続・海外出張物語

 

前回フィリピン出張での大失態から、その後数年間の世界各国への出張の中でのV字回復の物語、仕事とかIdentityとかややしつこいかもしれませんがご容赦ください。

 

7. 1997年9月 独顧客セミナ

 

7.1 ミュンヘン

 

英会話の訓練法

前回から半年後にまたドイツへ出張になった。これまでの出張は主に協業先との打ち合せだったので、自分の担当業務範囲で相手も限られていたが、今回は顧客セミナでの不特定多数相手の英語でのプレゼンという役目が含まれていた。

この数年間、日本での会議や委託先の技術者との打ち合せに、先方から日本に来ることも多く、3年前にDr.Pを受け入れて以来、いろんな人と接するようになっていた。私は街の英会話教室などは行かなかったが、自分で心がけていた訓練法が次の2つ:-

一つは、風呂で独り言を言う。これは、湯船に浸かりながら、一日を振り返るとき、思い付いたことを英語で口に出して喋る。頭で考えるだけでなく、ちゃんと声に出して耳に入るようにする。単語の適否とか、文法とか気にしないで、とにかく一通り喋りきる。風呂以外でやると、気違いかと思われるので、風呂の中だけで。

もう一つは、車を運転中にラジオの同時通訳をする。抜けても構わないので、耳に入ったラジオのフレーズをどんどん英語で喋ってみる。これも文法とか気にしないで、とにかく喋る。これで結構即応力が付いたと思う。

こんな他愛のない、お金の掛からない方法で、英会話が上達するか?と思われるかも知れませんが、赤ん坊だって最初は自分で思いついたことを乏しい語彙力で口に出すことから始めるわけですからね。おかげで、Dr.Pの結婚スピーチも神懸かり的ではあったが、なんとかうまくいったし、その後の外国人の受け入れも困ることはなかった。ヒヤリング能力は向上しなかったかもしれないが、喋ることができれば、聞き取れないところは聞き返せばいいですからね。

そんなわけで、多少物怖じせずに喋れる様になっていたからだと思うが、今回は、関係業務に関する英語でのプレゼンテーション、という役目が回ってきた。日本人の品格、V字回復なるか?

 

復活のエコノミー

会議は独のカールスルーエという場所だけど、前後におまけがついて、ミュンヘン(München) ->カールスルーエ(Karlsruhe) ->ボン(Bonn) ->パリ(Paris)という旅程だ。

成田空港 JAL 12時半過ぎに出発、スイスのチューリヒ空港経由でミュンヘン空港に20時半過ぎ着。欧州は夏時間で時差は7時間だから、乗り継ぎの2時間半を入れて15時間かかった。

JALのエコノミー席は3人掛けの中央席で、窓側は30才代とみられる小柄な日本人女性、ちょっと普通のおばさんではない、上品な風格が漂う。通路側は頑健でちょっと強面の外国人の男性。復活の第一声を、窓側の女性に掛けた。品格の自信を無くしたままだから、ちょっと心配だったが、声を掛けると、意外にも気さくな明るい声で、いろいろお話してくださった。

この方はバイオリン奏者で、イタリア人と結婚してもう10年以上、ローマの近くのラクイラ(L’Aquila)という町に住んでいる、イタリア語はぺらぺらで今回は通訳の仕事の帰りなんだとか。バイオリン奏者が通訳?とかの詮索はやめて、英語含めて3カ国語を自由に話せるのは凄いですね、とか相槌打った後で、通路側の男性が所在なげにしているのも気の毒になって、英語で国籍を尋ねると、分らなさそうな返事。すると窓側の女性がイタリア語で応じ出した。おや、イタリア語で話してる、ってことはイタリア人なんだ。しばらくの間、私を通り越して、二人でイタリア語の会話が続き、一区切りして女性が日本語で説明してくれた。この人はイタリアの刑事で、イタリアで起こった日本女性に関するある事件の捜査のために日本に来たそうだ。刑事のくせに英語は分らないらしく、イタリア語だけでどうやって捜査したんだろ?などという詮索はしないで、それからは、3人で無難な話をした。しかし、ややこしい会話で、窓側とは日本語、通路側とは窓側経由、そして私を通り越して時々イタリア語が飛び交い、気を遣って女性が日本語で私に説明してくれる、という目まぐるしいやりとり。刑事さんも恐そうに見えても、事件に関係ない話は、気さくに話された。でもそれは、窓側の女性がいてくれたからですね。

ところで、この女性は、何で通訳?と思っていたが、実は、本業はローマのソリスティ・アクイラーニという音楽大学の教授なんだと!世界中で演奏もなさってるそうだ。そういえば、イタリアに、イ・ソリスティ・アクイラーニ(I Solisti Aquilani)という50年以上続く、有名な弦楽合奏団がある。ひょっとして、この女性はこの合奏団のメンバだったのかしら?凄い人とお話したのかも、、、

チューリヒ空港での乗り継ぎは、100人乗りのジェット機だった。搭乗の時の写真を見ると、向こうの方にプロペラ機も写っているようだが、近距離路線もだんだんジェット機に代わり、もうプロペラ機には乗れなくなった。

21時、ミュンヘン空港(Flughafen München)で現地駐在員や他の出張メンバと合流し、近くのレストランで一緒に地ビールで乾杯し、23時半頃には市郊外のホテルに着いた。

 

 チューリヒ空港での乗り継ぎ

 

郊外のホテル

ホテルは居住地区の一画にあったようで、ホテルの前には草地が広がっていた。部屋も簡素で狭く、ユースホステルのような感じだったけど、ここを予約してくれた同行の人の話では、この時期は十月祭で市内のホテルは満杯で、中心部から東南方向10kmほどの住宅街のこんなホテルしかとれなかった、とか。初日はまだ市内のこのホテルがとれたのだが、2日目以降はとれなくて、だいぶ離れたところにとったとか。

翌朝8時半にみな揃って、荷物も持ってタクシーで仕事先に行き、一日中打ち合せだったが、議論の決着がつかないまま打ち切り、あとは明日、ということで、この後みなで十月祭に繰り出した。 

  

 ホテルの部屋

 

 Ambient Hotel COLINA

 

 ホテルの前の草地

 

 ミュンヘン郊外地図

 

十月祭

十月祭(Oktoberfest)の会場は、街のど真ん中にある広大な広場(Theresienwiese)に、期間中だけ出現するとか。確かに、地図上では空豆の形をした大きな空き地がある。これが、門をくぐると、まるでテーマパークのようだ。とても仮設の建造物とは思えない光景が広がり、色とりどりの賑やかな明かりが夜空に映える。ジェットコースターやお化け屋敷まであって、遊園地みたいだ。ここに、男ばかり8人も集まるのは違和感があるが、仮設の建造物は大きなテントで、中に入ると男の世界だ、いや、失礼、女性もたくさんいた。千人以上いるのではないか?人、ヒト、ひと、8人分の空席見つけるのは至難の業。私もキョロキョロ探すふりをしていたら、すぐ傍の席で数人で飲んでいた若い娘さんが、どうぞ、と手招きで席を詰めてくれた。8人はちょっときつそうだが、せっかくの好意を無にするのはもったいない、Thank youと言って、振り向いて皆を手招きしたら、向こうの方でも手招きしている。8人まるまる座れるテーブルを見つけたのだと。余計なことをするなあ、、、しかたがない、娘さんにもう一度Thank you, but … とお詫びして、男だけのテーブルに合流した。でもたった一言、娘さんと交わしたやりとりでも、誰とでもすぐ友達になれる開放的な雰囲気が分った。ここには悪意の人はいない。

係にビールとおつまみを注文、ビールのジョッキがでかい、1ℓ(リットル)のジョッキで、私はいくらビール祭りでも、1ℓは飲めなかったが、これを何杯もお替りするのが普通というから呆れる。中央付近にバンドが陣取り、大音響で演奏しまくり、一曲終わるごとに、全員で prost!(乾杯)の大合唱。そのうちに、テーブルの上に乗っかって踊り出す人が現れ、我々のテーブルの周りもうるさくなってきて、座っているわけにいかなくなり、みな立ち上がって、踊りの真似をし始めた。どうも静かに飲むことは許されないようだ。トイレは樋に垂れ流し、ここでは日本人の清潔感は通用しない。

それにしても、よくもこんな建造物を2週間くらいのためだけに、毎年造るもんだ。テーマパークか遊園地か、様々な遊具もあって、子どもまで家族揃って楽しめるお祭り、でもメインはビールだから、大の男が大手を振って一番楽しめる、ということでしょう。

 

 十月祭会場入口

 

 テーマパーク並み

 

 テント内部