すみません。今ではすっかり自分から年賀状を出すことをしない人間になってしまいました(^_^;;
しかしそんな自分も、小学生・中学生だった頃は「クラスの男子全員と年賀状を出し合う」ことを目標にしていたのです。
当時の自分にとって、年賀状を交換するかどうかは、友人であるかどうかの指標になっていました。
つまり、年賀状をクラスの男子全員に出すということは、クラスの男子全員と友人である、ということの証明だと勝手に思っていたのです。
だから、年賀状が誰から来た、誰から来なかった、といったことで一喜一憂していたものでした。
今にして思えばなぜそんなことで一喜一憂する必要があったのだろう、とバカバカしく思います。そもそも年賀状を出すことが友人の証であるという定義は自分の中で勝手に決めたことであり、人によってはどんなに仲のいい人であっても年賀状を出さないと決めていた人もいたかも知れませんし、逆に対して仲のいい人でなくても機械的に出すことにしている人もいたかも知れないわけですから、自分で決めた定義の中で自分で勝手に右往左往していたと言えると思います。
その後、高校時代あたりから「クラスの男子全員に年賀状を出す」ことをやめました。
理由は、同じクラスに居てもまったく違う世界に住んでいるように感じる人が多くなったからでした。
もっとも、それは仲が悪いとか、口をきいたこともないとか、そういうことではなく、むしろ中学などの方がとっつきにくい感じの人は多かったのですが、高校ではある程度大人な感じの接し方になりつつ、打ち解けない人はまったく打ち解けないまま3年間が過ぎてしまったのでした。
※うちの高校では学科が細分化されていたため、同じクラスのメンバーで3年間同じクラスでした。
決定的に年賀状を出さなくなったのは、USに引っ越してからでした。
実際には国際郵便で はがきサイズの郵便物をやり取りすることはそれほどお金のかかることではないのですが、やはり正月という概念のないUSに住みながら年賀状を出す気分にならなくなってしまったことが大きかったような気がします。
それでも、年賀状をクラスの多くの人たちに出していてよかったと思えることがありました。
それは、中学3年生の、卒業直前の時の事でした。
自分はあまり同じ中学の人達が来ない高校を選んだので、ほぼ全クラスメイトと中学卒業と同時に離れることになっていました。
しかし、数名の友人から「高校は違っても、来年も年賀状を出すよ!」と言ってくれて、翌年一回だけではありましたが、彼らの中学卒業後の様子を年賀状を通して聞くことができたのでした。
あれからもう数十年が経ってしまいました。彼らが今頃どうしているのか、気になるところです。