3.4続 トゥルーズ

 

結婚式の祝宴

その旅館で、結婚式の祝宴が行なわれた。みな、広場からぞろぞろと歩いて移動しても、10分もかからない。13時半ごろから祝宴が始まった。ランチタイムだけど、フルコース料理だ。テーブルには小さな花が所々に置いてあったが、余分なモノは一切なく、大きなケーキもなく、皆で少し豪華な食事をする、という感じ。その時のメニュは、なんと手書き。料理の内容が分かりますか?フォアグラなんて初めて食べたけど、結構大きくて、油っぽいが意外と歯応えがあって、確かに珍味だった。

 

1995年6月24日(土)の昼飯 白ワイン地物  メニュ(前菜、鮭、子羊、デザート)

 

結婚式のスピーチ

仲人もいなければ、司会者もいない。長いテーブルに20人ほどいたかな、向かい合って座って、食事の開始の挨拶があったかな?皆で大声でチンチン合唱したのかもしれないが、いわゆる祝辞というのもなく、誰かDr.Pにビールとか注ぎにくるわけでもなく、皆雑談しながら勝手に食べ始めた。Dr.Pは右隣のお母さんやその隣のお父さんと、或いはときどき左隣の友人たちと何やら世間話をしているが、仏語なので分からない。その対面の席で、私は両隣、見知らぬフランス人なので、仕方がない、黙々と食べ始めたが、どうも落ち着かない。だいたい、日本人がなぜ混じっているのか?誰か気にしてもよさそうなものなのに、、、まあそれならそれでいいようなものだが、自分でもどうしちゃったのか、Dr.Pに、少しスピーチしていいか?と自分から聞いてしまった。「大歓迎だよ、嬉しいよ」とか言われて、英語でOK、お迎えのレディが通訳してくれるそうだ。

特にしゃべることを決めていたわけではなく、Dr.Pとの関係だけ話そうと思った。今考えると冷や汗が出るが、おもむろに立ち上がってしゃべり始めた。信じられないが、口が勝手に動きだした。

1年前、仕事の関係で、Dr.Pが日本にやってきた。本来なら、親会社の私の友人Mr.Kのところで対応するのだろうが、仕事の内容が私のところに一番近かったので、私が面倒見ることになった。1ヶ月ほど日本にいる間に、Dr.Pはその後重要になる製品の原型を作り上げた。それ以来、Dr.Pは私にとって、重要な仕事仲間であり、初めての外国人の友人であります。きょうは、このような席でお祝いできることを、とても嬉しく思います。

というようなことをしゃべったと思う。頭に日本語のスピーチを思い浮かべて翻訳していたのではない。そんなことしていたら、文法とか単語が気になって、支えつっかえになってしまっただろう。頭では、Dr.Pとの関係を話す、としか思い浮かばなかった。口が勝手に、ゆっくりだけど、つっかえることもなく、動いている。適当なタイミングで、レディが一番奥の席から仏語で繰り返してくれる。レディの声がすばらしく明瞭で大きいので、私も引っ張られて、調子に乗ってきた。私の英語は正しいのか?レディがちゃんと翻訳してるのか?誰にも分からないが、みな食事の手を止めて、真剣な表情で、私とレディを見つめている。快調に数分のスピーチは終わった。

今思うと、まさに神懸かり、もう一回やれと言われてもできない。思うに、妙な英語でもだれも咎める者がいない、という気楽な状況だったからできたことだろう。英会話学校のような緊張の場面では、到底できないと思う。英会話訓練は、いつでも対応できる様にするのが目的だが、実はそんな訓練を受けなくても何とかなってしまう、と思った。人前で英語のスピーチなんて、初めてだったが、その後の出張で英語でのプレゼンが何回か必要になったけど、そのきっかけになったと思う。

 

カルカソンヌ

2時間ほどの祝宴の後、Dr.Pが自分の車で、立会人を務めた友人夫婦と一緒に、カルカソンヌ(Carcassonne)に行こうと言う。後で地図を見たら東に50km以上あったんだ、2車線しかない道路を高速道路並みの猛スピードで走って30分くらいで着いた。私はその時は知らなかったが、ここは、完璧に中世の城塞都市の姿を留める世界遺産なんだそうだ。

重厚なナルボンヌ門(Porte Narbonnaise)から入ると、石畳の路地の両側に土産物店が並ぶ。中世の騎士の鎧をまるごと売っていたりして、美術館のように楽しい。ずっと上り坂の石畳を100mも歩くと、ちょっとした広場に出て、パラソルと椅子が並んでいて、そこで炭酸ソーダ水で休憩。

ここはエジンバラ城ともウィンザー城とも違う、両者を併せたような雰囲気。数百m四方くらいの小高い丘の上にあり、城壁内にはいろんな建物があって、住民の生活まるごと城壁に囲まれている。城壁の中には野外劇場もあって、夏には音楽祭も開かれるんだとか。城壁の周囲には畑もあって、なるほど、これが城塞都市なんだ、サンフェリックスも小さいながら同じような城塞都市だったのかも、きっとそういう名残はあちこちにあるんだろう。

 

 ナルボンヌ門の石畳

 カルカソンヌ遠景

 

地中海

カルカソンヌの城壁内を1時間ほど歩き回った後、Dr.Pが「地中海が近いからそこで夕飯にしよう」と言う。近いと言っても、後で地図を見たら、更に東に70kmもある。これを時速100km以上で飛ばすんだから堪らない。見通しよく、対向車もほとんどないので、事故ることはなさそうだが、目が回りそうだ。1時間ほどで、不思議な道路、まるで海の上に桟橋をかけたような道路に来た。この辺りはグリュイサン(Gruissan)という町で、石の塔のようなお城の周りを海辺(内海なので池と言うらしいが)に沿ってぐるりと道路が走っていて、その先っぽが桟橋の様な道路になっており、そのまま進むと地中海にぶつかる。地中海は真っ青、水平線が視界の左から右まで真っ直ぐ。せっかく来たのだから、地中海に足を浸していこう。

地中海の空気を一杯吸って帰りに、道路沿いにあった地中海料理のレストランに入った。町外れの大衆食堂といった感じの気さくな雰囲気で、料理は、実にたくさんの種類の小皿がテーブル狭し、と並んだ。自分の皿にちょっとずつ取り分けて食べる、フランスでこんなのは珍しい。でもこれは合理的、少しずつだけど、いろんなものが食べられる。あまりドレッシングとかは使わず、素朴な調理法で、素材の味を楽しめた。

帰りも猛スピードで、サンフェリックスの広場に戻ったときは真っ暗、Dr.P曰く、「今日はソーセージ祭りだったのに、終わっちゃったね、残念」だって。タフだねえ、、、その足でトゥルーズまで送ってくれて、ホテルに着いたのは2時だった。

 

 グリュイサンの海上道路

 

 地中海

 

 仏南部地図

 

翌朝日曜日、8時に起きて朝食、9時半にホテルを出て、トゥルーズ空港へ。米東海岸への直行便はないので、パリを経由して行く。11時の国内線(Air Inter)でパリに向けて出発した。