だっふんだお風呂に潜って寿司を握ってもシャリがバラバラになって握れないよ!? | 川上"glamorous"スシロウの初日で殿堂入り

川上"glamorous"スシロウの初日で殿堂入り

スシロウの気づきを綴りちらかします。

こんばんは。



川上glamorousスシロウですギター




ボクは人から、



他人に自分はどう思われているのか気になる、



他人に嫌われたくない、みんなからよく思われたい、



いわゆる、いいひとでいたい、



という相談を受けることがある。




ボク自身、ティーンエイジャーの頃から友人たちの間では、



他人の目を気にしすぎる、じつはいいひとでいたいと思っている事で有名だった。



こんなこと言うと、本当かよ!と思われる方もいらっしゃるかと思うけれど…。




誰だって、少なくとも他人から嫌われたくない、



あわよくば、好感を持たれたいと思うのは当然だと思う。



それは自尊心や生きやすさからくるものもあると思う。




いつも他人を目を気にして、



他人が自分をどんなふうに思っているのか、



嫌われてないかな…



結局、いいひとでいたかったなど、



そんなことに囚われすぎていたボクは、



本当に人生の時間をムダに消費していたといえる。



そのたびにボクは、人生において、もう2度とない絶好のチャンスを幾度となく失い、



途方にくれることを繰り返していた。





ある日、そんな自分を心から本当に変えたくて、



いつからか、思いきって行動を起こし始め、



どれくらいたっただろう、



今も少しずつだけれど、変化を自分で感じながら毎日、試行錯誤を繰り返している。




毎度のことながら、自分の話ばかりしてしまい申し訳ありませが、






他人の目を気にするあまり、



嫌われないように、



まわりによく思われようと行動すると、



かえって誰かから自分のささいな指摘をされただけで、



とても落ち込んでしまう。



それが他人からすれば、さして気にするようなことでもないのに。



そしてそんなときに限って普段のまわりの人たちの優しさすら気づけず、



見失っていると思う。





そもそも、自分以外の人間はすべて他人だ。



性格から何から違う。



違っている者同士だから、思っている事も違うのが当たり前。



そんな違う者同士が、お互いを思いやりながら生きていけることが、



それだけで奇跡であり、



素晴らしいことだと思う。




人は10人いたら3人くらいは自分と合わない人がいる、



そんなことだって言われている。




ボクは、他人の目を気にしすぎるのをやめよう、



いいひとをやめようと決めてから、



実際に行動をして気づいたことがある。



それは、



・まわりのひとたちへの感謝の気持ちに今までよりも気づけたこと。


・まわりのひとたちからの自分への指摘を受け入れられるようになったこと。


・今までは苦手だなと思っていた人と打ち解けられたこと。


・まわりからコイツは意外とイイヤツなのかもしれないと思われたこと。




ひとは他人の目線を気にしているときほど、



じつは、自分の事ばかり見ていて、考えていて、そればっかりで、



普段の当たり前のひとの優しさにすら気づけないものだ。




ひとはそもそも、自分以外のまわりのすべてのひとたちから好かれることはないんだ、


自分以外はみんな他人だから、性格も合うわけがない。


自分にだって苦手だと思うひとがいるのだし、


誰かにとっては自分が苦手と思う人もいるのが当たり前なんだ。



そう思うと、普段から自分に優しくしてくれるひとや友達が、


どれだけ、ありがたいことか気づける。もう奇跡レベルとしかいいようがない。





他人の目線を気にするというのは、


自分がいかに弱いかということをアピールしているものだ。


誰かに自分のことを言われることがなによりも痛いことを、


知っているからこそ、自分を守ってしまう。


それゆえに他人に対しても向かえなくなってしまう。



極端な言い方になるかもしれないけれど、



嫌われることを恐れるあまり、大切な人を永遠に失ってしまうこともある。



相手を思うからこそ、自分も相手に向かう。


自分も相手に向かう、だから相手も自分に向かってくる、


そう、お互い様なんだ、



そう思って、いざ相手と接することを繰り返していると、


いつからか、今までよりも他人から何かを言われることに対して、


反射的に素直に受け入れ、感謝している自分、


感情よりも内容からすぐに改める姿勢になっている自分、


平気になっている自分や、今までよりも気が楽になっている自分、


傷が修復し、さらに強固になった皮膚のような信頼にも気づけると思う。




誰にでも、なんとなくでも苦手そうだなと感じる人はいる。


もちろん、無理に仲良くなる必要はないと思う。


礼を尽くして、離れていればいいと思う。



ただ、いいひとをやめようとか、他人の目線を気にしすぎるのをやめようとすると、


なぜだか不思議に、行動が変わったせいか、自分が謙虚になるせいか、


今までは苦手そうと感じていたり、バイアスがかかっていたりして、


接することがなかったひとと接してみようとする気になり、


接してみると、意外とウマが合ったり、仲良くなったりすることがある。


こういうことって、もし、今までの自分だったら絶対に起きることなかったイベントなんじゃないかな。


人生のささやかだけれど、すごく素敵なおまけのような気がする。




そして最後に、


まわりのひとの評価を気にしすぎて、


動けなくなって、


ひとり、部屋に帰って、毎日つまらないと感じる自分よりも、


極端にはみだしながらも、


あまり言葉はよくないけれどが、破天荒な行いをしても、


見落としがちな、すぐ近くで自分を思ってくれているひとたちにだけでも、


自分ができる範囲で感謝の気持ちを表出していれば、



もしかしたら、



もしかしたら、



もしかしたら、



意外と【いいひと】に思われるかも。





あ、いいひとをやめようとか、他人の目線を気にしすぎるともったいないとかの話だった。



これは失礼しました。



それではまた。






☆スシロウ★







川上glamorousスシロウがデザイナーを務めるT-SHIRTブランド



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