私が摂食障害から回復していったのは
まだほんの二年前のことだった
体重が自然と増えていく
嘔吐がやりづらくなっていく
私の本能がきっとこのまま
変化をしていくんだろうと
抗うことを諦めさせた
不思議な出来事だった
去年はまだ全然
過食嘔吐していた
二年前に始まった変化は
生きながらゆっくり
首を絞められていくような
絶望的な毎日だった
0.1キロでも太ったら
死にたくなっていた私が
抗うこともできず
7キロの増量に耐えた
体重が標準になっていったら
今度は腎機能が落ちていき
半年前には腎移植手術を受ける
この二年の間
他にも
家の中の大きな変化があった
日々のやっつけ仕事
自分のタスク
だんだん摂食障害の部分が
薄らいで行くと
現実が見えてきた部分もあった
この二年間
変化が大きすぎて
私は今も全然自分を見失っている
外見的な変化も
きっとそれを助長している
人は変化が大きいと
きっと多かれ少なかれ
ストレスを抱くのだと思う
だとしたら
今の私はきっとものすごいストレスを
抱えながら生きているんだろう
気持ちがすっきりした日なんて
あの変化がスタートした時から
あまり覚えてないけど
ただ言えるのは
よくぞ
あの過酷な二年を
耐え抜いたということ
よく死ななかったなということ
これに関しては
幼少から
今に至るまで自分のこれまでの
人生全部において言えるけど
最近は
若いころのように
能動的に死を望んではいないけど
早くお迎えが来てほしいと願ってる
早く自分の人生を卒業したい
ああ、もう生きなくてもいいんだ
って思えたら
その時がきっと一番
楽なんだろう
天国にいる姉に会いたい
早く会いたい
生きるとは
弱肉強食の世界で
弱い物は淘汰されゆくなら
私はもう自力では
生きていれないと思う
それなのに
まだ生かされる
人生100年時代とか
それは本当に喜ばしいことなの
大抵の人
もうあんまり長生きしたくない
って言ってる
生きることが全ての幸せとは限らないし
高齢者が
せっせと
くそ暑い中
歩いてる
それをみて
メディアの力ってすごいなとも思うし
実際のところ
生物として
衰えていく宿命に抗わないと
生活の質を保持するために必死になるんだろう
今日はかなりの散文
こんなわたくしめのブログを
いつも読んでくださってありがとう
ここでお礼をあなたに伝えたいです
世界のはじっこの
このブログを
良く見つけてくれて
本当にありがとう