製作展が近づき準備に大わらわ。
私もお手伝いをしている。
私の役目は絵の展示。
準備された子ども達の絵を
壁に掲示している。
各クラスを巡ってゆくのだが、
一番傑作なのは年少児。
芸術作品が並ぶ。
子どもたちが何を描いたのか
知っているので、
何の絵かはだいたい想像がつく。
「これは白いからヤギ。」
「こっちは黒いから汽車。」
「これは赤いから消防車?」
「いえ、カニです!」
先生から突っ込みが入る。
製作展でこの絵を見た
保護者の皆さんの多くは
「こんな程度にしか描けないなんて…。」
とか
「もっとちゃんと教えてくれないと…!」
なんて思う方も多いことだろう。
随分前の話だが、
園児のお祖父ちゃんで
知り合いの方がいた。
ある時、まさにそうした指摘を受けたことがある。
「あんなもんわざわざ描かさんでも
前はもっと上手く描いていた!」
そのお祖父ちゃんは不満げだった。
私はあえて何も言わなかったが、
内心ホッとしていた。
お祖父ちゃんの言う上手な絵は
きっと、青い空にはお日様があって、
おさげの女の子や犬や猫が
描いてある絵だろう。
そうした絵は大人が
「アー描け」「コー描け」と指示したり
あるいは自分の周りを見渡して
真似をして描いた絵だ。
そこに自分の心の中は
描かれていない。
たかが絵、されど絵という話をさせてもらうなら、
例えば小中高と進むにつれて、
図画工作とか美術とかいう科目は
片隅に追いやられる。
大切なのは算国理社
あるいは英数国理社。
でもよく考えてみてほしい、
本来子ども達の描く絵は
最初のうちは実際見た物を
頭の中に蓄え、
それを整理整頓したうえで
紙の上に表現する。
だから観察力が十分でなく、
しかも再現力が未熟な
年少児の絵は
あれが精一杯だと思う。
その精一杯を保育者が認め、
褒めながら子どもの心を耕してゆく。
そうすることによって
徐々に観察力が鋭くなり、
再現力、更には表現力が
育まれ、鋭くなってゆく。
あるいは物語の絵だと
想像力も鍛えられる。
見聞きしたものを
一旦頭の中に叩き込み、
それを整理整頓して
紙の上に再現する。
こうした順序だてて考えるという
脳の働きはやがて
算国社理や英数国理社に繋がってゆく。
現に年長児の絵を見てほしい。
あんな年少児の絵を描いていた
子どもたちの絵とは思えないように
見事にいろいろなものを表現し始めている。
それは保育者である先生たちが
根気よく、辛抱強く
子どもの心を耕してきた結果だ。
だから年少児、年中児、年長児と
見比べてもらえれば
年少児の芸術作品の持つ意味の大切さを
理解してもらえるのではないかと思っている。
製作展を楽しみにしていただければと思う。