11. 1998年10/11月 東回り世界一周

 

11.1 サンパウロ

 

地球の反対側は遠い

前回ハワイに出張したセミナから1年経ち、同じセミナが今度は仏のトゥルーズで開催されることになった。私が関連部門の話をすることになり、ついでに独の委託先との打ち合せも、と計画していたら、突然ブラジルの商談が発生し、セミナの前に寄り道して説明してくることになった。遠い国で大勢出張できないので、3人だけ、私は関連部門を越えて、もっと幅広い範囲の技術的な話をすることになった。膨大なプレゼン資料の、キーワードだけとはいえ、今まであまり注意してなかった多くのことを覚えなくてはならないので大変だ。

サンパウロ(São Paulo) 3泊->ミュンヘン(München) 1泊->ボン(Bonn) 2泊->パリ(Paris) 1泊->トゥルーズ(Toulouse) 5泊、という15日間の旅程、これまで2回、西回りの世界一周を経験したが、今回は東回りの世界一周、我が出張体験の中で一番遠い所に行く一番の長旅だ。地球の反対側サンパウロは遠い。飛行機も一っ飛びというわけには行かず、ロサンゼルス(Los Angeles)経由だ。

 

土曜日22時過ぎに成田発JAL、日付変更線を越えて同日の15時にロサンゼルス着、まだ夏時間なので時差8時間で、9時間近くかかった。ロサンゼルスでは通関しないので、椅子だけで窓もない密室のような待合室で1時間待ち、同じJALで16時半にロサンゼルス発、日曜日の10時にサンパウロ着、時差5時間で、12時間半かかった。成田から合計で22時間半かかったことになる。

因みに現在はブラジルの夏時間は廃止されているようだが、当時は欧米とちょうど反対の時期(11月~3月)が夏時間でした。ただ、切り替えのタイミングは、国によって違うので、欧州は最終日曜日深夜に切り替わるけど、サンパウロはどうだったのかわからない。もし最終日曜日ということなら、ちょうど着いた日に夏時間に切り替わっていたので21時間半かかった、というのが正しいけど、いずれにしても、丸一日がかりだ、遠いなあ。

 

エコノミーでなくても奇遇

これだけのフライトなので、さすがに今回はエコノミークラスではなく、ジャンボ機の2階のエグゼクティブ(Executive)クラス席だったのだが、飛行機の中でずっと一人で座りっ放しで、食事が4回もあり、腹も頭も少しおかしくなってしまった。

プレゼンのおさらいもしたが、1時間くらいしか続かず、だいぶ離れた隣の席の人に声をかけてみた。すると、退屈なのはお互い様という感じで、気軽に応じてくれた。とはいっても、エコノミーのように至近距離で話すわけにいかないので、ちょっとだけだったけれども、それなりに奇遇だった。

この方は日本の有名自動車メーカのブラジル駐在員で、ブラジルと日本の間を年に何回も往復してるんだと。私より少し下の年齢に見えたけど、単身赴任なのか、日本に帰る度に買い出しするんだそうで、大きな荷物は生活用品や食料が詰まってるようだ。地球上で一番遠い買い出しだ。

ところで、この方はなんと、娘の乗っているバイクの設計者なんだって!このバイクは性能もよく、イタリアの人気車種ベスパ(Vespa)に似たデザインも素敵で、同じようなバイクの先駆けになったヒット作だったが、その生みの親に会うなんて、娘への凄い土産話ができました。

 

コンドミニアム風ホテル

サンパウロのグアルーリョス(Guarulhos、略称GRU)国際空港は、街の中心から北東30kmくらいのところにある。初めて南半球に降り立ったのだが、ハワイと同じように、緑の多い空港だった。

10時半過ぎに入国手続き、ブラジルの通貨はレアル(Real)で、略号はR$、当時は米国ドルより少しだけ安くて、$1.00=R$1.05くらいだった。現在はその頃に比べると、ずいぶん価値が下がってしまったようだけど、、、

現地関係会社の駐在員が空港に迎えに来てくれて、ベラヴィスタ(Bela Vista)地区のホテルまで送ってくれた。11時半にホテル着、お昼ご飯までホテルで休憩。ホテル(The Parklane Hotel)の部屋はとても開放的なつくりで、室内にらせん階段があって、二階は大きなベッドが置かれた結構広いロフトになっている。ホテルというより、コンドミニアム(Condominium)のようで、開放的で楽しい。長時間フライトで少し調子が悪かったので、監獄のような四角い部屋でなくてよかった。

 

 Parklaneホテル

 

 ホテルの部屋一階

 

 ホテルの部屋二階

 

市内見物

13時半に、また駐在員が迎えに来てくれて、昼食から市内見物、夕食まで面倒みてくれた。ちょっとボーッとしていたが、翌日の仕事のためには、今日一日起きてないといけないので、駐在員も気を遣ってくれる。

昼食は、リベルダーデ(Liberdade)の日本人街の日本料理店「寿し安」に連れてってくれて、うどんを食べた。日本以外で初めてうどんを食べたけど、ちゃんとしたうどんだったので妙に感心。

食事後、大聖堂(Catedral Metropolitana) -> イビラプエラ公園(Parque Ibirapuera) -> サンパウロ美術館 と車で案内してもらったが、ボーッとした頭での街の印象として、地球の反対側というほどの距離感を感じない。もちろん建物や街路樹など異質な面もあるが、歩いている人や庶民的な街の雰囲気には、すぐ溶け込めそうな気がした。

 

 街の風景

 

 大聖堂前の広場

 

 旗の記念碑

 

 サンパウロ市街地図

 

サンパウロ美術館

サンパウロ美術館は、建物全体が持ち上がって、地上階は外という奇抜な構造で、地上2階、地下2階の4層に有名な作品が並んでいた。入館料はR$8.00、ボーッとした頭で、絵の前で鈍い感動を味わいながら、義務的に見て回ったようだが、おっ、エル・グレコ(El Greco)の「受胎告知」だ。これは学校の教科書に載ってた、ねちっこく紫がかって、宗教画より人間味があって、強く印象に残っている。倉敷の大原美術館にも同じ構図のがありますね。あと、アングル(Dominique Ingres)の「鎖につながれたアンジェリカ」、羽根もない、貝の上にも乗ってない真っ裸が強烈、ルーブル美術館やオルセー美術館にも、「オダリスク」「トルコ風呂」「泉」など、アングルの絵はみな神様でない普通の女性で、見つめるのはちょっと恥ずかしい。

 

ブラジル名物料理

ボーッとしたまま19時、夕食はブラジルの名物料理、シュラスコの仲間だと思うが、一抱えもあるような大きな肉の塊をこんがり焼いて、表面を削ぎ落として食べる店(Master Grill)に連れてってくれた。これは面白い。みなで肉を焼く厨房を見学させてもらったのだが、大きな鉄板で囲まれたグリルの中に鉄串に刺した肉の塊がずらりと並んで、一見巨大な串焼きで繊細さも何もない、これが調理か、と思ったが、職人さんのようなエプロンを掛けた調理人が何人もいて、丹念に焼き具合を見てるんですね、これは壮観。頃合いを見て、串に刺したまま、テーブルに持ってきて、芳ばしく焼けた肉を削ぎ落としてくれる。焦げたところがなくなると、もう一度厨房に持ってって、また焦げ目をつけてくる。客がもういい、と言うまでこの繰り返しなので、調理人は客のテーブルに付きっきり、これは大変だ。肉を食ってる、という充実感を満喫。量が半端じゃない、とにかく豪快、食べながら調理人とも仲良くなってしまった。この店は残念ながら、現在はもうやってないようだけど、、、

21時にホテルまで送ってもらい、23時半に寝た。夜中に、きっかり1時間毎に目が覚めた。

 

 Master Grill

 

 厨房