応援を力にしよう | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

スポーツ選手のインタビュー等を聞いていると、ほぼ例外なくどの選手も「みなさんの応援が力になりした。また応援よろしくお願いします。」と、応援の重要性を語っていると思います。

自分も最近はそのことの意味がよくわかるのですが、以前は「応援がかえってプレッシャーになり、実力を出し切れなくなってしまうのではないか?」と思っていました。

実は自分が中学生だった頃は、まさに「応援はプレッシャー」だと考えていました。
部活の試合で誰かが応援に来てくれたりすると、「やばい、見られてるよ・・恥をかきたくないから、見に来てほしくなかったのに・・」というように思い、見られている目線に気をとられてばかりいたものでした。

したがって、中学時代くらいまではTVなどでスポーツ選手が「応援よろしくお願いします!」と言っているのを見ると、「本当にそう思っているのだろうか?」と疑問視していたものでした。
試合を見に来る人が多くなればなるほど、応援の声が大きくなり選手のお腹に響くようになるはずですから、選手は通常のコンディションでのプレイが難しくなると思っていました。
実際に、高校野球の甲子園大会では、高校球児たちはそれまでの地区予選とは比較にならない観客の数、数万人の見ている中で全国の代表と試合をしなければならず、観客の声援が球場の中でこだまして突き刺さり、本来の実力の半分くらいしか力を発揮できない選手の方が多いと聞きます。

なので中学生の頃は、プロのスポーツ選手が「応援よろしく!」と言う理由は、本当はその応援がプレイの力づけになるからではなく、そもそもその試合をチケットを買って見に来てくれる人がいないとビジネスとして成立しないし、人気のある選手やチームがCMなどに起用されることによる経済効果がなければスポンサーもつかなくなってしまうため、「応援よろしく!」と言わざるを得ないのだろう、と勝手に思っていました。


しかし、そうではないことを体感する出来事がありました。
あれは新聞屋さんに住み込んで、新聞配達をしながら学生をしていた頃のことでした。
実は新聞屋さんにも、年に一度、地区対抗の運動会のようなものがあり(まさかそんなものがあるとは知りませんでした)、自分は「自転車遅乗りレース」に出場させられていました。
ちなみに自転車遅乗りレースとは、数十メートルの距離を足をつかずにいかに遅くゴールするかを競うレースです。バランス感覚と、自転車の乗り方のテクニックが問われる競技です。自分は当時、その新聞店の中では新聞の配達が速い方だったため、当然配達に使う自転車のテクニックも高いのだろうと店長が勝手に思い、指名されてしまったのでした。

そしてそのレースの予選が始まり、自分の番になったのですが、周囲には他の店の人たちが多数応援に来ており、自分の店の人は誰一人いませんでした。
もともとその地域に住んでいたわけでもないので周囲は知らない人ばかり、そのような中で自分に声がかかるとすればヤジばかりで、非常にさみしく、逃げ出したいような気持になっていました。

それでも予選自体は通過し、決勝に出場しました。
すると決勝には、うちの店の人たちがみんな応援に来てくれて、他の店に負けないような大きな声で応援してくれました。
その応援が本当にうれしく、ああ、自分はひとりではないのだという気持ちになり、よし、やってやるぞ!と思うことができました

結局優勝こそできなかったものの(さすがにその道のプロの集団だけあって、遅乗りの名人みたいな人がいて、その人が優勝しました)、メダルこそ逃したものの、確か入賞はできたと思います。
あの時確かに、応援が力になって自分にできる精一杯のことができたのだと思います。


ではなぜ、中学の部活の試合では応援をプレッシャーと感じ、新聞屋対抗の遅乗りレースでは力づけと感じることができたのでしょうか?

それは、一つには「自分が持てる力を出し切れる状態にあったかどうか」ではないかと思います。
中学生の時は、正直に言えば練習をサボってばかりいたので、自分で自覚している欠点に対して何の対策もないまま、いわゆる「恥ずかしいプレイ」しかできませんでした。
応援する方も、そういう選手に対して本気で応援する気にはならないでしょうし、そのことが自分でわかっていたので、恥ずかしくて応援に来てほしくなかったのです。
しかし新聞屋さんの時には、曲がりなりにも毎日休むことなく自転車で配達を繰り返し、自転車のテクニックには(名人には及ばないまでも)それなりに自信がありました。したがって、普段通りのテクニックを本番で出すことができれば少なくとも恥ずかしくはない形でレースを終えられる状況にあったと思います。

結局、毎日練習を繰り返し、自分で納得のできるプレイができるだけの状態を作っている(もしくは作ろうとしている)人は、試合を他人に見られて恥ずかしいとはあまり思わず、逆にそういう地道な努力の成果をたくさんの人に見てもらって、自分はがんばったのだという自覚につなげたいと思うものなのだと思います。

もう一つの、自分の中学時代と新聞屋さん時代の違いは、「ホームかアウェイか」ということだと思います。
中学の部活の時は、周囲には知っている人ばかりでしたから、たとえ自分の試合を直接応援しに来てくれる人がいなくても、孤独感を感じることはなく、普通に試合を続けることができたのだと思います。
しかし新聞屋さんのときには、そもそも地元ではない地区に住み込んで働いていたため、自分の店の人以外知らない人ばかりでした。したがって応援がない状態でレースをすると、非常に孤独で不安な気持ちになり、まさにアウェイの状態となっていたのだと思います。
心理学的にも、人間の5つ欲求のなかに「所属欲求」というものがあります。集団に所属していたいと望む気持ちが根本的に人間には備わっているというものですが、その所属欲求の観点からも、周囲に応援してくれる人がいる状態でのプレイが有益であると言えるかと思います。


そのように考えると、プロのスポーツ選手たちが胸を張って「応援に来てください!」と言うのは当然のことだと思います。
彼等・彼女等は日々練習を積み重ね、常に自分自身の設定した目標を目指して自分自身と戦い、そしてその戦いは基本的に孤独なものだと思いますから、確実に周囲の応援が力になっていくのだと思います。

スポーツに限らず、自分自身が何か目標に向かって地道な努力を続けて頑張っているときに、周囲に一人でもそれを応援してくれる人がいたら、それはとても大きな力になっていくのだと思います。