ハッキリ言って疲れました。十年前の伊藤家(本名で書くことは始めてかなぁ)には、なんでも細かくすりつぶしてしまう石臼があり、パチンコに負けだ腹いせに父がそれを回し続けるような毎日。
それを集めて、お城を作ろうとしても、サラサラな砂のようで、かき集めてもすぐに崩れてしまう。
以下、父=あの爺さんと呼びます。
社員も、あの爺さんのことが絶対的存在で、私はあの爺さんと次男にとっては、奴隷のような存在。
「俺がこの会社を支え続けてきた」と、周りにはそう話し、私を絶対服従させる為に、孫の前でもあの爺さんは私を平気で罵った。
当然、何も言い返さない。それは、良いおっさんのすることではなかったから。あの爺さんは、ケンカに勝てるものなら、なんでも口に出した。
何故喧嘩したのか?それは、会社経営と奴隷服従を受け入れることを天秤に掛けたら、あの爺さんの乱脈経営では、すぐに破綻することがわかっていたから。
そして、何度も警告した。
また、あの爺さんの弟である叔父。令和5年7月14日が命日。叔父には経営について随分相談したが、母に「(あの爺さんに筒抜だから)やめたほうがいい」と言われたが、叔父は私にコントロールされている事を知りつつ、兄であるあの爺さんをコントロールしていた。
あの時は毎月100万円、社員の倍以上稼ぎ、全部社員にばら撒かれた。社員に配る弁当の食材も、その多くが私が仕入れたもの。
だから、自分が稼いだ中から、70万円、社員の給料に充てた。あの爺さんの手腕などでは決してなかった。
それでも、会社と伊藤家を守る事が、自分の努めだと思った。その間、横滑りで入ってきた次男は、「私が一番伊東家で正しい判断ができる」と豪語し、持論を展開。
次男も、あの爺さんの悪い所を凝縮したタイプで、社員を使い粗探しをして、次男も私を奴隷として扱った。
なので、次男のスキルアップを目的に、私が運転手(1日の走行距離は300〜400km)の傍らで行っている事務作業を3年かけて一つずつ投げ出していった。
次男があの爺さんに叱られないように、車両の日常点検票にチェックを付けて置いてたり、携帯電話のカレンダーに、次男が担当する社用車のオイル交換にアラームが鳴るようにして、洗車とオイル交換とかもした。
次男の長男が私の部屋から高級腕時計を持ち出した日、流石に本人もいけないことをした事をわかっていたのか、私に近づきたくない理由を「おじさんが怖いから」とか言い訳し、長男から預かった時計を「私の倅が気に入っているから」と言い、母には兄弟喧嘩を避けるために、つまらない作り話まで作って、説得させようとした。
人の物を勝手に持ち出すことは悪いことだが、多分、母親の物を勝手に持ち出した時「人の物を勝手に持ち出すのは泥棒と同じなのよ!」と、激しく叱られていたのを思い出し、叔父も同じ様に怒鳴りつけると思ったのだろう。
しかし、そんな事をするつもりは初めからなく、事情を包み隠さず話してくれたら、甥が二十歳になったその時、譲っても構わないと思ってた。
次男は、なんでも隠し事をする人。「こんなんで本当に跡取り務まるのかなぁ」と思っていたが、彼の服装はエスニカンなヒッピー風で、ジョン・レノンの大ファン。仕事中はいつも超絶にダサいニット帽や…この頃はそのダサさがこのブログでもネタにされるので、キャスケットにしたみたいだが…
ハゲを隠すため…かと思いきや、ワンレンのソフトパーマを隠すため。夜のパブでレノン樣になりきるためだった。
仕事の方はどうなのかと言うと、私が母と一生懸命働いていた頃は、年商一億程度あり、あの爺さんは、毎日七時になると、「よーし稼いでくるかなぁ」と言ってはパチンコに明け暮れていた。
あの爺さんは、「経営者は孤独だ」が口癖だったが、私からしてみれば、あの爺さんと次男の奴隷化、稼いだお金は社員にばら撒き、入れ替えなくていい車まで入れ替えるなど、乱脈経営の資金に使われ、毎日母と私には罵詈雑言の嵐。
私のほうがあの爺さんよりも孤独だと思う。
しかし、それは客観的な視点であり、つるむのが元々煩わしかったので、別に問題でもなかった。
あの爺さんとは、男同士の決着を付けなくちゃ。とは思ったが、殴り合いの喧嘩の時は、いつも母が間に入った。
それで、近所の人には、私の悪い噂を撒いてまわる。そして、自分が如何に天才経営者かを自負して回った。
この天才経営者のお陰で、社員だけが得をした。そして、その天才経営者と、その弟、次男の3人体制で、年商一億あった会社はどうなったのかと言うと、転落の一途を辿った。
母は7年前に亡くなったが、その葬式の時、あの爺さんの話題は、自分が如何に称賛されるべき有能な経営者か。という自慢話だった。
そして、数日後、あの爺さんは満面の笑みを浮かべて、母の相続放棄の書類に署名捺印を求めて来た。
印鑑をつくと、あの爺さんは更に上機嫌。千万円の保険金が入るからだ。
丁度その時、あの爺さんは、白血病を患い、余命は長くなかった。
あの爺さんは、白血病や母の肺がんは、私の飼っているオカメインコのせいだと決めつけ、「お前がお母さん殺した!」と罵った。
だから、本当のことを教えた。あの爺さんは、衣類防虫剤の成分がベンゼン環からなる化学物質であり、発ガン性物質である事や、タバコのヤニやホコリが、呼吸器疾患の元となることを伝えた。
「豊洲市場で問題になった発ガン性物質だよ」と。
すると、2度と飼い鳥はしなくなり、絶望の淵に沈んだ。
そして、私と同じ様に罵詈雑言に苦しみ、自殺した長男の誕生日と同じ日の一ヶ月前に当る8月29日の夜。
深い絶望の淵に呑まれる様にあの爺さんは死んだ。
私が辞め、母も亡くなった会社は転落の一途を辿り、取締役を務める叔父も、1年を待たず、追うように死んだ
結局、叔父も最期は苦しみ、好き勝手出来ることなくこの世を去り、年商一億円以上あった会社もいまや、取締役不在隠蔽の絶賛違法営業中となり、半分以下の4000万円程度に。
経営は大失敗に。
あの爺さんの口癖は、「オレの言う事が100%正しい」それがこの結果です。
一昨日は置き去りにされているはずはない。と思ってた叔父のメルセデス。令和6年6月に車検切れのまま放置車扱いだった。
実家には、使われなくなった社用が3台。廃車手続きの場合は、法人所有の為に確認書類として、登記簿謄本などの提出が求められるが、その場合は、会社法違反がバレてしまうからだ。
見事な砂のお城です。
そんなこんなで、もうすぐ終わりかと思います
サヨウナラ
最低の人々よ