末期腎不全になってから

自分の人生を振り返り

自分のこれまでを半分呪ってました

 

人生の理不尽さについて考えた時

人生なんて最初から理不尽なもの

と聞いたことがあり

私はとても納得したし

じゃあ、何のために生きているの

ってずっと悩んでいました

 

貧困、暴力、虐待、いじめ、病、差別、争い

 

そんなものが

どの時代にも

あるのですね

 

私はずっと理不尽なことばかりにこだわり

被害者意識を持って

歩いてきました

被害者意識はずっとずっとありました

 

でも

自分がどこにこだわって生きていくかは

自分が決めるもの

 

苦しいことが数ある中で

その中で

いかに気持ちが柔らかくなるものを

見つけていくかは

個人の力になるのかもしれません

 

私は生まれつき幸せを感じる

喜びを感じる力が弱いです

 

言い訳をすると

いつも自分のすることなすことを

父親から

否定され続けてきたからです

 

風邪になって熱を出しても殴られました

過食症で太ってくると

太っただけで

罵られました

 

原因はなんであれ

私は

怒りをまだ自分の父親に抱いているのだと思いました

 

私が過去の呪縛から逃れ

一度きりの人生を

もっと肯定して自信をもって

生きていくには

 

もう

自分から

幸せを見つける力を身につけるしかないかもしれないです

 

小さな幸せや喜びを

なるべくたくさん見つけられるように

なりたいです

 

きっと

吐き出したい思いがあれば

私のことなので

また

書いてしまうかと思います

 

気持ちは揺れ続ける

 

生きることを

人を

自分を

起きた出来事を

中庸に受け止められる

自信は

まだ少ないけれど

 

時に

前向きになったり

時に

怒ったり

時に

自信をなくしたりしながら

 

この先も行く気がします。