3.4 トゥルーズ

 

トゥルーズ空港でのお迎え

この週末、Dr.Pのお誘いでトゥルーズまで行くことになった。Dr.Pが結婚式を挙げるので、立会人(Witness)を務めてくれ、と頼まれたのだ。立会人って何をするのか知らないが、Dr.Pにそこまで見込まれたのなら、断るわけにはいかない。

トゥルーズ(Toulouse)はパリから南に500km以上あり、移動は飛行機で1時間。今回は仕事抜きだが、その後Mr.Tの事務所もできて、この後の出張では、パリよりもトゥルーズの方が重要になる。

さて、土曜日の深夜、妻への郷愁のはがきを書いて、寝たのは2時過ぎだったが、その日の朝5時半に起きて、1時間後にはオルリー空港で航空券買って、空港カフェで朝食、7時にオルリー空港を出発、8時ちょっと過ぎには、トゥルーズ・ブラニャック(Toulouse-Blagnac)空港に着いていた。朝起きてから3時間も経ってないなんて驚き。

空港にはDr.Pの代わりに、レディ数人で迎えに来てくれていた。初めて会う人たちなのに、よく分かったなあ、パリと違ってここには日本人はまずいないからだろう。荷物を持って到着出口を出ると、すぐ手を振りながら声をかけてくれた。底抜けに明るい人たちで、一人は英語もできるので、「Dr.Pは結婚式の準備で忙しいから、私が迎えにきたのよ、ホテルで少し待っててね、式場まで送るから」と言いながら、自分の車の方に引っ張っていった。パリのどんより空と違って、ここは南国だ、太陽がまぶしい。夜更かしばかりで日光が堪える。レディたちは歩きながら、仏語でがやがやおしゃべり、特に私に気を遣う訳でもなく、なんか初めて会った気がしないのが不思議。まったく自然に、おしゃべりの後ろについていった。

 

トゥルーズのホテル

ホテルは、トゥルーズ市街の中心キャピトル(Capitole)地区の傍のピエール公園(Jardin Pierre)に面して湾曲して建っている、ちょっと面白い形のホテルカプール(Hotel Capoul)。パリの建物と違って、優美というより、赤みがかった淡い茶色の、古風な存在感のある大きな建物だ。公園に面した建物は、みな湾曲しているのが面白い。後でDr.Pに聞いたのだが、トゥルーズは街全体がこの色なので、ピンクタウンと言うそうだ。ちょっと妖しげな名前だが、この辺りで採れるレンガの色なんだそうだ。パリとは違う異国、南国を感じさせる。

9時前にはホテルに着いて、10時に迎えに来る、と言われ、一人残された。ホテルのロビーも南国の雰囲気たっぷり。チェックインして部屋に入ると、青一色の壁で、元気な気分になる。ちょっと落ち着かないけど、、、

 

 Hotel Capoul

 

 ホテルのロビー

 

 ホテルの部屋

 

朝市のバラ

1時間くらいあるので、少しその辺を散歩。ホテルの横の道を入っていくと、キャピトル(Capitole)広場があり、朝市のテントがびっしり。そうだ、Dr.Pの結婚式なんだから、バラを買っていこう。偶然花屋があったからそう気がついて、大きな花束を作ってもらったのはいいが、値段が1,250Fだって!日本円と違って、お札の重みがピンとこない。Dr.Pのお祝いなんだから、まぁ、いいか。

 

 キャピトル広場

 

 朝市の花屋

 

 路地

 

 トゥルーズ市街地図

 

Dr.Pの結婚式

ホテルの前に並んだ椅子に座って、コーヒー飲みながら、ずいぶん待った。とっくに10時は過ぎている。聞き間違ったかな、とは思ったが、座っているしかない。30分だったか1時間だったか、座ったままで脚を組み替えるくらいで、ずっと前の広場を眺めていたけど、何もしないで、ただ座っていればいいというのが、とても贅沢に感じた。

突然、Sorry,Sorryという騒がしい声が響き、道路からではなく、頭の上にひょっこりレディの顔が現れた。「道路がすごく混んでて、ずいぶん待たせちゃって、ごめんなさいね」みたいなことを言いながら、この辺は車を停められなくて、ちょっと離れた所に停めてある、ということらしい。私の迎えのために、ずいぶん世話をかけたようだ。

どこを走ってるんだか、目的地を聞いてもどうせ分からないから、窓に拡がる田園風景を眺めながら、トゥルーズってどれだけ広いんだ?と思うくらい長い時間、ドライブして、着いたのはロラゲ(Lauragais)のサンフェリックス(Saint-Félix)という、後で調べたら東に50km程離れた所だった。

因みに仏語のrの発音は、英語のように舌を丸めて発音するのではなく、舌は平らにしたままで喉仏を振るわせて発音するので、日本人には発音も難しいが、聞き取りも難しい。例えばパリはパヒに聞こえる。ロラゲもロハゲと聞こえて、最初は地図上で探しても分からなかったが、帰国後ようやく気が付いた次第です。

さて、フランスも大地は広い、見渡す限り山がない、一本道(たぶんD2/D622 トゥルーズ道路)が少し上っていく感じになった小高い丘の上に、小さな町があった。町の中心に広場があり、正面奥に役所があって、そこが結婚式場だった。広場にはDr.Pのご両親や親族の方々が大勢集まっていた。とても良い天気で、みなさん、シャキッとした装いだけど、普通の格好で、上着を着ていない人もいたので、紺の背広にネクタイという私が一番堅苦しい格好だった。さすがにDr.Pは黒のフォーマルでビシッと決めてましたけど。

11時に役所の中の祭壇の前で結婚式が始まった、といっても牧師さんの前で宣誓して署名してお終いだったけど。日本の教会結婚式は豪華でも、なんか付けたりの感じなのに比べ、この役所の結婚式は、簡素だけど心の底から厳粛な雰囲気が漂っていた。

本人たちの署名の後に、私ともう一人Dr.Pの友人が、立会人として署名した。結婚の証人ということらしい。Dr.Pが筆ペンを用意してくれていて、アルファベットではなく、漢字で書け、と言うから、私は自分の名前を縦書きの漢字で書いた。それを見た役所のお役人が、喜色満面「我が町の署名簿に漢字が書かれたのは初めてだ。」

 

サンフェリックスの街並み

街並みといえば500m四方ほどの丘の上に、広場を囲んで民家が並び、正面に役所と郵便局があるだけ。この広場は市場にもなるらしく、大きな屋根があり、立派なマリア像がそびえている。周りの民家は特にお店というわけでもなさそうなので、この広場が貴重なお店になるのだろう。壁がバラで覆われた家もいくつかあり、石造りの街並みに潤いを与えていた。広場の奥の方にお城の跡があり、この町全体がこのお城の城壁に囲まれていたようだ。城壁の一部が今は民家になっている。

町の入口に旅館が1軒あり、Auberge du Poids Publicという長ったらしい名前、Aubergeは宿屋、Poidsは重さという意味らしいから、公共の計量宿、馬宿ってことですかね?ここには5年後にまた来る機会があり、その時は一泊したけど、民宿の温かみがあった。

 

 町の広場、右正面が役所(2000年撮影)

 

 壁のバラ(2000年撮影)

 

 Auberge du Poids Public (2000年撮影)

 

 サンフェリックス市街地図