先日、レシピエント検査三日目を終える。日帰りの検査はこれで最後。

 

まず、婦人科受診。

子宮の検査をしてもらう。

婦人科の先生にも、移植したら(免疫抑制剤を飲むため)ガンのリスクが上がることを言われ、夏に市の検査で子宮がん検査をして陰性だったけれど、

また今回も移植に向けて念のため診てもらった。

 

 

そのあと胸とお腹のCT。

 

最後は負荷心電図と、心臓のエコー検査。

 

この日は検査開始時間より早めにどれもやって下さり、全て終わったのがお昼くらいで早く済んだので良かった。

 

というのも、この日の前日に知り合いのおじさんがお亡くなりになり、

この夜はお通夜が入ったのだ。享年75歳だった。

 

 

おじさんとは血縁ではないが、私の叔父の学生の頃からの友達で、

叔父との交流はあまりないくせに、おじさんとは家が近いこともあり、

私のことをそれなりに可愛がってくれた。

 

摂食障害でいつもふさぎ込んで、鬱でガリガリの私を相手にしてくれた、唯一のおじさん。

普通に接してくれた。

いつも覇気のない私をおばさんとの食事に誘ってくれたり、ドライブに連れ出してくれたり。

 

 

私は、摂食障害やメンタルで辛かった時期に自分のことを助けてくれた人はあまり思い浮かばない。けれど強いて挙げるとしたらおじさんはその中に入るだろう。

 

 

コロナになり、おじさんとも疎遠になり、

メールのやり取りだけになってしまい、それでもおじさんには腎移植を受けることを伝えていなかったし

私はずっとおじさんは元気でいると思っていた。

 

 

人はあっという間だと確信した。

生きることは死ぬことも込み込みでいうのだなと強く思った。

そして本当に私たちは一回きりの人生だし、

自分もあと30年くらいしか生きられないのだと、

そういう意味で誰しも余命を抱えて生きているのだと、

そして40歳以上になると病は近く、死も近いのだと

 

 

移植の身になり、

 

おじさんが亡くなり、

 

ここ数日で生きることや死ぬことに対しての感覚

人を大切に想い、愛することについての気づきが

 

加速して変化していった。

 

そして今一番大切に、愛したいのは母親だ。

 

機能不全家族に育ち、家族に大きすぎる傷を抱えていたけれど、ようやくここも少しずつ乗り越えた気がする。

 

 

 

 

 

おじさんのお通夜が過ぎ、その二日後にシャントオペを受ける。

 

生まれて初めて手術室へ入り、

局所麻酔で静脈と動脈を繋ぐ手術を受ける。

緊張や怖さもあったけど、もし摂食障害があんな酷くなかったら、

 

シャント作る必要も、腎移植する必要もなかったんだと思うと

とても泣けてきて

自分の身体にメスが入ることが

親や何より自分自身に申し訳なくて

涙が止まらなかった。

 

 

そして私の人生って何だったんだろうって

虚しささえこみ上げてきた。

 

オペは1時間くらいで終了した。

そのあと病棟へ行き入院。

翌日知り合いの看護婦長さんがわざわざ部屋に来てくださり

いつものこと、

とにかく腎移植まで焦るなと、

マスクを必ずして、感染だけは気を付けてとまた話された。

 

”焦るな”。

昔、精神科の主治医が良く言っていた言葉。

 

 

 

今は自宅に戻りゆったりしているけれど、この週末から最後の移植に向けての検査入院があるのだ。

今度は一週間の入院となる。

やっとシャント作成まで駒を進められて、家人からは、”よく頑張ってる”と労ってもらっている。

ほんとにそうかも。

この間に、過食嘔吐もほとんどなくなり、体重増加も受け入れて

自分、よくやってるよ!

昔の私じゃ考えられないもの。

自分のこと自分で褒めてあげなきゃ。

 

 

腎移植まで道のりは長いけれど

あともう少しかな。

色々ありすぎて、私はおかしいんじゃないかと、いつも思うけれど

最近救われた言葉で、

 

住む家があって食べるものがあってまあまあ、家族と友人がいて健康なら、あなたの人生はまずまずだそう。

 

健康は途中経過なので

少しずつ人生がまずまずになっていけばいいんじゃないか。

 

 

欲張らず

焦らず

 

 

私の余命の中でただ楽に生きていけばいい。

ただ身体が気持ちよく生きていけばいい。

 

思考より身体の声を聞いていくことがきっと自分を大切にすることだと思うから。