過去のことが輝いて見えてしまう特性を、未来に応用してみよう | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

「あの頃は良かった・・あの頃に戻って人生やり直したい・・」というようなことは、誰でも一度は思ったことがあるのではないかと思います。

自分もよくそういうことを思っていました。「学生時代は楽だった」とか「小さいころは何も難しいことを考えずにただ前だけ向いてやりたいことをやっていればよかった」とか、後ろ向きなことをよく考えていました。


しかし、冷静に考えていくと、過去のことというのは「総括して」「まとめて」考えてしまうものだと思います。
つまり、例えば本当は「学生時代」といっても実に様々なことが起こっていたはずで、苦しいことも楽しいことも、嫌なこともつまらないことも、たくさんの事が日々起こっていたのではないかと思いますが、長い時間が経ってしまうとその学生時代の一日一日の細かいことは印象に残っておらず、最終結果として「とにかく卒業した」とか「次の進路につながった」とか、そういう総合的な印象のみが残り、その総合的な印象が良ければものその人にとって学生時代は「すべてよかった」かのような印象として残っていくのではないかと思います。

「小さいころは楽だった」という考え方も、訂正が必要だと感じています。
今、自分は特に週末は1歳の息子と向き合って長い時間を過ごしていますが(カミさんに比べたらずっと短いのですが)、彼を見ていると幼年期の人生というのは非常に大変だと思います。
食事の時に、ただフォークでおかずをさして口へ運ぶ、というだけでも、彼にとってはとてもとても大変なことです。
おもちゃで遊ぶといっても、そのおもちゃがどう機能するのか理解するのは容易ではありません。それどころか、まだ「遊び」と「生きてゆくために必須の活動」との区別がついていないはずですから、おもちゃと向き合うのも必死のはずです。

結局、どんなことであっても、どんな期間であっても、楽しいことも苦しいことも、単調なことも複雑なことも、調子のいい時期も悪い時期も含まれているものだと思います。
しかしながら我々は時間が経つとその細かいことを省略して考えてしまいがちなため、振り返って考えると「あの頃は良かった」というように一括してまとめて考えてしまうのだと思います。


しかし、逆に考えると、今現在、大変なことや苦しいことがあったとしても、それはずっと先の未来から見たときには「良かった時期」の中の一部になっていく可能性があるともいえるのではないでしょうか。

例えば自分の場合、今は非常にプレッシャーのかかる仕事をしており、日々ヘロヘロになりながらまた重い体を引きずって朝から国際電話でカンファレンス・・といった調子なので、今この時をピンポイントで判断すると「苦しい」「疲れた」といった感情しか出てこないのですが、もっとずっと先、何十年も先に自分の視点を置いて、今のこの時期を見た場合、おそらく「○○会社の○○チームで勤務していた時代」という形で数年間がひとくくりになって思い出されると思います。きっと数十年後の自分は、今のこの時期を「充実していた時代」「確実に世の中に何か違いを作った時代」として、良い印象を持っているものと思います。

そう考えると、今のこの忙しくてプレッシャーのかかる仕事も、決して悪いものではないのかも知れません。


おそらく重要なことは、長期的なゴールを常に持って、今やっていることがひょっとしたらそれに直接はつながっていなかったとしても、自分自身をそのゴールに向けて進めていけるようにコントロールする意識を常に持つことではないかと思います。
今やっていることが、本当にその大きなゴールにつながるかどうかはそう簡単に(短絡的に)判断できるものでもないでしょうし、じっくりと色々なことを見極めながら、仮に多少寄り道になったとしてもそれは視野を広げるという意味では決して無駄ではないと考えて、最終的に「ああ、本当に良かった」と思えるものを残したいものです。