3.2 ブリュールとボン
翌朝、6時にはホテルをチェックアウトして、8時半のルフトハンザ(Lufthansa)でヒースロー空港を出発、11時前にケルン・ボン空港に着いた。時差が1時間なので、1時間ちょっとかかったわけだ。タクシーで、ケルン(Köln)とボン(Bonn)の間にある、ブリュール(Brühl)という小さな町に、20分くらいで着いた。
仕事は、開発委託に関する打ち合わせ。ロンドンからフランス人のDr.Pが同行してくれてるが、独仏日の打ち合わせは英語。日本人は私だけ、日本語の助け船を期待できない状況では、緊張が持続する。
昼休みに、ブリュールの街を散策、道路が歩行者天国の広場(Markt)になっていて、可愛い建物が並んで、パラソルの下に椅子が並べられていて、のどかなこと。すぐ近くにアウグストゥスブルク城(Schloss Augustusburg)があり、美しい広大な庭園が広がっていた。この城は世界遺産にもなっているようだ。左右対称に設計したはずが、大工が間違って非対称に造ったので、その大工は死刑になったと聞いたけど、ほんとかしら?それにしてもこの非対称は珍しい。横面は左右対称のようだが、中央に玄関らしき入口があったので、実はそちらが正面で、庭に向いてる方は側面なのかもしれない。庭園は日本人の感性とは違うが、この城にピッタリだ。
ブリュールでの仕事を終え、Dr.Pは仏に帰ったけど、私はボンに泊まる。18時ごろ、仕事相手のドイツ人が自家用車で送ってくれた。アウトバーンをもの凄いスピードで走ったけど、滑らかで、あまり高速という感じがしない。さすがドイツ車、さすがアウトバーンだ。
ホテルはカイザー広場(Kaiserplatz)のResidenceホテル、雰囲気は英国と違って、ここは素朴な落ち着いた雰囲気、窓やカーテンのせいか、家庭的な味わいがあった。このホテルは外観もそうだが、昔からの造りをとても大切に守ってきたような、実直な感じがした。現在も、壁を塗り替えたりはしてるでしょうが、雰囲気はまったく変わってないようだ。
設備的には欧米のホテルは、日本のビジネスホテルと基本的には同じようだけど、雰囲気はずいぶん違って、お国柄が現れているような気がした。また設備的にも、似ているとはいえ、ホテルの考え方によって違う。風呂がバスタブなしのシャワーだけというのも多い。日本の風呂と違って、バスタブに湯を入れて石鹸を泡立てて浸かる、というのが私は苦手でシャワーだけあれば十分だが、ズボンプレッサーがあるのに、スリッパとか歯ブラシとか、日本ではごく普通なものがない、というのはよくある。シャンプーとか整髪料が置いてないこともあるので、旅行用のアメニティセットを持っていく方が安心です。
ライン川まで早朝散歩
翌朝は6時半に起きた。駐在員が迎えに来てくれて、朝食後、少し時間の余裕があったので、付近を案内してくれた。ミュンスター広場(Münsterplatz)のベートーベン像に敬礼して、旧市庁舎のあるマルクト広場(Marktplatz)で朝市に遭遇して、ライン川まで散歩。早朝のライン川は、静かな穏やかな、心休まる眺めだった。後で知ったが、近くにベートーベンが生まれた家(Beethoven-Haus)があったんだけど、まだ開いてない、ってことで、この辺りが早朝街歩きの難、でもだれもいなくて静かなのもなかなかいい。ボンの街並みは、田舎の都会という感じで、ロンドンのような威厳はないけど、素朴な落ち着いた雰囲気で、どこを歩いても初めてだから夢見心地だった。
この日は午前、午後とも、駐在員がずっと一緒だったので、いざとなると日本語の助け船に頼ってしまい、もちろんその方が正確なんだけど、どうも緊張感が薄れる。
快感のプロペラ機
19時少し前に空港シャトルバスで、30分程でケルン・ボン空港へ。搭乗手続きして、21時頃飛行機に乗り込むとき、地面からタラップを4~5段上って、飛行機のお尻から乗り込む、プロペラ機だ。この時期、近距離路線はプロペラ機だったんですね。思わず搭乗の列を抜け出して写真を撮った。この後の出張でも、数回プロペラ機に乗ったが、その後はジェット機になってしまった。
プロペラ機は、新婚旅行で、日本の誇るYS11に乗ったことがある。離陸時の背中をぐいぐい押される、これぞ飛行機という快感を憶えている。今回のプロペラ機も、まさにその快感だった。ジャンボジェット機は、離陸時にほとんどそういう圧力を感じない。知らない間に浮いてる、って感じだが、プロペラ機はこれでもか、という感じでぐいぐい押されて、おっ、今浮いた、というのが分かるのだ。