10.1続々 ソウル

 

また一苦労

翌朝は6時半に起きた。デモは午後の最後だけど、セミナ会場ではなく、関係会社で行なうので、昨日の手順を再確認しておくために、私だけ関係会社に行った。受付でその旨告げて、デモ機のある部屋に行くと、電源が全部落ちていて、回線機器のプラグも抜いてある。みなセミナ会場に行ってしまったので、これは困った。とりあえず誰か事務所にいるかも、と電話してみると、まったく畑違いの人だけど、一人だけいた。事情を話して、とりあえず回線機器の電源だけは入れてもらえたのだが、またまた悪戦苦闘。当時はリモートも大変だったのです。

何とか12時までにはデモ手順の再現ができた。地下のレストランで、電源入れてくれた畑違いの人にお礼がてら、一緒にお昼、2人分で ₩6,300の定食だったけど、結構立派で美味しかった。畑違いの人に感じた恩義ほどには現地スタッフに感謝する気にならない、というのは、昨日一緒に準備したにも係わらず、どうしたもんだろう?「後は任せて」というのは、電源全部落とすことかよ、もっと気遣ってよ、ちょっと頭にきてたかも、、、現地スタッフにすればなんの悪気もないし、それが国民性というものなんでしょうか?

16時半から1時間ほどデモを行なった。本来は、自分で操作するにしても、現地スタッフにも分かってもらえるように、確認しながら進めるんでしょうが、まだ腹の虫が収まらず、自分のペースでどんどん進めて、準備した手順どおりにさっさと終わってしまった。それでも、お客様は10名ほどおられたのだけど、みなさん熱心に観てくださって、途中でいろいろ質問も出たりして、デモとしてはうまくいった。やれやれ、、、

 

韓国流の飲み方再認識

18時、お客様へのレセプションは、驚いたことに、石板の焼き肉と冷麺、一昨日、昨日とまったく同じだ。一昨日の焼き肉は杯交換のために余り食べられなかったし、昨日の冷麺はプレゼン前で落ち着いて食べられなかったので、これは、もう一度じっくり味わいなさい、という天の配剤だったね。

ところで、ここでも韓国流の飲み方だったけど、どうも馴染めないので、こちらから誰かに声かけることはしないで、ひたすら食べていた。すると、お客様の課長さんが声かけて来て、韓国流に杯を突き出してきた。私が飲めない、と言うと、課長さんは「形だけでいいんだよ、飲まなくていい」と言って、隣に座り込んでしまった。

セミナでお顔は見かけたが、話すのは初めてだ。なのに、形だけの杯交換をきっかけにして、ずっと話し込んでしまった。日本だと、ビール瓶持って、相手のグラスに注ぐのが話のきっかけ、ってところだが、韓国流の杯交換はもっと強力だ。グラスごと押しつけられて、自分のグラスは相手にとられてしまう感じなんだから。でも、一昨日も感じたが、初対面でも一発で腹割って話せる雰囲気になる。衛生上はいいとは思わないが、凄いコミュニケーション手段だと再認識した。

ただ、もう一歩突っ込んで考えると、韓国流は、俺はあんたと話したいんだ、と有無を言わせぬ会話を押しつける感じなので、日本流の、ビール瓶から相手のグラスに注いで、よかったらちょっと話しませんか?と遠慮がちにお伺いをたてる感じと比較すると、両者の国民性がこんなところにも表れているのでは?と思った。どっちがいい、という話ではなく、国民性まで考えると、私が馴染めないのは、衛生面からではなく、日本人特有の気遣いみたいなものに行き着くのかも知れません。

 

国民性再認識

最終日、10時に関係会社で、セミナのまとめを行ったのだが、この日はソウルでなんかの選挙があり、全員公休日とかで、現地スタッフは、管理職しか来ていなかった。独では土曜休日でも秘書まで付き合ってくれたのと比べると、どうも一体感がない、これも国民性ですかねえ?

でも、見方を変えれば、サバサバして気持ちがいいかも。休日でもいやいや付き合う日本人的発想とは違って、最後のまとめは管理職に任せればいい、とみなが当たり前にそう思ってるんですね。プレゼンのシナリオ変更も、デモ手順の手伝いも、電源OFFも、必要なことは明確に要求するが、分かったふりして余計な世話はやかない、ということだったか、、、なるほど、実にサバサバしてる。

11時半にまとめも終わり、韓国随一の有名デパートと聞くLOTTEの永登浦(Yeongdeungpo)店に、みなでお土産を買いに行った。今回はチョコレートではなく、韓国らしい、キムチとか、生菓子とか、メンバには鉄箸を何本か買った。鉄箸が₩48,700と結構高くついたが、感心したのは、店員のおばさんが日本語を話せるってこと、嬉しいよねえ。お昼はLOTTEの中で、本場のビビンバを食べた。₩4,000だったけど、とても美味しかった、全然辛くなかった。13時半に関係会社に荷物を取りに戻り、13:45 タクシーで金浦空港へ。

 

緑豊かな大都会

ソウルも、タクシーで移動中に見た景色は、街路樹と高層ビルが調和した美しい大都会だった。特に汝矣島は、漢江(Han-gang)の中州(といっても左岸にへばりついているが)にできた政治経済の中核区域ということで、高層ビルが林立して、道路は碁盤の目のようで、まるでマンハッタンだ。泊ったホテルは、その名のとおりマンハッタンホテルといい、現在は名前が変わってるようだけど、同じ建物のままで、たまたま撮った写真の道路やビルも、現在も面影がある。四半世紀も経つと街は様変わりでしょうが、それでも昔の景観の面影が残っているのは懐かしい。

 

 ホテルの部屋

 

 地下鉄汝矣島駅の交差点

 

 緑豊かな道路

 

スチュワーデス

14時半にはJAS(日本エアシステム;現在はJALに統合)に搭乗手続を終え、15:10 搭乗、15時半に金浦空港を離陸した。またスチュワーデスの真ん前の席でラッキー。まだ学生みたいな日本人スチュワーデスは、所作がすごく丁寧で初々しい。離陸のときに向かい合わせで座り、可愛い笑顔を向けてくれるので、海外はあちこち行くんですか?と声をかけてみた。すると「国際線は初めてなんですよ。」初々しい訳だ。「フライト先ですぐ帰りの準備があるので観光の暇はない」というのは、いつかの中国人スチュワーデスと同じ、大変ですね。結構お話できて、すごく得した気分。JASは国内線が主力だったから、韓国や中国向けの便ができて、初めて国際線に乗る、というスチュワーデスが多かったんでしょうね。