4. 1996年9月 中国

 

4.1 北京

 

エコノミーは素敵

中国ビジネス開拓のために、北京に出張することになった。足かけ4日の短期出張だが、隣国中国に行けるのはとても嬉しい。今回は成田エクスプレスで、7時半に東京駅発、8時半には成田空港第2ビル駅に到着、9時前には搭乗手続きを終え、9時半には出国、10時過ぎには搭乗、11時前に成田発、13時過ぎに北京着。時差は1時間なので、3時間半ほどかかった。

飛行機はJAL(日本航空)だが、スチュワーデスは日本人のほかに中国人の美人も美人、日本女性の麗しさと欧米人のスタイルを兼ね備えた完璧な美人。こんな完全無欠の美人を前に、私の席はエコノミーの一番前、非常口の脇で、美人が真ん前にこちらを向いて座る。エコノミーで楽しいどころか、今回は美人とお話もできるかな?でも話しかけたら迷惑かなあ、、、とか思案していると、隣の席に年配の女性が来られた。後方の席と何やら目配せしながら、一人だけ、荷物も持たずに、ここなの?というようなしぐさで座られた。どうやら荷物は後方の席に置いたらしい。

キリッとして背の高い、とても上品な感じの方、米国人かな?なんて声掛けようか?差し障りなく、国籍と中国に何しに行くのか?くらいは聞いてもいいかな。特に荷物もなくて、シートベルトを膝に乗せてお座りになるだけなので、すぐに声を掛けた。こういう場合、考えあぐねて聞く機会を逃すと、ずいぶん経ってからでは唐突になって気まずい。相手が落ち着いたところで、タイミングよく声を掛けるに限る。一言声掛けたら、いろいろ話してくださった。

この方は、テキサスにお住まいの米国海軍の退役士官、立川基地にも6年間駐屯されたそうだ。ひぇー、キリッとしてるわけですよ。ご自分から60歳だと仰ったが、とてもそうは見えない。以前40歳を学生と間違えたくらいだから、私は女性の歳を期待値バイアスかけて見ちゃうのかも?素晴しい姿勢で、座っていても背筋がしゃんと伸びていて、動作に無駄がなく、それでいて柔和な表情に気品が漂っている。

夫は気象予報官でもう退職して家でのんびりしているが、自分はシルバー団体旅行で年に一回は海外旅行に行くつもり、今回の中国旅行は初めての参加で、海軍といってもほとんどどこにも行ってないから、とても楽しみ、と柔和な顔に少女のような明るさ。丁寧にゆっくりはっきり、学校で習った文法どおりに話して下さるので、ヒアリング苦手な私でもよく分かった。

「人数分のまとまった席が取れなくて、私だけこの席になったんですよ、よろしくね。あなたはお仕事なの?」とか聞かれて、いい加減なお応えはできないし、会社のことまでは話せないし、とか考えながら、さすがに今回はいったん日本語で話すことを思い浮かべながら喋ったから、ボツボツの英語になってしまったが、女性は根気よく聞いてくれて、飛行中、いろんなことをずっと喋った。

これから行く中国のこと、日米の国民性について、沖縄の米軍基地について、郷里の話、唐突ですが、牛乳は人間にとって価値があるのか?云々。日本語では何と言うの?とか聞かれるので、所々、日本語表現も交えて。年齢的な世代差を感じさせない、だがやはり人生経験が一回り違うなあ、という尊敬の念を抱きながら。この後も含めて、何度も隣の人と英語で会話したが、この時がエコノミー会話ベスト1、こんな素敵な方と対等にお話できるなんて、嬉しい限りでした。お名前と米国の住所とメッセージをいただいたけど、メッセージには「日本語レッスンをありがとう。楽しい会話でした。米国に来る機会があればお知らせ下さい」と書かれています。

 

 メッセージ

 

エコノミーは最高

美人に話を戻すと、離陸後水平飛行に移るまでの、だれもが多少の不安を抱きながら静かにしている短い時間、隣の女性との会話は中断したが、目の前には、完璧な美人がこちらを向いて端然と座っている。異常があればすぐに席を立つ、という気構えが漲っているようでもあり、今は暇なんだという穏やかな表情にも見える。私との間隔は1mくらい、そのままの姿勢で握手できてしまう。目を瞑っているならともかく、ぱっちり目を開けて、視線は私の頭を越えて、機内全体を見回しているようだが、衝動的に、スチュワーデスはあちこち旅行できていいですね、てなことを話しかけてしまった。この美人は日本人には日本語で話しかけていたので、日本語で話しかけた。冷静に考えれば、機内を見回しているのもお仕事なんだから、私的に声掛けるなんて非常識ですね、でも声掛けないともったいないという気持ちがむずむず大きくなってしまったのです。ご迷惑なら、Yesの一言でお終いだろう、と思ったが、意外にも、「そうでもないんですよ、結構次のフライト準備で忙しくて、観光の暇はないんです」というようなことを、笑顔で応えてくれた。そうなんですか、大変ですね、それ以上はさすがに控えたけど、スチュワーデスの仕事の過酷さを明かされたようで、感動しました。

北京に近づいて、また美人が目の前に座ると、今度は美人の方から私に話しかけてきた。私が中国語の会話の本を開いていたからですね、完璧な美人からとても可愛い微笑みに変貌して、「あら、中国語の勉強ですか?」そして、中国語の発音について、四声という、ちょっとした抑揚やアクセントで意味がまるっきり違ってしまうルールがあることを教えてくれた。私の名前の発音のしかたも教えてくれた。おかげで、この後の仕事でお客さんに挨拶するときに、自分の名前を正しい(と思う)中国語で言えた。そういう実利はともかく、完璧な美人が可愛く変貌して、飛行機の降下中、お話してくれるなんて、座席にも恵まれて最高でした。

 

両替カルチャーショック

北京到着後、楽しい両替だ。14時少し前に入国手続きが終わって、ホールの一角を仕切って机を並べただけの薄暗い、それでも銀行らしき両替窓口で声をかけると、係のおばさんが、一言も喋らずに、両替用紙を窓口から突き出した。そのまま横を向いて知らん顔、こちらが声かけなければ横を向いたまま。用紙への記入は、英語での注意書きがあるので、別に説明してくれなくてもいいが、もちっと愛想よくしてほしい。記入した用紙と1万円札を窓口に差し出すと、またも一言も喋らないで面倒くさそうに、レートと換金額を書き込んで、中国のお札をくれた。おばさんの声は一言も聞けなかった。この一角には4人ほどのおばさんがいたと思うが、声も笑みもまったくなかった。楽しいはずの両替は、ここではなんのわくわく感もなく、自動販売機でジュース買うのと同じだった。初めて見る中国のお札を手にした新鮮さはあったけど。

中国の通貨は人民元、RMBと略記する。当時のレートはまだ円が強かった時で、RMB 1元=13円くらいだった。通常は20円くらいで換算するのがよいと思うが、中国の物価は日本に比べれば安いので、円高でなくても多くは要らない。足りなくなったらホテルでも両替できる。

欧米のお札はみな美術品、おもちゃのようにも見える。その点、中国のお札は漢字が入っているので、日本のお札と同じように、お札らしい有り難みが感じられる。

 

ホテルでもカルチャーショック

14時に空港に駐在員が迎えに来てくれて、タクシーでホテルへ、30分ほどで着いた。因みに、中国語の会話本で勉強したって、タクシーに一人で乗るのは無理、運ちゃんが何言ってるか、まったく分からない。地下鉄もないし、バスもタクシーも乗れない、となると、これはこれまでの出張とは違って、ちょっと心細い。

ホテルは現地系の前門飯店だったが、日系のホテルとはずいぶん違う、ということを後で知った。元々この出張は2泊3日の予定で、駐在員が押えてくれた2泊分のホテルは日系のホテルだったが、ちょっと変更があって、前日のうちに北京に入ることになり、前泊のホテルは、旅行会社を通じて自分で予約した。その時は日系も現地系も分からず、京劇の劇場を併設している、という謳い文句が気に入ってこのホテルにしたのだが、駐在員は、なんでこんなボロいホテルにしたんだ?ちゃんと水が出るか確認しろ、出てもさびの混じった赤い水かもよ、でなくても絶対飲むな、硬水だから腹をこわす、などと散々忠告してくれた。でも結果的には、生水は飲まなかったが、ちゃんと水も普通に出て風呂も入れたし、部屋も食事も問題なく、むしろ古風な存在感が漂っていた。

が、驚いたのは、最初のフロントでのやりとり。係のお姉さんに、旅行会社の予約票を見せると、英語ではなく中国語で、駐在員と口論を始めた。だんだん激しくなって、駐在員が怒りだしてしまった。すると、お姉さんは、プイッとあっちに行ってしまった。駐在員が、ちょっと!と声を掛けても知らんぷり。これが客に対する態度か!と思うが、これは凄まじいや。駐在員が本気で怒っているので、いったい何を揉めてるのか聞いたら、一律6元の税金を払うよう言われ、最初は穏やかに話していたが、お姉さんの態度があまりにも気にくわない、と言う。なんだ、たかが100円のことではないか、となだめると、駐在員が言うには「そういう問題ではない、あれは共産主義の悪い所だ」と憤慨しているのだった。そうか、出張で数日滞在するだけの私とは違って、駐在員は毎日気苦労を重ねているんだ、大変だなあ、とつくづく感じた次第です。

 

 前門飯店

 

 ホテルのロビー

 

 ホテルの部屋