最近、走りたい気持があっても走行距離が伸びない。
炎天下のライディングは、老体だけでなくバイクにも厳しいと案じてしまう。
そんな暑さ増しの日々に 夏の涼 シェイクでも ティム・シェンケンでもない。
SHAKEN の季節が35才の我がスズキVX800にもやってきた。
< 車検準備 >
現在のミニカウルは 伊Road Racing社製のH3電球タテ2灯”Alien"。
約20年前カジバラプトール1000用に町田のガルーダで買ったもの。
逆車とはいえVXは型式認定ある国産だし光軸調整も楽なのでノーマルに戻す。
マウントは2枚のスペーサーだけでピッタリ合うので、交換自体は簡単。
唯、前ウィンカーをポジション兼用、つまりウィポジにしてるので内部配線が結構メンドウ。
そうは云ってもポジに考えれば、アタマの体操にはうってつけ。
< ミニカウル >
カジバの時はH4一灯からH3の2灯カウルにしても問題なく車検通ったが、
公務員にインネン付けられないよう車検時はH4の丸目一灯に戻している。
ノーマルに戻すだけなのだが、たまにはカウルも外してみるモンだ。
というのも、その2灯のポジションランプ用追加線の腐食に気付いたから。
Lo/Hi両方を使うために追加したものだが、切れかかってたので付け直し。
やはり安全のためには腐食原因になるフラックスよりも松脂ペーストがいい。
(.. だよね?カネちゃん スロットカー INDY )
ついでに端子が入るコネクタも新しくした。
抜け止めフックは元々不用だから、ツメない硬質プラのものに。
< タイヤ交換 >
昔は心証良くなるので黄ペイントでキャリパーボルト増し〆マークとか塗っていた。
昨今は試験官のご機嫌伺う必要ないドライなご時世、タイヤ溝も十分残ってたが、
この機会にと交換 (..したら前回の3割増、約7万円!..恐るべし物価高)
板橋の老舗テクニタップから独立された工藤さんの店”テクニタップさいたま”に。
丁度VX800用サイズがラインナップに追加されたBSのT33に交換してもらった。
< 車検持込 >
近頃不安定な天気の日本の夏場ながら、車検予約日は運よく雨にも合わず助かった。
最初にブレーキランプやウィンカーの点灯、ホーン動作確認などは従前同様。
昔はやらなかった事だが、試験官がハンドル末端巾と全長をメジャーでチェック。
それらが終わると、ブレーキテストへの進入ガイドをしてくれた。
前後ブレーキ、ヘッドライト光軸テストが終われば検査機器もなくなる。
以前は検査ラインの出口脇にあるBOX窓口で終了印をもらったが、無人だったのでそのまま事務所に書類を持って行った。
試験官は年々減ってるんだな~と思いながら車検証をもらえるのを待っていたら、女性事務員からもう一度ハンコをもらってとの指示。
端っこのバイク用検査ラインのBOXは無人だが、ふたつ隣りの四輪ラインのBOXに人がいると教わり、無事ハンコをもらえた。
いつごろから試験官が減らされたのか分からないが、確かラプトールの頃は試験官は2人いて、ガタや緩みのチェックにテストハンマーでコンコン叩いたりしてたものだ。
今やそんな作業もなく、またVX800は旧車なので騒音測定も無し。
こんな事ならワンオフマフラーまんまでも良かったかと思ったが、たまに純正マフラーの安定した低速域を味わうのも悪くない。
唯、ノーマルマフラーは内部隔壁が壊れているのか?凸凹道でカタカタ異音を出すので、厳密に言えば異常アリ扱いになってしまうのだろうか。
< マフラー忘備録 >
多くのパーツが廃版かつ終売になっており、キャリパーはブレンボ4Pに、ローターも10ミリ大径にとスペックダウンしないように
モディファイしてるが、マフラーも手曲製品。
外観は純正クリソツに作ってもらったが、何より軽さはコスト以上のアドバンテージだと思う。
純正品マフラーは2重メッキ管でヤケも変色もなく、連結部のフールプルーフ構造も良く出来ている。
一方、大和田のフクイレーシングさんの作品はステン管。
二重でないゆえ表面がヤケて汚れ易いのだが、軽くなるのはありがたい。
(左) 見える所だけだが、溜まったカーボンはかき落とした。
(中・右)またヤケて変色した所はヨシムラステンマジックでキレイに。
純正は; R : 7.5 L :8.1 TTL 15.6
FUKUI RACING製 R:エキパイ 1.5 、マフラー 1.6
L :エキパイ 1.8 、マフラー 1.9 TTL 6.8
∴ 15.6-6.8 ⇒ 8.8㎏ 軽量化
ライトウェイトと云えば ;
ギヤケースのオイルフィラーキャップも軽量化した。
35年前の初代VX800からそのまま問題なく使っている。
わずかだが、ばね下重量の軽減にもなるはずだ。
------------ 閑話休題 --------------
< 半世紀前の車検 >
最初に自分でZ750を車検場に持込んだのは四十数年前、
ジャーナリストの竹村健一氏が車検制度の非合理を論評していた頃。
ユーザー車検とは云わなかったが、整備工場以外受検禁止でもなかった。
今と同じく約半世紀前も、クルマの検査義務は所有者・使用者に課せられていた。
が、保安部品(ブレーキ関係)の分解整備は資格者以外してはならない、ことから
運輸局長認定整備工場に持込み必然となっていた。
当然ひとつの業界インカムとなっていたし、最近でこそハンコは使わなくなったが
昭和は論理的合理性より建前を守る社会だった。(自分はハンコを嫌いではない)
当時は免許更新も代書屋で和文タイプが普通(楷書作成していた友人もいたが)、
その似かよった状況に竹村健一氏もつっ込んだのだろう。
とは言え、”だいたいやね~”と歯に衣着せぬ論調であたかも無責任に聞こえるような
物言いが官庁組織や業界団体から非難反発されたのも当然だったのかも知れない。
車検場にZ750を持込むのに(公務員にインネン付けられたくなくて)書類はコネを利用し、それらしく作った。
パッドは勿論、マスターシリンダーも街角の部品屋で普通に入手できたし、
ブレーキのパッド残量測定や動作確認だけなら、整備士資格も関係ない。
つまり保安部品整備に資格が必要な建前でも、実際の調整や整備有無に言及しなければ良いのだ。
唯、ネットやAiで知識もノウハウも広まった今日でも安全性確保のために規制されるのも当然だろう。
例えば油圧ブレーキラインのエア抜きを工具もマトモに扱えない全くの藤四郎に作業を許していたら、
身の程知らずの権利主張ばかり尊ばれる日本ではリスキーだ。
故障やら事故やらで(例えば箸より重いものは持てないと云う方から)関係各位は訴えられかねない。
お上は ”車検は最低限の確認で安全担保するものではない”と予防線を張られてるが、
我が国のシステムはスタートからして欧米の自己責任社会とは違う。
< 限りなきビンテージ >
思えば、半世紀前わが国でもトライアンフだけでなく ”VINSENT”や”INDIAN”も中古で売られいた。
CB750や500SSなど、既にパフォーマンスはMADEINJAPANがNo.1でも残念乍ら、
未成熟な国と社会で欧米のモータリゼーションより遅れてると思えたのも事実。
頻繁なモデルチェンジや使い捨てが当時の美徳、ビンテージカー/バイクが認められない世の中だったかも知れないが、
単なる”使い捨て”でなく”ベテラン” もアップデートされながら酷使されていた。
(昔のお嬢さんがお婆さんとなり、そのまま一緒にトシとったビンテージカーにフツーに乗ってる英国、錆びて穴の開いたクルマさえ走っていた米国、
ある意味カルチャーショックだった)
確かにステータス的経済性(≒金勘定)はメーカー主導の新車乗換の方が大多数の人にとってその時の満足感はあるのだろう。
だが、ベテランも生き残れば”ヴィンテージ”として驚きのプライスタグ。
007国内ロケにも出ていた2000GTがン千万、よくEng焼付いたマッハがン百万の値札。
まぁビンテージも現行法規ではもう作れないない物ねだりのプレミアとなると、クラシック価値がつく。
ノスタルジーで片付けられないのは私だけではないゆえんだろう。
70年代を背景にした映画に、さらに前の60年代的ピックアップトラックなんか出ていると私はノスタルジーを憶えてしまう。
今は米国籍の叔父が日本にいる時、よくダットサンのピックアップに同乗させてくれたのを憶えている。
その前、50年代の記憶はあやふやなのだが、ダットラどころではないベテラン車体も街中を走っていた。
< 50sオンロード >
上はいずれも50年代父母とのフォト、バックに見える東京タワーは1958年完成。
ナンバープレートに陸運局=地名表示が入ったのは60年代、当初は4ケタ番号のみ。
当時は前後別々のライトスイッチやセル無しキックスタートしかできないバイク、
クラッチ操作は云うに及ばず自動機械に頼れない操作はメンドウではあっても
何と味わいのあるものだったろう..人間は退化する一方だ。
< 60sオンロード >
左は当時の「ザ・ガードマン」のタウナス。
アオイスタジオが近かったので俳優さんとお話しできた。
右はデイトナコブラ、日本GP出場車が公道を走る 夢があふれていた時代。










