棟以上の建物があったが、1910年以降、日本軍がほとんどの建物を壊してしまった、とある。悲しいですねえ。

因みに、景福宮の北側には青瓦台があり、私が出張したこの時期には韓国大統領府だったので入れなかったが、神武門まで行けば建物は見られたようだ。その後ろは北岳山(ブガクサン)という300mほどのピラミッドのような山があって、天然の要塞兼美しい場所だったんですね。現在は大統領府ではなく、公園として開放されているようだ。

 

 光化門

 

 建春門

 

 赤と緑の壁

 

国立民族博物館

五重塔は民族博物館で、景福宮の有料区域の外にあって無料で入れた。韓民族の先史時代からの庶民の生活文化を、生活用品や装飾品と共に、ジオラマで展示してあり、分かりやすくて楽しい。日本の弥生時代の雰囲気もあり、日本のルーツを感じた。30分ほどしか見られなかったので、展示案内本(₩10,000)を買った。館長さんの序文には、「単なる遺物倉庫ではなく、文化を再創造する生産場にしたい」とあり、確かにモノがただ並んでいるのではなく、それが生活でどう使われていたのか、それらの知恵をどう活かしていくか、を考えさせるような展示でした。

昔はここに乾清宮という居館があって、1895年に高宗の皇后様であった閔姫が日本の刺客に殺害される、という事件が起き、高宗はロシアに逃げ、朝鮮王朝の終焉と日ロ戦争につながっていくんですね。痛ましい。民族博物館は1946年に別の場所につくられたが、紆余曲折があって、1993年にこの場所に整備移転したということで、私が出張したときはまだ新しかった。

王族の生活文化や装飾品、すなわち景福宮の宝物は、ここではなく、光化門入って左手にある国立古宮博物館に展示されているようで、こちらも無料らしい。私は見なかったので当時の様子は分かりませんが、北京の紫禁城に対する台北の故宮博物院に相当する宝物館だと思うので、名称はともかく、ずっと同じ敷地内にあるのがとても癒やされる。

 

 民族博物館

 

 ソウル地図

 

礼状

13時過ぎに景福宮から地下鉄で汝矣島へ、14時前には事務所に戻った。みなさん、電話会議中で、私に構っている暇はない、という感じだったが、しばらくして担当者がやってきて、セミナ主催者から、お礼状が届いている、ということで、印刷して渡してくれた。ハングルで書かれているので、まったく読めないが、担当者の話では、昨日昼食ご一緒した技術部門役員の好青年からだそうだ。この方は若いけど、技術部門のトップなのに、わざわざ礼状を送ってくるなんて、セミナ参加者への儀礼的なものだとしても、気配りが行き届いていると思った。昨日の昼食での気配りといい、韓国にもこんな人がいるんだ、日本人と感性が合うなあ。

15時に地下鉄で金浦空港へ、15時半にJAS 成田行きに搭乗手続きし、16時半には搭乗。16:50 ソウル発、18:50 成田着、きっかり2時間、帰りのエコノミーでは、短かったけど充実した出張の余韻に浸っていた。

 

ハングル再考

礼状は、担当者がせめて英語に訳してくれれば嬉しかったが、まあこの忙しさでは仕方がない。それにしても、ハングルはロゼッタストーンみたいだ。こんな文字列を本当に4歳から習うのかね?後日知人に翻訳してもらった日本語と比べると、文章の長さはハングルでも日本語と変わらないですね。ずいぶん冗長な言語と思っていたが、一文字にいくつかの記号を詰め込んでしまうので、意外とコンパクト、むしろ一文字ずつの自由度が高く、日本語以上の表現力があるのかもしれない。日本語は、fとかvに相当するひらがなは無いし、「たちつてと」は「Ta Chi Tsu Te To」で、Ti やTuは「てぃ、とぅ」などと書かなくちゃならない。ローマ字ならいいが、ひらがなは発音に拘ると表現が苦しい。そこいくとハングルは、一文字を発音に合せて自由に構成できるので、柔軟性がある。なるほど、そう考えるとハングルって凄い、、、でもやっぱりひらがなはいいなあ、手書きのひらがな文字は優しい、屏風や掛け軸に筆で描かれたひらがな文字は美しい。

 

 礼状(一部分)

 

-----(日本語訳)-----

このワークショップに参加してくださった皆様を真の仲間と思い、今後の発展のためのパートナーとして共に次世代情報科学技術に挑戦していきたいと思います。これからもこのセミナが情報交流の場になれば幸いです。ありがとうございました。

1998.11.19

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