6. 1997年3月 フィリピン

 

6.1 フィリピンの夜

 

駐在員の警告

フィリピンの会社に担当業務の一部を開発委託する関係で、3日間の短期出張になった。これで前回ピッツバーグで地に堕ちた日本人の品格を取り戻したいものだ。

出張に当たって、現地駐在員から、くどいほどの注意メールがきた。赴任者向けのHPや経験談のHPに加え、駐在員自身の丁寧なアドバイス、曰く:睡眠薬強盗、深夜タクシー、更には公共交通機関を使うな、といった切々たる内容だ。初めて海外に行くわけじゃなし、大げさな、、、と思いながらメールを読んでいたのだが、電話までかかってきて、こちらの心を見透かしたように、出張慣れしている人ほど危ないので、絶対に単独行動はとるな、だって。分かりましたよ。

成田空港をJAL 9時45分発、マニラ空港に13時半ごろ着、時差で1時間戻っているので、5時間近くかかった。空港には駐在員が迎えに来てくれていて、10Kmほど離れたマカティ(Makati)のホテルまで送ってくれた。

 

開放気分

明日ホテルに駐在員が迎えに来るまでは自由、おとなしくしてろ、と言われたけど、そりゃ無理だ。真っ青な空、結構暑くて、半袖のポロシャツ1枚で、カメラとパスポートと財布をビニール袋に入れ、手にぶら下げて、夕食までの時間、近場を散歩。高層ビルが建ち並び、東京にいるみたいだが、なんとも開放的で明るい。ぷらぷら歩いていると、後ろでクスクス笑う声が聞こえる。振り向いてみると、二十歳前後と思われる女性が二人で、なにやらこちらを見て笑っているのだ。友だちに会ったような気持ちになって、何かおかしいかい?と英語で尋ねてみた。すると、たどたどしい英語と日本語で「Japanese? 何してんの?」などと聞いてきた。おっ、日本語通じる、楽しくなって、それから3人連れだって歩き出した。連れだって、といっても、べらべらしゃべりながら、というのでもなく、何となく塊で歩きながら、ところどころ見所を教えてくれる程度で、お二人は後ろから相変わらずクスクス笑いながらついてくるのだが、傍から見たらへんな感じだったろうが、開放気分いっぱいの中では、空港で人が変わったのに輪をかけて、ドラマの主人公になったようで気分よかったなあ、、、

そろそろホテルに戻ろうと思い、街角の土産物店で、街歩きに付き合ってもらったお礼に、女性達に一箱ずつ、チョコレートを買ってあげた。それで、Good bye、と言って店を出たら、まだついてくる。ホテルの方に歩きながら、おや?一緒に飯まで付き合ってくれれば、もっと楽しいかな?という、考えてもいなかった思いがふと頭をよぎり、食事を一緒にどう?と聞いてみた。意外にも、二人で顔見合わせながら、「いいよ」という返事。へえ、女性を誘うなんて、出張だとほんと人が変わるんだね。じゃ、ホテルで一緒に食べよう、と言うと、「いいとこ知ってるから案内してあげる」と言う。外で食べるなんて、これまた考えてもいなかったのに、ごく自然にふと違う考えが頭をよぎった。ホテルで食べるより、そりゃ現地の人のご推薦の店の方が食べ甲斐があるかも。近いの?「そう、すぐそこよ。」

 

イエローキャブ

このとき、ホテルのすぐ傍まで来ていたのだが、まあ近くなら行ってみるかと思ったら、タクシー乗り場に連れていかれた。え?近いなら歩いて行こうよ、と言うと、「タクシーの方が早いよ」だと。そりゃそうだろうけど、でも二人の屈託のない楽しそうな笑顔を無視できず、イエローキャブに乗り込んでしまった。後部座席に、私を真ん中にして3人、窮屈だ。「すぐそこだからがまんしてね」とか言われて、にこにこ顔に応えないと品格に拘わる、と思いながら肩をすぼめた。

10分ほども走り、市街を出たのか、周囲の雰囲気が変わってきて、真っ直ぐな道になった。すぐそこという割にはずいぶん走るね、帰りは大丈夫かな?と少し心配になってきて、こんなに来るんならもうよそう、ホテルに戻ろうよ、と言ってみたが、二人とも相変わらずにこにこ顔で「もうすぐよ」。運転手に、ホテルに戻ってくれ、と声を掛けてみたが、英語も日本語も通じない?のか無視。更に倍くらい走って、やっと止まった。

 

美味しい現地料理

店内は結構広くて、ほかにもかなりお客さんがいて、現地気分を味わえる手頃なレストランという感じ。大き目のテーブルに案内されて、なるほどね、近くはなかったけどいい店だね、などと見回していると、すぐに料理が運ばれてきた。手際のいいこと、何を注文しようか?などと気を揉むこともなかったような、あらかじめ用意されてたのかしら?とても3人分とは思えないくらいたくさんの、魚介類や野菜や果物がテーブルに並んだ。ほー、これは確かに凄いや、車で連れてくるだけのことはあるなあ、と感心。だけど箸もフォークもない。

地ビールで乾杯して「さあどうぞ」と言われたけど、さてどうやって食べるの?すると、クスクス笑いながら「手で食べるのよ」と見本を見せてくれた。小指を除く4本の指で、様々な食材をちょいちょいと掴んで、一緒に食べる。北京ダックも手掴みだったが、あれは皮に具材を巻く必要があって合理的だった。こちらは、理由無く手づかみだ、ちょっと原始的だなあ、と思いながら、やってみると、なかなか旨い。箸だと一つずつしか掴めないが、指は4本でいくつか同時に掴めて、一緒に口に入るから、これも合理的なのかも知れない。2人が私にどんどん勧めるので、どんどん食べた。ほんとに美味しかったと思う。結構食べた。

 

異変

辺りが薄暗くなってきて、そろそろホテルに帰らないとまずいかなあ、タクシーを呼ぼう、と言うと、「送ってあげるから心配しなくてもいい」と言う。そうはいっても、じゃホテルに一報しておくよ、電話はどこ?と立ち上がった時、足首がグキッと崩れるような感覚があった。ありゃ?飲み過ぎたかな?でもその感覚は一瞬で、次の一歩は大丈夫、ちゃんと歩ける。電話機まで行って、ホテルの番号を回した。うまく通じない、呼び出し音にならない。何回やってもだめなので、へんだね、そろそろ帰りたいから、タクシーを呼んでくれる?お会計は?

どうやってテーブルに戻ったか憶えてない、勘定を払った憶えもない。レストランの前で写真を撮ったような、イエローキャブが迎えに来て、乗り込んだような気がする。

 

学生寮

気が付いたら、薄暗い長屋のような建物を、女性2人に両腕を支えられながら歩いていた。あれ?ここはどこ?すると、相変わらずにこにこ顔で、「私たちの寮なの、ホテルが分からなかったから、きょうはここに泊ってください」、そうか、酔い潰れて、タクシーに行き先も言わなかったからな。すみませんね、お世話かけて、、、とか言ったかな?

自分でも今思うとよく平気でいられたもんだと思うが、これは丹田の訓えではなく、ほんとに脳天気で、頭がマヒしていたんだ。もし正気だったら、異常事態に腹を据えてなどいられなかっただろう、下手すると不安感で発狂していたかも、、、しかしそのときは、にこにこ顔に魅せられて、ごく自然に二人に従って、不安?危険?など全然感じなかった。一応は歩けたようだが、頭の方は寝ていた。

 

真夜中の事件

靴を脱いで上がる、カーペット敷きの、いろんな調度品のある部屋に通されたような気がする。ピアノやカラオケがあって、「ここは私の部屋なんだけど、今夜はここに寝てください、私は友だちの部屋で寝るから」とか言われて、しばらく3人でカラオケ歌ったりして遊んだようだが、頭は寝ているから、時間も何をしたかもほとんど憶えていない。そのうちに二人とも出ていって、私はそのままベッドに横になって、寝てしまったらしい。

・・・・・

おや、隣に何かいる?どれくらい経ったか、意識が少し戻ったようで、もぞもぞ背中で動いている。気持ちいいような悪いような、振り向くと、なんと白い透き通るネグリジェの女性が腕を胸の前に組んでベッドにいる。えっ?どうしたの??「私はあなたを好きになりました、一緒に寝てください。」

えっ、ちょ、ちょっと待ってよ、ベッドは横幅1mくらいしかないよ、こんな狭いベッドに二人は寝られないでしょ?

私の頭はまだずっと寝ていたんだろう、女性はすっくと立ち上がると、透けて見えるのも構わずに、私を起こして、「この格好じゃ寝られないでしょ」とか言いながら、私の服を脱がせ始めた。ベッドに起き上がっているだけでも相当しんどくて、されるままになって、パンツ一丁になってようやく横になれた。何やらパンツの中がもぞもぞ、私の手も何かに引っ張られて、なにかをもぞもぞ、そのうちにもぞもぞの感覚もなくなって、真っ暗闇になった。

・・・・・

突然、悲鳴が聞こえた。何かに身体を揺すられた。ん?ん?今の悲鳴は何?地震か?

  「どうしてくれるんだ!死んじまったじゃないか!見ろ、これを!」

矢継ぎ早に耳元で響いた。日本語だったか、英語だったか、どっちにしろそんな風に聞こえた。重いまぶたをあげて薄目で見ると、男が私の顔のすぐ傍で、わめきながら、ここを見ろ、と言わんばかりに、床を指さしている。なんと、横に寝ていたはずのネグリジェの女性が、床にうつ伏せに倒れている。頭の下に、真っ赤な血がアメーバのように床に張り付き、傍に黒いピストルがあった。

「あんたに身体を汚されて、それを恥じて、娘はピストルで頭を撃って自殺しちまった、どうしてくれるんだ!」ということらしい。私の頭はまだ半分寝ていて、状況がよく分からなかったのだが、大声でまくし立てる男の声に、だんだん意識がはっきりしてきて、この男は女性の父親で、何か勘違いしてるんだと思った。えっ?自殺?そんなこと言われても、俺は何もしてないよ、とか抗弁したと思うが、男は同じようなことを大声でまくし立てるばかり。でも、私がちゃんと女性の状態を確認した、と分かると、私に「服を着ろ、自分は娘を別室に安置するから」とか言って出ていってしまった。