先日、アメリカ本社からのゲストが来てくれました。
元同じ部署で働いていた、日本人の女性のプロジェクトマネージャーです。
彼女のバイタリティには会うたびに感心させられ、我々も大きなエネルギーをいただいてきました。
自分もかなり「自分がやりたいと思ったことは徹底的にやりこむタイプ」だと思っていましたが、彼女は遥かにその上を行く、ものすごい集中力と推進力を持っている人だと思います。
そんな彼女を交えて数人で飲み会をしたのですが、今回は「仕事のやりがい」について再度考えさせられました。
というのは、彼女のこれまでの仕事に対する情熱は、ただひたすら「この仕事が好きだから、この製品を作ることにかかわることが喜びだから」という気持ちで維持されてきたものであったそうで、お金はたまたまそれに付随してきたものに近かったそうです。
しかし今、部署の状況などが著しく変わり、本当に彼女が没頭できるような仕事ができているとは彼女自身も思っていないと言っていました。
なんだか、彼女らしくない、本来ならばもっと、好きで好きでしょうがないことに全身全霊でぶつかっている状態こそが彼女のコンフォートゾーン(最も居心地のいい空間)にいる状態だったはずなのに、という気がしたのでした。
思えば自分も、同じようなところが多分にありました。
こんなことを言ったらふざけるなと言われてしまうかも知れませんが、これまでの自分の仕事人生を振り返ってみて、自分がもっとも高い成果を出していた時というのは、それを仕事だと思ってやっていたわけではなかった時だったのです。
ただそれをやるのが楽しいから、好きだからやっている、という状態の時には最終的には必ずいい結果に繋がり、意図せずして仕事としての評価をいただくことも出来て、自分自身もそれをやりならいつの間にか新しい技術を身に着けて成長できていたりしました。
しかし本来、今の企業社会において「仕事」というのは「需要を満たすもの」であるかと思います。
人々がお金を出してでも欲しがるものを発売すること、人々がお金を出してでも受けたいサービスを提供すること、人々がお金を出してでも見たいものを見せること、・・結局それが「仕事をする」ということの大前提になるかと思います。
つまり、「自分がやりたいと思ったことを思いっきりやっていたら、幸いそれが仕事として認められた」という状態は、自分がやりたいと思ってやったことに対して それを必要とするような需要があった、お金を払ってでもそれを欲しがってくれる需要があった、という状態と言えるかと思います。
これは大変幸福な状態で、いわゆる「両想い」と同じ状態と言えると思います。自分が好きで好きでしょうがない人が、実は向こうも自分のことを思ってくれていた・・というような感じかも知れません。
ただ、仕事も恋愛もそうかもしれませんが、そんなにうまく両想いの状態が成立することは、どちらかというと稀なことではないでしょうか。
それでも、世の中には自分の仕事を特別好きでやっているわけではなく、生活のためだったり将来のためだったり、家族を養ったりするために割り切ってやっていても、何故か高い成果を出す人も少なくないと思います。
これは考えてみればすごいことで、やりたいことをやって成果がでるのはある意味必然、意識しなくても体中のすべての要素が成果を出すのに必要な最適な動作をするわけですが、好きでやっているわけではないのに成果を出せるということは、自分の意志で自分の集中力や行動力をコントロールできていると言えるかと思います。
そう考えると、この先長く企業社会の中で仕事人生を送ることを前提にするならば、大きく2つの生き方のうちのどちらかを選択する必要があるかと思います。
1つは、自分のやりたいことがそのまま自分に求められていることであるような職場を探して、そこで思いきり仕事(=やりたいこと)に没頭する、という生き方です。
そしてもう1つは、自分自身を制御する能力を磨いて、それが純粋に自分がやりたいことかどうかに関係なく、意識して高いパフォーマンスを出せるようになって、職種にあまり制限されることなくどこでも高い成果を出していく、という生き方です。
1の方が気分もいいでしょうし、のびやかな感じがしますが、現実に「やりたいことと需要が一致する職場で働くことができる」というシチュエーション自体、なかなか出会えない世の中に移行しているように思います。
2は世の中の変化に対して柔軟で、安定した収入や職場を維持することが比較的容易な生き方だと思いますが、自分の中の「魂」が本当に喜ぶ生き方なのか、疑問が残ります。
・・結局生涯こういう悩みは持ち続けることになるのでしょうね。