10. 1998年6月 韓国と台湾

 

10.1 ソウル

 

大富豪と隣り合わせ

独の出張から2ヶ月後、今度はソウルでの顧客セミナで、直接の担当製品だけでなく、幅広い製品のプレゼンとデモを行なうことになった。

8時には出国手続きを済ませ、9時半にKE(大韓航空)で成田発、12時にソウル金浦空港着、時差はないので、2時間半かかった。

エコノミー席のお隣は小柄な中年の女性。一見とてもお上品な感じだけど、なんか暗い雰囲気で、話しかけていいものかちょっと迷ったが、飛行機の中では人が変わる私としては、とにかく端緒を開いてみよう、ご旅行ですか?と声をかけてみた。

すると、陰っていたお顔に陽が射したように、視線をきりっとこちらに向けられて、お話が始まった。この方は60歳ということだけど、30は過ぎてるかな、とは思ったが、まさか、、、私は女性の年齢をかなり若い方にバイアスかけて見てしまうが、たぶん女性の能面のような静かな風貌がバイアスに拍車を掛けたんでしょう、でも話し出すと、能面のお顔はほんとに若々しいご婦人の顔になり、話しかけて正解、と思った。でも、お話の内容は凄まじいものだった。

ご婦人は、5000人に一人という厄介な癌で余命宣告されているそうで、ご主人は大銀行を引退され、長女も次女も銀行や証券会社の役員、ご自分も海外旅行はアフリカと韓国以外は行き尽くしたという悠々生活なんだと。「数日前に韓国旅行を思い立って、いつもはVirgin Atlanticの送り迎え付きなんだけど、今回は急にツァーに申し込んだので、エコノミークラスは初めてなんですよ。」

唖然として聞いていたが、考えてみればこんな内容は、ずいぶん悲愴感を伴うか、自慢話に聞こえるはずだが、そのどちらの感じもまったくない。ごく普通の世間話のように、自然に話が流れていくし、嫌みなんて皆無、これが上流階級というものかしら、とこちらまでそのお仲間になったような気分で、聞いていた。

だが、話の内容は深刻だ。韓国は私も初めてなので話すネタはないし、お金持ちの生活に迎合するような話もつまらないし、深刻だけど、必然的に癌の話になっていった。私の知人に、癌を自力で治した人がいる。ご婦人の癌が、医者も見放したような、余命宣告付きのものなら、何を話しても気休めにしかならない、とも思ったが、かといってお気の毒に、では済まない。私の知人も、医者に見放された後で、自分の意志で対処法を編み出し、その後20年ほども元気に過ごされた。その対処法というのが、徹底的な食事療法で、人間の細胞が外部から栄養を摂取して生きている以上、癌細胞も栄養補給が必要な訳で、逆にいえば癌細胞に栄養を供給しなければ、死滅するはず、という持論に基づき、正常細胞だけに行き渡る最低の食事しか摂らない、カロリーとか栄養の種類とか分量とか、経験を積み重ねて、本を出版されるくらいの研究努力をされた結果、そのうち身体中の癌細胞が消えてしまった、というのだ。信じられないような話だけど、実際にあったことなので、単なる気休めではない。私も、もし癌になったら、知人の真似をして、自力で克服したい、と真面目に考えたことだ。だが、実際には、相当の意志と忍耐と努力が必要で、諦めてしまうかも、、、、というような話を2時間喋りっぱなしだった。

ソウルに近づいたとき、ご婦人が「元気が出ました、普段は酔い止め薬を飲むんだけど、飲む必要もなかった、ありがとう」、少し淋しげな表情にも見えたけど、きっとご婦人にとって、初めてのエコノミークラスは、いつものファーストクラスと違う醍醐味だったに違いない。

 

セミナ準備

12時半には韓国入国。韓国の通貨はウォン(₩)、₩10 = 1円くらいのレートで、やたら大きな数字になるので、つい気持ちが大きくなってしまう。12:50 地下鉄で汝矣島(Yeouido)へ、₩450だったが、30分乗って45円とは、当時はずいぶん安かった。

13時半に現地の関係会社に着き、早速プレゼンとデモの準備。当時はOHP(Overhead Projector)という、透明フィルムに字や図を書いてスクリーンに投影する方式だったので、フィルムをとっかえひっかえ順に投影台に乗せながら喋ったのだ。現在のようにPCでスイスイとはいかず、面倒だったが、いいこともあった。喋りながらフィルムに油性ペンで書き込むことができたから、多少誤字脱字や間違いがあっても手書きで修正できたし、重要なところに下線を引いたりもできて、人間味があったのです。

メンバ全員揃ってから、セミナの段取りを調整したのだが、現地のスタッフの希望で、用意してきたプレゼンのシナリオが大きく変更になってしまった。デモもインターネットの回線速度が遅くて予定通りにはいかず、計画性がないというか、プレゼンもデモも現地でやることが多くて参った。

 

焼き肉と焼酎

20時、完全に準備ができたわけではないけど、みなが待っているので、一区切りつけ、本場の焼き肉を食べに行った。熱した石板の上で焼く店だったが、石板に肉を乗せるのが、鉄板や網とはひと味違った感覚で、ジューッというのが見てるだけで旨そう。量もたっぷりで、日本でのケチケチした焼き方と違って、ど~んと乗せるので、食べ応えがあったなあ。

ジンロ(JINRO)という韓国の焼酎は、日本の焼酎のような臭みがなく、ワインのように飲みやすい。25度ということだが、私はすぐ酔っ払ってしまった。ところが、韓国流の飲み方は、やたら杯を交換して、注ぎっこするのだ。もういいというのに、「いいじゃないか、ちょっとだけ」とか言って押しつけてくる。自分のペースでちびちびやることができない。だいたい、杯を交換するなんて、妙な病気が移ったらどうすんだ、とか思いながら付き合っているうちに、完全に酔っ払ってしまった。

飲むより、食べたかったのに、私は酔うと食べられなくなる質なので、石板上の肉が愛おしかったのは最初だけ。でも、韓国流は初対面の人でもすぐお近づきになれることは確かですね。プレゼンとデモの準備で、現地スタッフに文句言いたかったのが、きれいに忘れてしまった。

 

ハングル文字

酔っ払いながら、ハングル文字について、現地スタッフが箸袋を教材にして講釈してくれた。学校では、ハングルについて、15世紀に李氏朝鮮の世宗大王がつくった、と教わったけれども、お隣韓国の文字なのに、我々には英語や漢字ほどなじみがない。4歳の子どもでも分かるように工夫された表音文字で、母音が10個、子音が14個あって、この組合せで文字を構成するのだそうだ。箸袋にメモしながら、教えてくれたが、左右上下に母音や子音が並んで、わけがわからない。英語の発音記号より更に細かく、組合せで必要な発音をすべて表せるようなので、そのまま発音すれば読める訳で、確かに合理的だ。こんなのを4歳の子どもにねえ、、、でも、そうやって組み合わせて作った文字がアルファベット1文字に相当し、それらをまたいくつか並べて初めて意味のある単語になるので、いくら規則は簡単でも、ずいぶん冗長に見える。

英語はアルファベット26文字ですぐ単語を構成できるけど、発音は綴りとは別だ。漢字は文字だけで意味がある表意文字なので、冗長さがまったくないけど、たくさんの漢字を覚えるのは大変だし、漢字ばかり並んだ文章は読みづらい。そこへいくと漢字かな混じりの日本語は、表意文字と表音文字の組み合わせで、両者のいいとこどり、世界で一番合理的な文字文化だよなあ、、、とか思いながら聞いていた。

韓国人はハングルが冗長なんて思ってないし、漢字に拒否感情があるらしく、漢字は中国文化、ハングルは朝鮮独自の文化ということで、ハングルにとても愛着があるようだ。ハングルの話は、半年後の韓国でもう一度出てきます。

 

 箸袋のハングル講義