ベタなテーマで記事を書いてしまってすみませんが、母と叔父を癌でなくした自分としては、書かずにはいられないつらいニュースでした。
麻央さんがブログをはじめられた頃には既にステージ4、いわゆる末期状態だったと思います。
自分の母も、発見時にはすでにステージ4だったのですが、それを知った当時、自分はあきらめていませんでした。しかし父は手紙の中で「奇跡は起きないのです」などと書いてあきらめており、ものすごく対立したことがありました。
しかし、結果的には母は数か月後に旅立ってしまい、自分は自分たちの無力さに落胆し、やっぱりステージ4の患者が何年も生きるということはないのだ、と思わざるを得ませんでした。
しかし、麻央さんの場合は、うちの母の時よりも若干であっても医療技術は進んでいるはずであるということ(母が亡くなったのは2010年でしたので、7年分の進歩はあるはずです)、そして麻央さんは恐らくは今国内で出来うる最善の治療を受けていたと思われますので、僅かな期待はありました。
万が一彼女がこの先4年も5年も生きてくれていたならば、末期癌患者であってもまだまだ生きられる可能性があることを体現してくれたこととなり、世の中に大いに希望を与えてくれたことと思います。
もちろん自分も、7年前の無力感から脱することができたことと思います。
それだけに、このニュースはとても残念でした。
あんなに前向きにがんばって、あんなに素敵な家族に支えられて、あんなに輝かしい未来が見えていて、そしておそらくは全国一の応援を背にしていた麻央さんでさえ、やっぱり末期癌には勝てなかった。。
このことは、自分の中の癌に対するネガティブインプレッションをさらに冗長することになってしまったと思います。
ところで、ニュースの詳細を見ていて、思わず涙が溢れそうになった部分がありました。
多くの人が同じように感じられたかも知れませんが、最後の日、麻央さんは容体が悪化して既に話すことができない状態だったにもかかわらず、逝く前に海老蔵さんに「愛してる」と言った、というところです。
これが映画やドラマの1シーンだったならば、あまりにも定番すぎる結末だと思ったと思いますが、現実に、もう話す力も残っていない患者が、死ぬ間際にまさに最後の力を振り絞って最後の一言を伝えて、そして旅立つ・・これがどれほど精神力の強さと本物の愛情によって成せることなのかわかりません。
また、このことから思ったのですが、「人間は、意識があるのであれば、自分が死ぬ瞬間というのは自分でわかるものなのかも知れない」ということです。
おそらく、その日その時、麻央さんの中で薄れゆく意識の中で、「もう持たない・・」と思った瞬間が訪れたのではないでしょうか。
なので、ならば最後に一番言いたいことを言おうとして、最後に残っていた体中の力をすべて集めて口を動かした、というのがその一言だったのかも知れませんね。
いずれにしても、並大抵の精神力でできることではなかったと思います。
そういえばうちの母も、最期の頃は意識があっても話ができないほど弱ってしまっていましたが、その少し前、話ができなくなりそうな状態の時に、最後に小さな声でこう言いました。
「〇〇がいるから、安心だ。。」
(※〇〇は自分の名前です)
その時は単純に、自分がほぼ24時間母の病室に付きっきりでついていることで、母の容体が急変したりしても、すぐに気が付いて医者を呼ぶなりしてくれるだろうから安心、という意味だと思っていましたが、後でずっと考え続ける中で、その言葉にはもう一つの意味があったのではないかと思うようになりました。
それは、たとえ母がこの世からいなくなっても、母の遺伝子の約50%は自分が引き継いでこの世で生き続け、そして次の世代へと命をつないでくれるから、完全に消えてしまうことはない、だから安心だ、という意味も含まれていたのではないかということです。
もしかしたら、その言葉を発した時は、前者の単純な理由だけで言ったのかも知れませんが、きっと母は後者のような、命をつないでくれるから安心だ、という気持ちを持っていたと思います。
母が元気だったころ、そういう意味合いのことを何回か聞いた覚えがあります。
癌や、その他の多くの原因で人が亡くなってしまうのはつらいことですが、重要なことは、その人たちが残してくれたものを生かして、次の世代へと継承していくことなのだと、今は思っています。