ただいま。

 

 昨日コメントいただき、そのすぐさまお返しいたしました。

 

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  昔から、太宰 治 氏はやはり「ダメ男」の定番中の定番で、あまり好きではなかったわけで。でも、今回あの場所を取材してみて思ったこと。

 

 とてもスッキリしている、素の男だと思ったわけで。色男や伊達男は、見られ方を意識して常に格好つけるもので。意識して常に格好つけるもので。

 

 格好つけない様が、逆にシンプルにかっこいいと思ったわけで。

 

 「桜桃」や太宰文学に触れてるわけではないし、知っていたのは国語の教科書の「走れメロス」くらい。だけど、自分も昔から「あそこには何かある」ということを気づいていたわけで、調べてみたら太宰 治 氏の入水現場が近くにある。そういわれていたわけだけど、そこが玉鹿石の置かれている場所といわれているわけだけど。

 

 でも、遺族の意向で秘密にされたと、自分は思っています。

 

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 下流にある、久我山用水の取水口、かつての玉川はここまで軽く水が上がっていたわけで。河川の水は、水深1メーターを越えると押し流す力が強く、いわゆる津波の中にいる状態とほぼ同じと考えていいわけで。

 

 そこでだけど、今回心霊写真をアップしたわけだけど、ちょっと怖がらせてしまったみたい。ネットで「太宰治 自縛霊」と検索してもヒットしない。実を言うと、そこに彼の意志の強さがあると思ったわけで。

 

 昔自分も小説家を目指していた時期があり、家族からの猛反対に会い、母からも「小説家は心を病んで自殺する人が多いから」とか、「生きているうちは芽が出ないし、作家をしている人はみんな死んでから有名になる」なんてことを言われたわけで。太宰治の入水自殺を持ち出して、思い留まらせるようにもしていたわけで。

 

 そんなことはどうでもいいのだけど、創作活動を始めて気づいたこと。

 

 それが、「作家を目指してます」とかみんなただの文豪オタクで、会話の内容は自分の好きな文豪のカルト話。元々活字は好きではなかったので、「好きな作家さんは誰ですか」ときかれると「いない」と答えていたし、奴らの話にも付いていけなかった。

 

 それに、小説家や作家の一番嫌なところは、自分にしか書けない、好きなことや、面白いと思うことを追求すべきと、自分は思っていたのだけど、「どこどこのコンクールに出展して、賞を取って、センセーショナルなデビューを果たして・・・」的な、金と欲望に突き動かされたいやらしい部分が見え隠れしていること。

 

 文学賞をとり、連載を持ち始めるや否や、勝利者にでもなった思い上がり連中も沢山いたし、暇つぶしに若い作家志望の子をからかうやからまでいる始末。苦労して手にした作家の職も、そんなものかと思ったわけで。

 

 また、そういう若い作家から、近代文学までを読み漁る連中も、「文学者」といえば聞こえはいいものの、ただの気持ちの悪いストーカー集団。文末の締めくくり方や、言葉の言い回しなどで、その作家の人物像を勝手に作り上げては、その作家の全てを知った風に振舞うことを、「文学」などと読んでいること。

 

 そういうやからを見ていると、作品を書き綴る喜びよりも、作品が人のエゴイズムだったり、利己主義的な民族主義だったりをオマージュさせる鏡のように見えてきてしまうということ。

 

 書けば書くほど、人間の生ぬるい「欲望」という名の壷に手を入れて、何色かも解らないヌルヌルした液体の感触を感じ続けてしまう。いくらその壷が、値段としたら屋敷一つ買えるほどの逸品だとしても、その中身にはいっているものは、押して知るべきもの。小説を書く場合、美しい壷に詰められた、その薄気味悪い真実にも触れないといけなかったわけで。

 

 しかし、文学界というのは、何時の世も同じだと思う。その薄気味悪い真実に対して、誰も向き合うこともせず、それを受け入れることこそが、「社会性」だと都合のいいことを話しているに過ぎない。それは、いわゆる「文学」という魔物との同化でもあり、人間との決裂を意味していること。そして、作家として有名になった暁には、多数の連載を持ち、金儲けに興じるために、作家としての自分を演じ始めることこそを「創作」と位置づけて、「小説」という名の造幣を行う。

 

 そう思うと、なんてこっけいな職業じゃないのか・・・と。

 

 三鷹で霊現象にあってた当時は、けっこうそういうことを考えながら、小説を書いていたわけで。実際にどんな現象があったのかというと、今は広場として整備されたところに、一軒の材木屋があったわけで。その隣の家のガラス扉を大声を上げながら叩く人の姿。

 

 自分しか見えてないらしく、周りの人は無反応。そのときはあの地で太宰 治 氏が入水自殺した。なんてことは知る由もなく。そんなことがあって以来、「あそこは何かある」と思っていたわけで。

 

 つまり、自分は思ったのだけど、「文学」という名の魔物に同化し、人間とは決裂した生き物になった者には、ここに太宰 治 という作家が自縛霊としてい続けてることは、誰も気づかなかったわけで。

 

 ただ、転生した妻、石原 美知子さんをただ待ちわびている桜が、

 

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 昨日のこの写真。折角だから、「美知子桜」と命名することに。前世で妻だった最愛の相手を母として生まれて・・・

 

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 この桜は、富栄桜と命名。来世での結婚相手。自分の役目は、転生した美知子さんをここに誘う事だと、思ったわけで。そして、その出会いを受けて、この桜は縁結びの桜、永遠の愛の結び手として、名を馳せることを望んでいるだけなんですから。自縛霊というと、かなり怖いかもしれないですが、そんなロマンチックな自縛霊も、太宰先生らしいと自分は思って、敬愛の念を持ってお伝えしたというわけです。

 

 文学を敬愛し、人間を愛でる美しい心があれば、幸運を授けてくれる・・・神様のような自縛霊。それが、文豪、太宰 治 氏の自縛霊なのですから。

 

来月12月9日。

 

 東京の開運、パワースポットとしてこれからその名を轟かせるであろう、国分寺駅徒歩3分の場所で、更に進化した「36万億の極楽世界プログラム」を実施します。他のヒーラーさんですが、大概のセッションは見ていて解ります。お客さんが変わっても、同じ手順、同じ道具、同じパワーバランスで行っていて、ただの流れ作業でした。しかも、「ああこれは治してないなあ」というのも、開野にはわかります。本当に、「学校で習ったこと以上をしてないなあ」って思うわけで。中には見ててあからさまな手抜きとわかる人まで。イベントはそういう意味で面白いです。

 

 つまり、どのスクールを卒業したとしても、スキルアップと能力アップ、セッションをするときの装備品の充実など、総合的にレベルアップしていかなければ、

 

 なので、開野は誓います。流れ作業ではなく、そのつど、お客様の状態に合わせて、使う道具、手法を変えます。

 

 今回の36万億の極楽世界プログラムは、一味も弐味も違います。必ず、かつてない極上のヒールパワーをお届けできますので、通常料金2500円なのですが、ぜひ無料券、1000円割引券をお持ちの方、この会場でもお使いいただけますので、ぜひお越しの程をお待ちしております。

 

 実感と満足の25分間を、ご体感ください。

 

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12月9(日)『わくわく癒しカフェ』

年内最終開催です。

 

11:00~16:00

煙の下(国分寺)

入場無料

 

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 ただ、この会はとても安全な集まりですが、主催者側がどんなに配慮したとしても、時々冒頭でお話したような、危険な人も紛れ込んでいる可能性も否定できないので、このようなスピリチュアル系のイベントに脚をお運びの際は、必ず御守を持参の上、お越しになることをお勧めいたします。

 

 また、他のイベントでの霊障事故についても、ご相談を受け付けています。

 

 気功、占いセッションの予約、お問い合わせ先

 

 開野 亘

 メール nekonome_sa@yahoo.co.jp

 携帯  080-5170-0072