6.2 マカティ

 

緑溢れる大都会

マカティは東京のような大都会で、高層ビルが林立しているが、緑も多い。威厳とか芸術的とかとは違うが、とても爽やかな街だ。マニラはごちゃごちゃしていると聞いたが、フィリピンの首都はどっち?と思わせるような、新都市だ。ホテルはマカティの中心部にあったようで、部屋もまずまずだし、良い眺めだった。ここで、あんな事件に巻き込まれたなんて、信じられない。

 

 ホテルの部屋

 

 ホテルからの眺め

 

 マニラ首都圏の地図

 

品格を取り戻せ

マカティの会社は、社員が大勢いるのに、まるで一つ家族のようだった。技術力も高いが、それ以上に職場の雰囲気に誠実、信頼、安心を感じた。駐在員の気配りもあり、私のような出張者は、良いとこだけ見せてもらうから、幸せな気持ちで仕事も順調に進んだ。打ち合わせ中に事件の反省に煩わされることはなかった。所長さんも駐在員も事件には一切触れず、何もなかったようにふるまってくれた。その日の夕食も皆で一緒に楽しく食べて、本当に有り難かった。

翌日の午前中も、幸せな気分のまま予定の仕事を終えて、午後帰国の途についた。

 

マニラ空港を JAL 14:45発、成田空港に 19:40着、時差が1時間あるから、4時間かかった。飛行機の中で、仕事が順調に終わったという安堵感に代わって、あの事件が心を占めてきた。帰国ラーメンも儀式的に食べたが、前回同様、旨くなかった。こんちくしょう、あの女め、今度会ったら承知しないぞ、などと空威張りの妄想に苛まれた。尤も、次に会っても、あの冷徹な視線には勝てない、あくまで妄想だ。本来なら完敗の負け犬の心境のはずなのに、相手に逆恨みする妄想なんて、自分でもおかしいと思うが、なぜかピッツバーグから戻ったときの、日本人の品格丸潰れのどん底の気持ちとは違って、開き直ったような、希望の光が見えるような、、、品格も堕ちるところまで堕ちて、相当の代償を払ったのだ、V字回復で品格を取り戻さなくては、、、

 

無事だったから言えること

100万円は我々にとってはそれほどでもないが、ここでは何人もが1年暮らせる大金だそうだ。白衣の女性は、私が警察に届けない程度の、でも自分たちには十分な金額で手をうってくれたってことか。う~む、絞れるだけ絞ろう、というような真のワルとは違うんだ、悔しいが一目置かざるを得ない、あの裁判は弁護士のいない不当裁判かと思ったが、ネグリジェの女性が陰で He did nothing. とか弁護してくれたのかも、、、

日本でよく聞く事件に比べれば、実に理性的で、少々高いとは言え、スリル満点の劇を演じさせてくれたのだ。ただ、この劇をうまく演じるためには、かなり脳天気でないといけない、品格も必要だ。白衣の女性は、ただの脳天気には、もう少しふっかけて、裸で公園に置き去りにする方を選んだかも知れない。うむ、ピッツバーグ以来、地に堕ちた私の品格も、少しは生きていたのかも、、、

などということは無事だったから言えること、こんな事件に巻き込まれるのは、やはり大馬鹿だ。出張前の駐在員の警告には、手口や対応策も書かれていて、女性に声を掛けられたら体よく逃げろ、フィリピンの女性はとてもシャイだから知らない人には絶対声を掛けない、声を掛けるのは悪意のあるヤツだけだ、もし巻き込まれたら抵抗しないで要求額を払え、等。まったく申し訳なかった。今考えれば、巻き込まれなくて済むステップはいくつもあったし、常識的にはこんな風にはならなかったはずだが、でも、オレオレ詐欺なんて、なんで引っ掛かるんだろう、と思っていると、自分が簡単に引っ掛かる、ということもあるからなあ、、、幸い私の場合は、駐在員の言う、抵抗するな、には従っていたわけだが、下手に正気付いてあせって抵抗しようものなら、どうなっていたことか、、、

 

もっとも、こんな風に思えるようになったのは、何年も経ってからだ。それまでは、自分の愚かさは棚に上げて、悔しさに苛まれた。老人には忘れろと言われたけど、忘れるものか、白衣の女性に仕返ししてやりたい、とずっと思っていた。もう一度出掛けて、同じ目に遭って、どんでん返しで一網打尽にする手立てを夢想したりした。

写真はカメラの裏蓋を開けられてだめになってしまったので、この物語は、ぼやけた頭に深く焼き付いた記憶の断片を辿ったのだが、場所とか時間とかは分からないし、登場人物がまだほかにもいたかもしれない。が、驚いたことに、だめ元でフィルムを現像したら、誘いを掛けてきた2人の女性と、連れ込まれたレストランのネオンサインが写っている。同じ名前のレストランが1軒だけ、マニラ市街に現在もある。でも、もういい。

あんな大芝居仕掛けで、役者が足りなくてダブルキャストまでして、芝居抜きで脅迫するだけでも100万円は獲れたろうに、こちらを恐怖に陥れることもなく、最後は子どもまで使って慰留してくれるなんて、、、私が黙ってさえいればなんの痕跡も残らない緻密さ。あれから四半世紀も経った。白衣の女性はもう老境にいるだろうか?最初に声を掛けてきた女性たちは?手を振ってくれた子どもはどうなっただろう?

ぼやけた頭でも断片的にしろ、ここまで刻み込まれてしまった記憶は無くなることはない。所長さんの、何もなかったことにする、というご判断も、自分の胸にしまっておけ、すなわち自分一人で苦悶し、反省し、責任を取れ、と仰ったわけで、老人の忘れろ、というのも、記憶を消せというのではなく、自分なりに昇華せよ、と諭してくれたのかもしれない。何年も経ってから、ようやくそんな気持ちになった。今では妙に懐かしい。

 

涙顔

100万円は私にもやっぱり大金だ。現地から電話で女房殿にだけは顛末を知らせたが、帰国後、よくぞ無事でお戻りに、という涙顔を想像していたら、家に入るなり、いろんなものが手当たり次第に飛んできて、涙顔には違いなかったが、どうも期待と違う。「フィリピンに何をしに行ったのよ!」、妙な誤解を与えてしまったようだ。う~む、女房殿は、私が現地で電話してから帰るまでの間、ずっと悔し涙を溜めていたのか、すんません。でも本当に I did nothing.

 

V字回復

V字回復の兆しは、半年後の独出張から。これまでは主に協業先との打ち合わせの出張で、相手の人数も限られていたが、これから数年の間に、欧米、アジア圏、ブラジルにも行き、顧客セミナでの不特定多数相手の英語でのプレゼン機会が多くなっていった。フィリピンの夜の償いを含めて、所長さんのご判断には十分応えられたと思う。もう日本人の品格を堕としめるようなことはなかったし、プレゼンもだんだん上手くなっていき、その過程でIdentity(自分らしさ)ということに拘るようになっていきます。