暴力を受ける

 

普通の人には

怖い人が起こす事件とか

犯罪とか

とにかくただならぬ事態かつ

非常事態及び

極めて稀な出来事なのだろう

 

 

家族から

父親から

母親から

両親から

虐待を受けて育った人は

 

暴力とは

家族から受ける

毎日のしきたり

日常茶飯事のこと

 

日々が

暴力や暴行

攻撃や侵襲

絶望的な言葉にまみれて

育った人は

 

想像にし易く

自信を失い

人の愛も知らずに

今を生きている

人を信用出来ずに

一人で

生命の海を

 

幾つになっても

そう

一人で

非力な存在となって

漂っている

 

人間は

基本的に

教えられたことしか

分からない生き物だとしたら

 

愛や思いやり

温かい気持ち

自分はここに居ても

大丈夫なんだという

安定した心を

全く教えられてこなかったから

そんなもの

知る由がない

 

愛で解決より

攻撃で何とかするしか

選択肢にないのだ

 

虐待を受けて育った人にとっては

たまったもんじゃない

だって

その人たちだって

幼少期に

愛を感じる毎日があったら

救いはあっただろう

 

世の中で

この人ちょっとやりにくいなって

思う相手がいても

もしその人のバックボーンが

虐待された日々によって

成り立っていたなら

 

その人に対する攻撃より

愛を教えて伝えて

そして

虐待を受けて生きづらい人は

仕方ないけど

回復のプログラムを

行うことが

今回の人生の

一つの課題なんだろう

 

仕方ないこと

やりきれないこと

致し方ないこと

それらが少し裏付ける

この世はそもそも理不尽さが伴う

不確実さの上に

物事が成り立っている

 

それを認め

少しでも向上しようとするとき

努力が芽生え

実践によって

自分や他人の幸せに

はじめて

触れるのかもしれない