誰推しなの?と聞かれて戸惑ってしまったのですが・・・・
よくよく聞いて見ると、AKB48のメンバーのだれが好きかということらしいです。
と言われてもなあ、知ってる人少ないし。


言って見れば、顔と名前が一致しないんですね。
曲は何曲か聞いたことがあります。
ユーチューブも見ましたね。
印象としては、嫌いじゃないです。歌もそこそこうまいと思うし、振付もきちんとこなしているし。


合格点なんじゃないですか?
今までいくつかユニットという名の若い女の子のグループがデビューしては消えましたが、
そんなに寿命の短いユニットではないと思います。プロデュースが秋元康ですからね。
ヒットして当然じゃないでしょうか。


で、誰推し?つー質問なんですけど、
何度も言いますが、全員はおろか、多分半分も見てないんだと思うんですよね。
AKB48というくらいだから、48人居るんじゃないんですか?間違ってたら教えてくださいw
なので、知ってる中からあげると、前田敦子さんでしょうか。彼女存在感ありますよね。
全て無難にこなす器用さを持ってるし、聞いたところによると、ドラマにも出ているとか。


最後に、AKB48って、ユニットとして素晴らしいとは思いますけど、
年齢的にそんなに長くいられるところじゃないですよね。辞め時が難しいですよね。
そして、辞めてからどうするかがまた難しい。
芸能界にしがみつくと、かなり辛辣な目に会うと思うんですけど。どうなのかな?
さて、と今日から滋賀に戻った僕ですが、わかっていたとは言いながら、公共交通機関の未熟さで、
非常に不便な思いをしまして、先ずは、車を買いました。
東京で友人の車を時々運転していたとはいえ、長期ペーパードライバーで、
尚かつ、様子のすっかり変わった町並みは、僕の運転を混乱させるのに十分でした。


しかし、地元で営業職として就職するには、車の運転が不可欠です。
(嫌がる?)妻を助手席に乗せて、少々遠方に出たりして運転にも随分慣れてきました。
今では全く言いませんけど、最初に滋賀に来た時は、
「デパートが無い!耐えられない!京都まで行こう!」と言われて、京都まで週1ぐらいで走ったものです。


さて、車の運転にもなれた僕は、念願の営業職に就くことができました。
1ヶ月ほど戸惑いはしましたが、徐々に慣れてきて、契約も撮れるようになってきました。
フルコミッションではなかったですが、基本給は手取り15万円でしたので、
歩合で稼がないとシャレにならない状況でした。
3ヶ月後ぐらいには、同じ年くらいのサラリーマンよりも稼げるようになりましたが、いくら頑張っても、
商品の性格上歩合には頭打ちがあり、もっと稼げる仕事を探すようになっていました。


で、色々探した結果、かなりの高額歩合が貰える会社があり、会社の財務体質も、
無借金経営の優良企業だったので、そこに移り、自分で仕事を始めるまでは稼がせて頂きました。
ぶっちゃけ、身体を壊すので長く続ける仕事は無かったのですが・・・


その間に、長女、長男を授かり、部屋数が足りなくなったので家を新築して、現在に至ります。


東京から地元滋賀に帰ってきてよかった事は、

■子供を産む環境になれて授かったこと
■家を新築できたこと
■夫婦共に精神的に安定した毎日を送れること
■母が癌で亡くなったのですが最期をみとることができたこと

でしょうか。


反対によくなかったことは、

■友人と離れた事
■尊敬する上司と離れた事
■やはり都会暮らしは魅力がありましたのでそれが無くなったこと

ですね。


今でも思うのですが、滋賀から東京に出て、僕は幸せだったです。
都会の暮らしを経験できたこと、多くの友人を得たこと、妻と知り合い夫婦になったこと等、
言い始めると枚挙に暇がありません。僕の第2の故郷なんでしょうね^^
いや、若かったのと大学で体育会系の部に入っていて鍛えていたので、もったのだと思うのですが、
1年の間には、非常に能力がありながら身体(今思えば心?)を壊して、
会社を辞めて行く人が続出していました。
現在の世の中ならば、労災でしょうね。先日、120時間の残業で自殺された方が労災認定受けていましたから。


で、僕はというと、睡眠不足は感じていたものの、仲間に恵まれ、なんとか仕事をこなしてました。
新米だったので、仲間内に助けてもらって乗り切ったと言う感じでしたね。
2度ほど、伊豆修善寺の高級料理旅館に仲間内で1泊旅行に行き、有給を出した時には、
上司はぽかんと口をあけてましたが(笑)、飲んで食ってのどんちゃん騒ぎでした。


そのころの仲間たちは、今でも1番の仲間たちで、僕はその後、転職をしたのですが、
それでも、クリスマス会や、遅い新年会、婚約おめでとう会等々、
本当によくしてもらいましたし、現在も、自筆で書いている年賀状はその時の仲間たちだけです。
(後の方は印刷で、宛名書きは妻に頼んでます^^;)


先ほど転職したとかきましたが、大学の部のOBの方が就職課長をされており、某金融機関が、
「システムとその業務が分かり尚かつ営業のできる人材」を探していると言う事で、
その会社に先に就職していた1年先輩の方が推薦してくださり、念願の営業ができると言う事で、
前職を退職して、その会社に入りました。
半年ほどはシステムの立ち上げのために、営業はできなかったですが、無事立ちあがってからは営業職となり、
直属の上司である営業課長について、1から営業を教えて頂き、厳しいながらも楽しく仕事をこなしていました。


僕はそのご結婚し、長男でもあることから現在の地元に帰ったのですが、課長なくしては僕の営業力は無く、
その後曲りなりにも、営業マンとしてそれなりの成績を上げられたのも課長のおかげと感謝しています。