今月スタートのTWIN新企画「COX&明治屋大会」

 

先ずひとつは 泣く子も黙るCOXブランド、当時の輸入品至上主義を正当化する出来だったから何の説明も要らないだろう。

今回は< マグネシウム製SWシヤーシの GTクラス

IFCクカラチャと香港NASCAは対象外、なので上の7種のいずれかになる。

普通に考えればオープンボディのシャプラールやロータスがレースでは有利に思えるが、Rタイヤはシリコン限定。

モーターパワーに鑑みれば 即ちドリフトが簡単に楽しめる位なので、屋根付きボディでも大きな不利とはならないだろう。

パワードリフトと言えばチィータ。実際、60年代の東京タワーサーキットでワンメイクをやった訳でもないのに、一時はチィータが異様に流行りコースに溢れていた事もあった。

12年前のビンテージ会で、スピードキング山田剛久氏の好物チータ。

 

 

加えて併催されるのは< ホンダ vs トヨタ : S600S800

60年代の船橋サーキット、後のレースの神様:タナケンや、北原、久木留、黒沢、細谷、田村、吉田..そうそうたる選手達が出場していたが、今でも語り草になっているレースはプリンスと契約しながらもプライベートでホンダS6に乗る生沢徹vsヨタ8の浮谷東次郎ふたりのバトル。

この2台は1/24スロットの世界でも好敵手、ほゞ同サイズ。以前からコレクションされていたYMZ氏の提案からオーガバイザーUS氏の採用アレンジに至った。

ボディメーカーはタミヤ、フジミ(exニットー)、ニチモ(ex童友社)等で、オーバーサイズのコグレは除外

ホイールアーチ無改造でクローズド、つまり屋根付き仕上。 プラモベースなのでインテリアは各自制作しドライバー人形はビンテージスロットの常識。

 

指定シャーシは 明治屋ユニバーサルシャーシ にモーターはマブチのベーシックFT-16、メタルは付属のものを使用、タイヤサイズはF/R共にW:6~10、H:21~22㎜、ウェイトは20g以内..と言った処。

 

さて、この明治屋製品は自分にも思い出深いもので、記憶は一気に60数年前に跳ぶ ..

自分が初めて明治屋のシャーシキットを見たのは、同じ町内=麻布新網町一丁目(昔は、現在の麻布十番の東側と東麻布の西側が新網町だった)にあった ”福田文具店” 。

明治屋の” シャーシーセット ”は、フレーム、タイヤ&ホイル、シャフトなどボディ以外をセットにしたもの。

懐かしくも食指が動いた最近のオークションでみかけたもの。

私が昔入手したのは別の組合せだったと思うのは、赤い台紙ではなくタイヤ&ホイルが大中小3セットで其々計6個付属しシャフトも多く入っていた。

つまり、上の写真には「M-2」と記号あるように、他のバリエーションも売られていたはずだ。

シャーシセットではないが、当時モノの明治屋パーツ。

右上が1/24用で中段が1/32用、前輪後輪を分け径が同じでも幅が違うホイルとタイヤが(F用R用として)用意されていた。

 

当時のスロットカーキットはプラモカー同様、アートボックスにボディとシャーシ一式が納まっているモノ、定価は800~1000円前後*

一方、明治屋のユニバーサルシャーシは定価500円で、付属品の組合せで1/32でも1/24でも、プラボディでもクリヤボディでも使え、ボディは無いがタイヤやシャフトが沢山付いていて子供心に斬新に見えた。

さらにその時、福田さんが文具店をやめるとかで値引きセールをしていたので、多分300円位で手に入れる事ができたと記憶している。

町内唯一の文具店だったが、プラモやスロットカーも置いてあったので寂しい気持になったが、その後は麻布十番の小林玩具店や暗闇坂下の清水模型店、六本木の藤川模型に足を延ばすようになった。

 

ところで、嬉しくもありがたい事にYMZ様よりプラ地が黄色いタミヤ製のホンダを頂いた。

試しにドライバー人形を乗せてみると..

左より1/24、1/28、1/32のドライバー。

モデルホビースやCOXの1/24人形だと少し大きい感じがする。

当時の1/32(学研製フェラーリ)と同じくらいの大きさで、トレッドは52~54㎜程度。

1/32より軽量小柄、16モーターで十二分にパワフルになるゆえ

きっと慎重なコントロールが要求される事だろう。

 

n.B.勿論キットのシャーシ単体でも売られていたが、取付マウントから同じメーカーのボディと組み合わせるものだった。

    AYK青柳金属工業などのシャーシはボディマウント自作を前提としているので(クリヤ用のピンマウント付となる前は)子供の手に負えないものだったが、当時は色々のアイディアがあって面白かった。

実際、営業サーキットのレースで単に速く走らせるよりは、マンタレイなど独創的なものなどの方が注目を集め子供の間で人気もあった。

メーカー不詳(PM社?)、ステアリング機構付のシャーシR100。

当時の夏休み、六本木の藤川模型店で同級生の高妻クンが購入したのと同じもの、その時私は同じメーカーのステアリング無しスウィングアーム付シャーシを買った。

うろ覚えだがSアーム付き500円でステア付は800円位だったように思う。

 

また、夏休みの宿題の題材として木製のおもちゃ船も藤川模型で調達したのが 翌66年だからPM社のシャーシは1964~65年に販売していた製品だろう。

しかもコイツはステア装置に加えコイルスプリングによる左右独立サス機構!

走りは兎も角、COXのアッカーマンステアリング機構オプションより国産がマーケットでは先だったかも知れない、と言うことだ。

高妻君の家は北新門前町(現在の東麻布二丁目)にあり、武家屋敷みたいに長く続く塀のある家で縁側から池のある庭が望め、自分も江戸時代の子供のように遊ばせてもらった。

冒頭の福田文具店や私の家は麻布新網町(現在の東麻布三丁目)、ついでに言えば今でも地元の年寄りは森元商店街、などというがそこは東麻布一丁目となって商店が散見している。

また、今も麻布十番に店舗のある更科蕎麦も永坂更科蕎麦と呼ばれ、血族か知らないが数店舗が結構繁盛している。

当時、近所の工場の扉のすきまから見えたのは、大きな樽の前で上半身裸に褌と前掛けのいで立ちでそばつゆを作っている大人たちの姿。幼い頃の記憶は今も鮮明に目に焼き付いている。

昔から町名の変遷にも役所の都合と住民の力関係があったようで、当時の郵政省が色々町名があっては分かりにくいとアチコチ虎ノ門〇×丁目にしようとしていた時、永坂町に住むBridgeStoneの石橋会長が嫌がった、即ち大口納税者に引越されないように地名が一部残ったのだろうと聞いている。

今も昔も、政治と行政は利権と忖度のバランスなのか.. 唯、有力者が民意を代表し言にしてくれれば、庶民が救われることもあるのだろう。

当時、会長宅に行って早い時間に夕食をご馳走になった父が、家に帰ってすまなそうにしていたのは、大企業の会長に逆らってご遠慮できなかったのか、それとも自宅の夕食に手をつけられなくなったゆえの事か?..今では分からないが昭和の思い出だ。