先達って他界さられたガレージハウスのオーナー 鳥居実さんを偲び、昨日 4月27日追悼走行会が催された。

 

”ガレージハウスくげぬま” は藤沢から江ノ電で約5分 ”鵠沼(くげぬま)”下車。

コースは 変型8の字レイアウトCarrera 製6レーン、1/24フルサイズも走行可能。

電流値※が高くないのでマブチFT-26Dや36Dは少し苦しいが、十年振りにフリー走行を楽しめた。

(※電圧は約15Vと高め

 懐かしい鵠沼のコース、久々に持ち込んだのはシリコンタイヤ装着の60sコレクション。

     ファインモデル(独)製のローラとストロンベッカー(米国)製のチータ。

     いずれも’66年わらべ社製シャーシ+FT-26Dに鳥居さんから入手したボディを載せたもの。

   

鳥居さんのコレクション、ストロンベッカー製マッキーSpl.  

     実車は、550Kgの車体に700馬力のOldsMobileパワーの凄まじさ、68年CAN-AM出場G7。

    ミレニアム前に数度カナダに出張してるうち休日は街の玩具屋をうろつくようになった頃、

     鳥居コレクションと同じストロンベッカーのシリーズ品、マトラやシャドウ等みつけた。

    ストロンベッカーは90年代まで作られていたかも知れない。

 

同じく鳥居さんのコレクション、タミヤのB型シャーシキットも壁に掛けられていた。

     当時A型ほど成功しなかったが、バリエーションは楽しいものだ。


追悼レースは規模を考慮し1/32GTクラスで行われた。

有志7名がレースに参加、No.5コースが光電管不調のため1レーン減らして走行。

  左からYMZ氏ポルシェ904,YSM氏シャパラル2A、FJ氏ラングクーパー、SB氏フェラーリ275、US氏フェラーリ250 

  

狭いながらも、否、狭さゆえに気遣いやフレンドシップも近くなる。

    昭和3~40年代のクラブマンコースや釣堀のイメージを思い出す。

最速タイムは走り慣れた常連SB氏、迫力ある走りだ。

 

(左)SZ氏のコレクション、フォードコブラはRTRとの事。

      (右)YSM氏コレクションは32サイズも豊富、オープンのS800も。

 

レースの方は、コースアウトしたらノーポイントの着順合計。

途中で止まったりとレーンコンディションは今一つだったが、

そんな中でも”走る教科書”の如くUS氏が優勝。

自分も、コンディションのせいにしないで見習いたいトコロ。

また今回は、レース自体目的ではないギャザリングだが、

当日のガレージハウスは幾人ものビジターで溢れかえっていた。

そんな人たちから優しかったオーナーの人柄を思い出してしまう。

 

今は昔、左端が鳥居さん、隣のサムアップが私、右端は60sのレジェンド鳥海さん。

 

      あの頃 皆んな 若かった...

 

鳥居さんにとって直近にして最後のカスタマー”タカト君” 素敵なお母様とご来訪。

私のクーパーとシャパラルを手に微笑んでくれたタカちゃん。屈託ない笑顔が最高!

 

何分にも若年層がレアなスロットカー、年季の入ったマニア達は喜んでコーチング。

スロットカーズモデリングで知られるYSM氏は自らゴッドハンドでFLYのボディ組み、

現役第一人者 US氏がキットカーのマウント₌ガタ出しのコツを説明。

(ボディとシャーシをユルく付けることで特に32クラスは凸凹の吸収やロールにより走り易くなる。

大昔からの事だが、 出来る事なら”個体発生は系統発生を繰り返す”手順を踏みたいトコロ。

一度ストレート組んで走らせた後、次にガタ出しして走ると効果や程度の感覚が身につくからだ。

.. まぁ私を含め老体には先がないから、ついこうして若いスロットファンに色々と詰込んでしまう。

タカちゃん、ご容赦下さいね)

もし彼のような若いマニアが、この先、町田のレーシングパラダイスに来てくれるようならスロットカーの未来も明るい.. なんて期待してしまう。

 

私も小学生の頃、神谷町フィスコクラブで遊ばせてもらった記憶がある。

.. 鵠沼同様、小さなクラブマンサーキットは身近な楽しさが溢れている。

また、母にねだって連れてってもらった大きなサーキットもいい思い出だ。

東京タワーサーキット、白金レースウェイ、赤坂テアトル等々..。

広々した営業サーキットは純粋なコンペティションの醍醐味が味わえた。

(後にひとりでバスを乗り継いで等々力リバーサイド、スガモサーキット、武蔵小山にも足を延ばした

そんな思い出があるから、今は母の我儘や言う事も笑って聞いていられるのかも、と思う事がある。

 

物心つくまえの自分と父母、自分がトシをとると古き良き時代を理解できる。

 

(左) 本日の参加者一行の帰り道、黄昏の鵠沼をあとにする。

       (右) 単線の江ノ電、今時存在するからこそのエモーショナルな情景。

       私が生まれ育った”三丁目の夕日”に照らされた都電が思い出される。