4.2 万里の長城と明の十三陵

 

万里の長城を占領

最終日、腹具合が心配で朝食は抜き。早朝6時過ぎに、貸し切りタクシーが迎えに来てくれた。帰国便は午後なので、午前中に万里の長城に回ってくれるという。北京から相当離れているので、行くなんて考えてもいなかったが、前日、事務所の所長さんからそう言われて、これは嬉しい。同じ運転手で、日本語も英語もあまり通じなくても、何とか意思疎通ができるようになっていて心強い。

早朝の道路はガラガラで、7時には、八達嶺という万里の長城の入口に着いた。観光客はまだいないが、店の準備が始まっている。入口入って、重厚な門をくぐって、入場券売り場まで運転手が付き添ってくれて、入場券を買ってくれた。RMB 30元、運転手はここで待っている、という。

誰もいない万里の長城を一人で歩く。掃除の人がいるだけ、おかげでゴミ一つ落ちていないのは感心。遠くの山に要塞が見える。とりあえずそこまで、と思って歩きだしたが、要塞まで辿り着くと、また次の要塞が遥か彼方に見える。途中多少の変化はあるものの、同じ石壁と石畳が延々と続く。地球上に残る途方もない遺物に驚愕の念を抱くものの、これはきりがない。ほんの数km歩いただけで、もういいや。小一時間歩いて、行き止りのような要塞まで来て、引き返すことにした。

 

 八達嶺入口

 

 八達嶺

 

 早朝の万里の長城

 

 要塞

 

 行き止り

 

 万里の長城入場券

 

写真集売りのお兄さん

往きは長城を占領していたが、帰りは観光客が多くなった。いろんな商売も始まっていて、壁際に写真集を並べて売っていたので、ちょっと立ち止まってパラパラめくって、印刷が粗いのでそのまま行きかけたら、お兄さんが並べた本をほったらかしにして、私がめくった本だけ持って、100mほど、買え買えとしつこくついてくる。おまけに隣でTシャツを売ってた小娘まで追いかけてきて、山のように抱えたTシャツを押しつけてくるので、1枚買った、RMB 10元。このTシャツは万里の長城がプリントしてあったが、帰国後、一回洗ったら縮んで着られなくなった。これもそのまま飾っておくべきだった。さて、小娘は1枚で引き下がったが、写真集のお兄さんが、あっち買うならこっちも、とへんな理屈で加熱してきたので、遂に根負けしてRMB 100元。値切れば半額になったかもしれないが、根性に感服。印刷の質はともかく、長城の素晴しい景色が満載、登城紀念の日付けを書き込むページがついていて、今思うと、お兄さんの粘りが染みついた、なかなかの思い出です。

 

明の十三陵

9時ごろタクシーに戻ると、運転手が、まだ時間があるから明の十三陵に連れてってくれると言う。北京空港への途中にあり、当時はまだ登録されていなかったと思うが、現在は世界遺産になっている、貴重な遺跡です。

入場料はここもRMB 30元。墓といっても、特にミイラとか金の装飾品があるということもなく、ただ広いだけの空間だ。棺の代わりに大きな赤い箱が並んでいて、副葬品でも入っているんだろうか?肝心の遺体はどうなってるんだろう?と思いながら、ここもひたすら歩いた。たくさんのお墓のうち、一つだけを観たようだけど、いくつか部屋を通って、一番奥の玄宮后殿のプレートを見ると、ここだけでも長さ30m、幅9m、高さ9.5mという大きな部屋で、アーチ天井は石造り、床も色付きの石張りということで、振り返って見れば、地下要塞のような造りの豪快なお墓だったんだ。ところで、通路の写真の中央に見える茶色のもやもやは何だろう?こんなものは実際にはなかったけどなあ、、、

 

 明の十三陵参道

 

 玄宮后殿のプレート

 

 玄宮后殿への通路

 

 玄宮后殿内部

 

 明の十三陵入場券

 

空港売店のお嬢さん

11時にタクシーに戻り、12時には北京空港に着いた。3日間付き合ってくれた運転手さんに感謝。気心知れない初めての中国で、荷物をタクシーに置いたまま歩き回ったんだから、考えてみれば危ない。貸し切りでなければできなかったかも、、、チップをはずみました。

北京空港は大混雑。空港ビルの2階にお土産売り場が並んでいた。売り子のお嬢さん方はみな可愛いのに、強引さはホテルの店員に負けていない。まだ2時間以上あるので、買う気もないのにチラチラ眺め、おっ、ここにもチャイナドレスがある、意外に白っぽいのが多いな、とほんのちょっと足を止めたら、つかまってしまった。「ねえ、何か買ってよ、いくらなら買う?」という調子で、独特の抑揚のある日本語で声掛けられて、無視もできず、ん?と応答したのが運の尽き、日本人はケチね、と言われるのもしゃくだ、何か買わないと逃れられない、香木の栞(しおり)を2つ、100元を少し値切って85元で手をうって、100元札を渡したら、お釣りをくれない。栞を小袋に入れてくれて、お釣りの代わりに、「このハンカチ45元よ、合わせて100元でいいわ」だって。まあお釣りの15元はどうでもいいんだけど、可愛いお嬢さんとあなどるなかれ、食いついたら離さないスッポンみたいに手強い。でも、当時の100元は、きっと1万円くらいに重かったんだろうなあ。

手強いお嬢さんとの楽しいやりとりの後、13時過ぎにJALの搭乗手続きをして、14時半には搭乗して、20分後には離陸した。短かったが面白かった中国だった。

 

 北京空港

 

 空港売店

 

 北京郊外の地図

 

筆談も楽しい

帰りのエコノミー席は、3人がけの通路側。お隣さんは中国人らしき老夫婦。会釈を交わして、何か話しかけたのだが、日本語も英語も通じない。中国語しか話せないらしい。でも、ふくよかな感じのご夫婦で、柔らかい笑顔で中国語をお続けになるので、せめて漢字を書いてもらえばわかるか?と思い、メモ用紙を出してみた。筆談ですね、要点の漢字を送り仮名なしで並べると、大体通じた。2人でニューヨークにいる息子のところに行くんだとか、英語まったく分からずに、よく行くなあ。しかし、実はお二人は、往きの米海軍士官にも劣らない、凄い方だった。ご夫人は元オペラ歌手、ご主人はオペラ監督で、息子さんは画家だって。娘さんもおられて、中国での現役琵琶演奏家だそうだ。中国社会にも、こんな芸術一家があるんですねえ。音楽と美術で盛り上がって、筆談で話しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。

それにしても、筆談で3時間飽きないというのは、漢字の文化は凄い。アルファベットじゃこうはいかない。英語が通じない中国でタクシーにどうやって乗るんだ?と心細くなる必要はない、漢字を書けばいいんだ。結構微妙なニュアンスまで伝わる。漢字の内包する意味が、お互いの共通のイメージになっているんだ。日本の言語文化はやはり中国が母体なんだとしみじみ感じました。

 

 筆談記録