先月、桜の散り際に馴染の店で中味が未だ残っている一斗樽酒をもらってきた。

正月の振舞い酒に使った後はメニューに載せず、私が樽ごと頂くようになってもう10年近くになるだろうか..

我家のガレージに運び込むと、私の天使、お隣のミーちゃんに尋ねられた。

(..私があと十年生きてたら一緒に飲んでね

 

いつも3月頃にもらっているものが少々遅くなったが、今回の特醸酒の味は上出来だ。

そのマス=中味の質量は、私の目には見えないほうの天使様にだいぶ分け前を取られてしまい、もしかしたらアルコール度数は弱くなっているかも知れない。

が、その味わいはスタンダードな上撰佳撰別撰酒は勿論、よくある”樽酒”カップともだいぶ違う。自分の嗅覚からメーカーに無礼失礼千万を承知で言えば、普通それらは昭和の渋谷や上野のアル中に通ずる臭いを感じる事もある。

この樽から出てくるものは、樹木からしたたる朝露ような神々しい香りに、のど越しもスムースで良くも悪くも?サケサケっぽさがない。

しいて言うなら空気が美味しい福島あたり(或いは30分以上プラズマクラスターモードで空気清浄機を廻した新宿の部屋)で小さなウッディなアロマを炊きながら、昔の上善如水を濾過して飲んでるような..?

コイツを独り占めするのが惜しいと、調子にのって失礼ながら横浜の知人にお裾分けした。

それを味わい喜んでくれたから自分も Much-much More Happy!

 

ところで、先日 隣人に頂いたチケットで🎥バジュランギおじさん(原題:Bajrangi Bhaijaan)を観てきた。

2015年の映画で日本では2019年ロードショーされた再演モノなのだが、映画館はとても混んでいた。

インド映画の定番だが、記憶にあるだけでも劇中4回フルタイムのミュージカル風ダンシングシーンがあった。

アクションでもホラーでも、ファンタジーでもない感動モノにはリアルさが必要だと思うのだが、キャストみんなが踊り出す..と言うのは自ら作品を茶化してるのか?それともシリアスさへの恥じらいか?

なんて日本人たる思ってしまうのだが、ストーリー自体はとても良かった。

 

善良で信心深いインドの青年パワン=バジュランギおじさん(バジュランギはインドの神、ハマヌーンの別名)が異国で迷子になったパキスタンの口のきけない少女を、偏見や中傷迫害にめげず、シビアな国境警備隊や国家のいさかいを越えて自宅まで送りとどけると言うもの。

日本人的思考回路には、隣国同士の間で政治的、宗教・信仰的アツレキや普通でないパロディなどバックグラウンドは少し混乱させられるか直感的に理解しにくさはある。

途中から主人公パワンを助ける新聞記者が言うような 無条件の愛は尊い事に違いないが、例えばもし、行政や警察に任せてしまったら親元に帰れず施設に入れられて終わり、と彼らが考えるのはお国柄か。

実際、自国(インド)でパキスタンの領事館にかけあっても全然役立たず、お金を払って裏ルートで越境させる顔役に頼んだらRedLight(≒日本の赤線)、飾り窓的店に人身売買(⇒金の二重取りも)してる奴だったり..というシーンもあって、日本では非現実的でも、ヒトを信じすぎてはいけないのだ、と言う教訓でもある。

それにしても主人公は信仰心ゆえとは言え馬鹿正直。

国境警備隊に出会っても、逃げずに事情を話してビザはないが入国を認めてくれとストレートに主張する。

あまりのシツコサに警備隊長が自分がここから離れて見回りに行ってるから(..その間にどこかに行け)と見逃そうとしても、(逆に)自分のやる事を認めてくれるまで動かないと詰め寄る愚直ぶり。

それが上手くいってるうちは、さすがバジュランギおじさんなのだが、逃避行の中でボロボロになってゆく哀れな姿と不条理さには同情を禁じ得ないものだ。が、それ以上に何よりも、か弱き純真な少女を救って親に無事会わせたい、そんな思いはヒトとして普遍的な物に違いない。

この映画の根底には民衆のガマンと本音、そして建前としての間違いが大きくなりすぎて、ついにそれを打倒しようとする正義に感じる開放感~カイカーン~! があるので、自分は(そして多分ほとんどの方も)共感できるのだ。

そしてまた、パワン=バジュランギおじさんがインドに帰るのも正規のルートじゃない。警察幹部は彼をスパイだと発表し、取調べした部下がいくら無実です、アリバイがあります、等と報告しても警察トップは無理やり犯罪者に仕立て上げようとする。

だが警察にも何が正しいか分かるヤツもいて出世や組織(₌タテマエ)に背を向けて、自分の正義と心情(₌ホンネ)に従って逮捕中の彼を母国に返そうとするのだ。

国境警備隊の隊長も ”通す訳にはいきません。しかし我々は小隊です” とネットの呼びかけにアリのように沢山集まった群衆には抵抗も発砲もせず国境を明け渡す。

そんな様は、建前を上手くつかって民衆の本音、正義が実現する瞬間― たとえ映画と分かっていても、そう、私はこの時をずっと待って観ていたのだ!

エンディングロールが消えると、そばで泣きじゃくる老若フィメール達、ガマンしきれず立ち上がって手をたたき出す中年男性、と、つられて大勢が拍手喝采、映画館でこんな光景はめったにない。

まさに10年近い歳月が経っても再演される価値のある作品、是非オススメしたい。

さて、ココロ洗われた日の晩酌は、きっと美味いことだろう..。