先月に私は退院してきました。

 

長い入院生活は

それはそれは、本当に苦しかった。

精神病棟の入退院は経験があるけれど

内科的外科的入院は人生初めてのことで

それこそ、身体を通しての学びがあった。

 

 

身体の痛み、身体が動かせない不自由さ、

身体的制限のある時間の苦しみ、

 

血液検査のデータの数値は

厳密で

数値が上がるのを

神様にお願いしてただただ待つだけ

ということもある

 

こういうぎりぎりのときに

身体の回復がスムーズにいくためにも

 

長年の食べ吐きが

影響した身体だと

不安要素がいっぱいでメンタルがやられた

 

日々の健康状態で

ぎりぎりのところから

いかに這い上がるか

違いが出てくる

それは

遺伝的な体質とかも含めて。

 

あれだけ死にたい死にたいと

私は切望していたけれど

 

人生の流れの中

運命的、宿命的な場面に身を置くと

元来の人間としての本能が

機能する。

 

それは、生きたいと身体が叫ぶ

身体の声が

思考の叫びより

くっきりはっきり聞こえてくる。

 

その時に初めて、

全てに後悔と不安を覚え

 

食べ吐きの罪と

生い立ちの爪痕と

これまで自分を大切に

生きてこなかった罰が

一気に押し寄せてきた。

 

 

そして理解することもう一つ。

 

自ら切望しなくとも

死は必ずやってくるし

死を切望している状態が

もはや、死んでいる自分だったのだ。

 

私は生きてはいなかった。

 

今回、移植をし、身体が随分と楽になり

身体の声を聞くことに気付くと

私は摂食障害になる前の

健康な自分と

やっと

繋がった気がした。

 

今までの私、

春のピンク色が

時々苦しく感じていた。

切な過ぎて勝手に悲しみを抱いていた。

 

でも自分の身体を感じると

なんて愛らしいピンク色なんだろうと

思うことが出来る。

それは生命の喜びであることを知る。

 

この春に覚える感覚を

10代の頃のように

私はきっとお祝い出来るのだろう。