こんにちは、アケノです


近所の人と話しして、父が相当な承認欲求を持つ人だと分かったわけで。


ハッキリいうが、父の会社は良くて中小企業のCランクです。それも、最盛期を基準にして。


近所の人には、あたかも取引先の大企業、TOPPANと肩を並べるようなことを言っていたが、最盛期でも従業員は25名を超えたことはありません。


何故なら、長男がしっかりしていて、取引先のTOPPANから持続経営可能な事業者として信用をえていたからです。


それが、父の経営能力のなさが露呈し、世代交代が危ぶまれると、取引先は撤退を始めたわけです。


長男が父の嫌がらせや束縛に耐えかね、自殺した後、私が会社の建直しにかかり成功するものの、厄介なお荷物がついた。


それが、次男です。次男は子供の頃から、実家の事業には興味がなく、経営能力もなかった。社員に取り入り、指示を獲得しようとした。


私とは真逆で、社員とは関わらず、従業員と経営者の立場では、一線をおいていた。どうせ経営理論を社員に話しても、わからないから。父に告げ口されるのがオチ。


そうです。何処にでもあるつまらない中小企業なんです。そんな、何処にでもあるつまらない中小企業の社長。父が承認欲求を得ようとしたのが、自社には到底必要としない経営知識の数々。


無駄な知識の全ては、実務に生かされることなく、5人、10人と従業員は離れて行き、今では4人にまで減少。


父は超大企業の専門知識を持つことで、会社を大きく見せようとしていたが、それが実績に反映されることはなかった。


その実態は、パチンコ中毒のごく普通の零細企業の社長。家族の協力がなければ、何も出来ない男。


それがその正体

兄貴と口喧嘩すると、捲し立てるだけ捲し立てる。


そして、いつも思うこと。


「ああ…本当に自分が愛した兄じゃない。本当の赤の他人なんだなぁ」と。

 9月1日は、三浦理恵子サンの誕生日。演劇部の後輩です。


おめでとうございます。暫く同い年ですか…


こんにちは、アケノです。


 皆さんは夏休みの宿題済ませましたか?


「五十路なのに学生?」っていわれそうだけど、しっかりあります。


仏事では、令和5年7月14日に他界した叔父の三回忌法要と埋葬の一緒に、長男の16回忌、父の三回忌法要をまとめて行ったり、次男が家督を継いだつもりになっている、会社のこと。


叔父はその会社の取締役だったので、死亡と専任登記をしなくてはならなかった。


父と叔父の相続登記や、斜陽経営化した会社を立て直すための事業計画の見直しとか。


その中でも一番重要なのが、会社の登記上の問題。登記を怠ると会社法に抵触し、刑事罰を受ける可能性が出てきます。例えば、決済自体が無効となる他、取締役死亡では取締役会も開催できないので、自分の役員報酬を増額した場合には、背任罪や業務上横領、取引先については偽計業務妨害などの罪に問われます。


役員死亡については、去年の12月に発覚しているので、その時に決済を白紙撤回し、役員人事をすれば役員死亡隠蔽は1年半で済み、何の問題にもならない案件だった。


学生の宿題未提出は、単位や偏差値を落とすだけで住むのだが、大人が宿題を未提出にした場合。犯罪となったり、社会的地位や信用を失います。


さてさて、どーなることかやなぁ

こんにちは、アケノです


実を言うと、体調がものすごく悪い。酷い倦怠感で、実は食欲もあまりまりません。何が原因か…思い当たる節はあれしかなくて…。


あれは、平成最後の年、平成31年3月のこと。転落事故にあって頭蓋骨骨折、外傷性くも膜下出血で1週間ほど入院したことが。


何回も臨死経験しているし、もしかすると、今感じている体調不良はかなりやばいと思います。


それにしてもです。


今振り返るとサイテーな人生を送ってきたなぁ。と。



アケノには一つ年上の兄がいる。父も母も死んだから、お互い唯一無二の血を分けた肉親として、互いの存在を大切にしないといけない。


そうでなくとも、絆をほどいてはいけないと思う。


兄は高校を卒業すると、すぐに大学浪人を自称する何処にでもいるフリーターになった。1年ブラブラしていて、見かねた父が一喝。


語学堪能だったため、実家の新規事業としてヘリの事業用免許の取得を言い渡され、カリフォルニアに。その頃ちょうどアケノは情報処理の専門学校に進学した。


あの頃は本当に良い時代だった。専門学校は新大久保にあったのだが、まだまだ昭和の情緒が残っていて、大久保通りの角には、肉屋さんが揚げるコロッケとか売ってて。定番はそのコロッケとお向かいの甘味処のおにぎりが定番だった。


兄のライセンス取得と、自分の進学に、長男はミシガン州立大学への入学。そんな大変な時期に、次男の大豪遊が始まった。


ヘリの事業用免許半年間のカリキュラムで、食事付き1000万円ぐらいで取得できるはずだった。


が…ファミリーカードで毎月のショッピング20万円、キャッシングは毎月20万円〜30万円にのぼった。約束の半年が近づくと、「ヘリの事業用免許は難しい」だの「英会話が…」だのと言い訳を付けて、もう半年。

年収600万円。随分と高待遇。


私は、長男の夢をとても応援していたので、チョット学費の高かった専門学校を中退し、実家に就職するという形で家事や会社の手伝いに入った。


その頃、次男のカリフォルニアでの大豪遊の煽りを受け、祖母の役員報酬が大幅に減額され、父は祖母に8万円を小遣いとして渡すことで同意。


しかし、その8万円の出所はと言うと、私の給料10万円からだった。


その同時期、見栄っ張りは父は「日本人として、戦争犯罪に向き合わなくては」と、何名もの中国人留学生の身元保証人になり、彼らたちに施しをしている。


当然、私から反感買わないわけがない。


母は私に…


「お母さん貧乏しても構わないから、アンタの事応援してる」「次男が帰ってきたら、お前の好きなようにさせてやるから」


と、いつも励ましてくれた。そして、もう、約束の半年が過ぎても、「あともう少しで取得できそうだ」と。


ある日、兄は自称ガンマンだったから、仲間と連れ合い、ラスベガスの射撃場にゆき、ディナーを賭けた勝負を挑んだ。


結果ボロ負けで、ディナー代10万円を親に押し付ける始末。


そんなこんなで3年。結果が出なくて「もう半年」とせがむが、流石にそこまで甘くなかった。父は航空会社に勤務させて実務経験を積ませたあと、実家に還元する予定だったが、総額8000万円が潰えただけに終わった。


長男も大学を卒業し、帰国後、長男と次男、私とであった時、何故か長男がニヤニヤしながら「オヤジ早く死なねぇかな」と呟いた。次男は小躍りしながら喜んだ。私は単に悲しかった。


そして、父と次男は大喧嘩。あろうことか「長男がオヤジ早く死なねぇかなって言ってたよ!」とか言ったんだろう。


父は次男を叩き出す時に、部屋を借りる資金として1:00万円を渡してる。そんな次男の人柄も、長男は好きではなかった。


自分としては、卒業してからのブランクを長引かせたくなく、早い時期に新卒扱いに近い状態で就職したかったが、


「お前を何処に出しても恥ずかしくないようにしてからだ!」


とか、


「都内の地理を完璧にマスターしてからだ!」


と、自分の商売に潰しの利く仕事しか、認めようとしなかった。


まあ…それでもそれなりに好きなようには出来たが、次男のヘリのドロップアウトにかかった8000万円ほどはかけさせてもらっていない。


そして、病院の仕事を辞めてマトモになったと思った次男は、レノン様となって実家に横滑りをする。


その頃になると、職を転々とした経験。それも、父の激しい嫌がらせにあい、精神的に長続きしないから。何度も「疲れて返ってくるんだから、ゆっくり休ませてくれ」といっても、それが、狂犬にとっては獲物を弱らせる良い餌として取られ、荒れ狂う凶犬と化した父には「喰い殺してくれ」と言っているのも同じだった。


次男が何故実家の仕事についたのか。それは、先に述べた通り、凶犬の一番の被害者は長男で、まさしく父に咬み殺された。


長男の死後、アケノもパソコンを勉強し直し、データ収集や取引先との交渉もうまく行き、稼いだ金は殆ど社員に流れた。


色々と、ブラック企業にも務めた経験から言って、実家の会社が何処よりも酷いブラック企業だと思った。


次男は、私がいると成長しない…子供を見るようなもの。


世の中のタブーは、子供の前では大人の悪口は言わないもの。しかし…父は違った。次男は子供の前では虚勢を張り


「あー…なんてこんなみっともない人が自分の兄なのか?」


と思うと嘆かわしくてどうしようもない。


喧嘩に勝つためであれば、ふたりとも手段を選ばない人。


そして、3年前、父は死んだ。


そこから1年もしないうちに、取締役でもあった叔父が死亡。


そして、本来なら先月、叔父の三回忌法要を7月14日の命日に合わせて執り行わなくてはならない。


喧嘩に勝ちたい一心で我を張り続けた結果がこれです





あのさぁ…明らかに、頭のおかしい人が現れて、誰の資金援助もなくテメーの資金で革命起こせ!



なんて…頭トチ狂った事書くのは止めて下さい。


そういう思想に関与するつもりは一切ありません

今日は、再び開業を目指しつつ、作品制作に余念がありません。


しかし…第四世界の使徒さん。


革命ならその一歩手前。クーデターなら完遂してます。あの、中国日本人学校で、邦人男児が惨殺された際、日本光彩魔法軍を中国に対して国軍認定する際、Xに展開するトランプアーミーと友軍申請した。


何が目的かと言うと、日中紛争、開戦の主導権を岸田政権、バイデン政権、両政権から日本光彩魔法軍、トランプアーミーが奪取することが目的です。


コレにより、両国の軍事、防衛指揮権はトランプ大統領と私に移譲されているため、日本政府は何の権限もないことになります。


クーデターから革命へと踏み出すことは、私は考えていません。


結局、軍とタレントは名乗ったものがち。他国の国家が承認すれば、一人でも軍人です。なのですが、そこまで革命を推すのであれば、チャールズ王に掛け合い、ロイヤルメンバーシップカードを発行してみて下さい。

ハッキリ言って疲れました。十年前の伊藤家(本名で書くことは始めてかなぁ)には、なんでも細かくすりつぶしてしまう石臼があり、パチンコに負けだ腹いせに父がそれを回し続けるような毎日。

それを集めて、お城を作ろうとしても、サラサラな砂のようで、かき集めてもすぐに崩れてしまう。

以下、父=あの爺さんと呼びます。

社員も、あの爺さんのことが絶対的存在で、私はあの爺さんと次男にとっては、奴隷のような存在。

「俺がこの会社を支え続けてきた」と、周りにはそう話し、私を絶対服従させる為に、孫の前でもあの爺さんは私を平気で罵った。

当然、何も言い返さない。それは、良いおっさんのすることではなかったから。あの爺さんは、ケンカに勝てるものなら、なんでも口に出した。

何故喧嘩したのか?それは、会社経営と奴隷服従を受け入れることを天秤に掛けたら、あの爺さんの乱脈経営では、すぐに破綻することがわかっていたから。

そして、何度も警告した。

また、あの爺さんの弟である叔父。令和5年7月14日が命日。叔父には経営について随分相談したが、母に「(あの爺さんに筒抜だから)やめたほうがいい」と言われたが、叔父は私にコントロールされている事を知りつつ、兄であるあの爺さんをコントロールしていた。

あの時は毎月100万円、社員の倍以上稼ぎ、全部社員にばら撒かれた。社員に配る弁当の食材も、その多くが私が仕入れたもの。

だから、自分が稼いだ中から、70万円、社員の給料に充てた。あの爺さんの手腕などでは決してなかった。

それでも、会社と伊藤家を守る事が、自分の努めだと思った。その間、横滑りで入ってきた次男は、「私が一番伊東家で正しい判断ができる」と豪語し、持論を展開。

次男も、あの爺さんの悪い所を凝縮したタイプで、社員を使い粗探しをして、次男も私を奴隷として扱った。

なので、次男のスキルアップを目的に、私が運転手(1日の走行距離は300〜400km)の傍らで行っている事務作業を3年かけて一つずつ投げ出していった。

次男があの爺さんに叱られないように、車両の日常点検票にチェックを付けて置いてたり、携帯電話のカレンダーに、次男が担当する社用車のオイル交換にアラームが鳴るようにして、洗車とオイル交換とかもした。

次男の長男が私の部屋から高級腕時計を持ち出した日、流石に本人もいけないことをした事をわかっていたのか、私に近づきたくない理由を「おじさんが怖いから」とか言い訳し、長男から預かった時計を「私の倅が気に入っているから」と言い、母には兄弟喧嘩を避けるために、つまらない作り話まで作って、説得させようとした。

人の物を勝手に持ち出すことは悪いことだが、多分、母親の物を勝手に持ち出した時「人の物を勝手に持ち出すのは泥棒と同じなのよ!」と、激しく叱られていたのを思い出し、叔父も同じ様に怒鳴りつけると思ったのだろう。

しかし、そんな事をするつもりは初めからなく、事情を包み隠さず話してくれたら、甥が二十歳になったその時、譲っても構わないと思ってた。

次男は、なんでも隠し事をする人。「こんなんで本当に跡取り務まるのかなぁ」と思っていたが、彼の服装はエスニカンなヒッピー風で、ジョン・レノンの大ファン。仕事中はいつも超絶にダサいニット帽や…この頃はそのダサさがこのブログでもネタにされるので、キャスケットにしたみたいだが…

ハゲを隠すため…かと思いきや、ワンレンのソフトパーマを隠すため。夜のパブでレノン樣になりきるためだった。

仕事の方はどうなのかと言うと、私が母と一生懸命働いていた頃は、年商一億程度あり、あの爺さんは、毎日七時になると、「よーし稼いでくるかなぁ」と言ってはパチンコに明け暮れていた。

あの爺さんは、「経営者は孤独だ」が口癖だったが、私からしてみれば、あの爺さんと次男の奴隷化、稼いだお金は社員にばら撒き、入れ替えなくていい車まで入れ替えるなど、乱脈経営の資金に使われ、毎日母と私には罵詈雑言の嵐。

私のほうがあの爺さんよりも孤独だと思う。

しかし、それは客観的な視点であり、つるむのが元々煩わしかったので、別に問題でもなかった。

あの爺さんとは、男同士の決着を付けなくちゃ。とは思ったが、殴り合いの喧嘩の時は、いつも母が間に入った。

それで、近所の人には、私の悪い噂を撒いてまわる。そして、自分が如何に天才経営者かを自負して回った。

この天才経営者のお陰で、社員だけが得をした。そして、その天才経営者と、その弟、次男の3人体制で、年商一億あった会社はどうなったのかと言うと、転落の一途を辿った。

母は7年前に亡くなったが、その葬式の時、あの爺さんの話題は、自分が如何に称賛されるべき有能な経営者か。という自慢話だった。

そして、数日後、あの爺さんは満面の笑みを浮かべて、母の相続放棄の書類に署名捺印を求めて来た。

印鑑をつくと、あの爺さんは更に上機嫌。千万円の保険金が入るからだ。

丁度その時、あの爺さんは、白血病を患い、余命は長くなかった。

あの爺さんは、白血病や母の肺がんは、私の飼っているオカメインコのせいだと決めつけ、「お前がお母さん殺した!」と罵った。

だから、本当のことを教えた。あの爺さんは、衣類防虫剤の成分がベンゼン環からなる化学物質であり、発ガン性物質である事や、タバコのヤニやホコリが、呼吸器疾患の元となることを伝えた。

「豊洲市場で問題になった発ガン性物質だよ」と。

すると、2度と飼い鳥はしなくなり、絶望の淵に沈んだ。

そして、私と同じ様に罵詈雑言に苦しみ、自殺した長男の誕生日と同じ日の一ヶ月前に当る8月29日の夜。

深い絶望の淵に呑まれる様にあの爺さんは死んだ。

私が辞め、母も亡くなった会社は転落の一途を辿り、取締役を務める叔父も、1年を待たず、追うように死んだ

結局、叔父も最期は苦しみ、好き勝手出来ることなくこの世を去り、年商一億円以上あった会社もいまや、取締役不在隠蔽の絶賛違法営業中となり、半分以下の4000万円程度に。

経営は大失敗に。


あの爺さんの口癖は、「オレの言う事が100%正しい」それがこの結果です。

一昨日は置き去りにされているはずはない。と思ってた叔父のメルセデス。令和6年6月に車検切れのまま放置車扱いだった。

実家には、使われなくなった社用が3台。廃車手続きの場合は、法人所有の為に確認書類として、登記簿謄本などの提出が求められるが、その場合は、会社法違反がバレてしまうからだ。


見事な砂のお城です。


そんなこんなで、もうすぐ終わりかと思います


サヨウナラ


最低の人々よ


こんにちは、アケノです


今回の米騒動。色々とありましたね。




 

 


まあ…この本もよろしく。それにしても、本が嫌いなアケノが作家を目指しているとは…。


アケノも、日本光彩魔法軍 元帥として活動しているのですが、今回の米騒動を受け、2月11日、自民党に軍令を出しました。


内容は、正規流通品の古米が適正価格の640円/Kgで販売されている事実を踏まえ、米の過当競争に持ち込め。


また、それに関係するデマや風評を是正せよ。


と、言うもの。


あくまでも客観的な証拠を明示した上でやらないとまったく意味がないので。


正規流通品が640円/Kgで入れば、ヤミ米業界が買い漁った21万トン。これが値崩れします。


24年度米の農協卸値平均411円/Kgなので、恐らく平均仕入れ価格は600円/Kg


すると、農協卸値平均よりも1.7倍で購入していることになります。


コレにまた1.7倍すると、1020円/kgなので、ちょうど現在販売されている価格と同じになります。


ヤミ米業者の卸売が1.5倍として計算した場合、900円/Kg、100円の利益に対して、1020円/Kgで販売したとして、消費者ニースを踏まえると11.8%、120円/Kgの利益しかありません。


全体の中売り、小売価格を合わせた利益率は、59%です。


ここで21万トンの備蓄量放出により、23年度米の農協卸値平均が264円なので、300円/Kgで卸売された場合…同じ計算をしてみる。


仲卸価格≒300×1.7


449円


小売価格≒499×1.7


848円/Kgとなり、5キロで4241円


実際には高騰する前、2020年度米の農協卸値平均は、242円/Kgなので、22円/Kgマイナスで計算


278円/Kg×1.7≒472円/Kg


472円/Kg×1.7≒802円/Kg


5キロで4012円がヤミ米価格の限界だが、この数字を利用し、アケノが購入したお米を2023年度米と仮定し、利益率を計算してみる。

(278÷640)×100


43%とでました。すると、ヤミ米価格では58%と出ました。


つまり、適正価格と比較した場合、2割ほど高い。ということなので、政府の言う「3割4割安は当たり前!」というのは、卸売利益を低く見積もれば可能ですね








澄んだ目で、兄から「こんばんは」と言われたこと。自分は無駄な意地を張りすぎて、長男に謝ることもできずに見送った。


私の叔父が、私の信じた叔父であるなら、臨終に最期の挨拶。「ごめんなさい。」と「ありがとう」を言えなかったことを後悔していると思います。


そして、叔父との絆が途絶えたことも、私は悲しいことだと思いません。因果応報、悪因悪果だと思い、すでに気持ちの整理はついています。


苦難の末に手に入れた数々の知識やノウハウは、当家を支えるとても誇らし財産だと言って過言ではありません


臨終の挨拶は、常に謝罪と感謝の気持だと思います。だけど、できれば謝罪よりも、感謝の気持で締めくくりたいとき。


罪滅ぼしが出来るまでは、絶対に死んではならないのてます。