先日紹介した長友選手の本の中で、こんな一節がありました。彼のおばあちゃんの手紙の抜粋です。
生活は質素に、志は高く、物を大切に。特にユニフォームやスパイクなど自分の分身と思ってください。
これを見て、うちの母も同じように「物を大切にしなさい」とよく言っていたことを思い出しました。
自分が小学生だった頃、こんなことがありました。
雨の中自転車で帰宅したのですが、当然自転車はズブ濡れになってしまいました。
ちなみに当時の自転車は鉄の部品がまだ多く、雨などで濡れたらすぐにふき取らないと、簡単にさびてしまいました。
しかしながら自分の自転車は、当時ではめずらしいオールステンレスモデルだったため、さびたりはしませんでした。
しかし、母は言いました。「自転車が濡れているのだから、しっかり拭きなさい」
自分は反論しました。「この自転車はオールステンレスだから、拭かなくてもさびないから大丈夫だよ」
・・すると母は怒って言いました。「そういう心構えがいけないの!物を大切にしようという気持ちがなかったら、上手くいかないのよ!」
自分はしぶしぶ自転車を拭きましたが、当時はその意味が分かりませんでした。
しかし今、母の言っていたこと、長友選手のおばあちゃんが言っていたことの意味が少しわかります。
自転車を拭かなくてもさびないとか、道具を手入れしなくても実使用上性能は同じとか、そういうことが本質なのではないのだと思います。
重要なのは、道具を大切にすることによって、その道具との気持ちの上での信頼関係を強く持てるということなのだと思います。
おそらく通常の状態では、手入れされていない道具も 手入れの行き届いた道具も、性能に支障がない限りにおいては大して変わらないのだと思います。
しかし、「ここ一番」というところで、その道具に対して自分の魂をのせきれるかどうか、そしてその道具が我々の気持ちに応えてくれるかどうか、というところで違ってくるのではないかと思います。
たとえば自転車に乗っていて、危ない!という状況になったとき(ならないに越したことはありませんが)、常に手入れしている自転車なのであれば、自転車と自分の魂の間に信頼関係ができているため、深いところで自転車の挙動を信じられたり、自転車からの反応を感じ取れたりすることがあるかと思いますが、普段から手入れを怠っている自転車だとそうはいかないのではないでしょうか。
自分が普段使っているペンや万年筆をクリーナーで綺麗にしたり、丁寧にふき取ったりするという行為はどうでしょう。 ペンのボディが少々汚れていてもペン先がしっかりしていれば物理的には支障はないかも知れません。しかし、よく手入れしたペンや万年筆であれば、やはり自分自身との一体感のようなものができやすく、自分の思いや気持ちをのせて書くことができるような気がします。
自分の場合は、仕事上の分身のような道具といえばPCだと思います。
PCは自転車や万年筆と違ってデジタル機器だから、手入れもなにもないと思われるかも知れません。
しかしながら、自分の魂をのせて、自分の情熱をかけて仕事をするためには、PCには最高のコンディションを保つようにするべきだと思います。
例えば、液晶ディスプレイの中央にコーヒーが飛び散った跡が残っているような状態では、朝最初にディスプレイを覗き込んだ時に最初に目に入ってしまうでしょうから、意識しないところでモチベーションが下がったりする可能性があるかと思います。
だから、最高の仕事をするために、少々値が張っても自分が気持ちよく使用できるマシンを、きれいにみがいた状態で、日々使用したいものです。
「弘法筆を選ばず」(つまり本当のプロならば道具は関係ない)とは言いますが、むしろ、本当のプロだからこそ、その道具は惜しげもなく一番自分が納得できるものを、きっちり手入れした状態で使うべきだと思います。
きっと、弘法大師様も、どんな筆であっても、普通の人が見れば十分に素晴らしい文字が書けたのだと思いますが、やはり最高の筆を使ってこそ、本当に魂のこもった文字が書けたのではないかと思います。