古い記憶に束縛されることから脱却しよう | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

古い記憶をたどっていくと、人間は大抵つらかったことや、嫌だったことの記憶にたどりつくと言われています。
これはおそらく脳の構造に起因するもので、自分にとって危険であるようなことに二度と合わないようにするために、嫌だったことを鮮明に覚えてそれと同じような状況から常に避けようとする性質があるのだと思います。

自分の場合、もっとも古い記憶をたどっていくと、おそらく1歳未満の時の記憶にたどりつきます。
もちろんまだ言葉もわからず、歩くこともできず、その時は赤ん坊専用の椅子に座って母に何かを食べさせてもらっていました。
しかし自分はもうお腹がいっぱいで、それ以上食べたくはありませんでした。
しかし、「もういらない」という情報を母に伝える手段を持っていなかったので、口を閉じて抵抗したり、言葉にならない声をあげて訴えようとしました。
それでも母はきっと、決められた量のごはんを与えなければならないと思って一生懸命食べさせてくれていたのだと思いますが、自分としてはとにかくもう食べたくなくて、必死でその意思を伝えたくても伝わらなくて、すごく苦しかった、という記憶です。
自分には恥ずかしながら偏食がありますが、ひょっとしたらその偏食はそのときの味から来ているのかも知れません。

もうひとつ、これはもっとずっと新しい記憶(といっても小学校2年生くらいだと思います)ですが、遠足で潮干狩りに行ったことがありました。
その時は最初のうちはさっぱり採れず、途中で靴を脱いで、さらに奥のほうまで行ったらやっと少し採れたのですが、帰るときになって戻ると、自分がどこで靴を脱いだのかわからなくなっていました。
しかしもうバスが出てしまうということで、靴を見つけられないままバスに乗りました。
バスで学校の前に着くころには、なぜか激しい雨が降ってきました。
自分はなぜか、靴はないのにソックスだけは持っていて、ソックスだけでバスから降り、ソックスだけで大雨の中を水浸しになりながら帰りました。
あの時のぐちゃぐちゃのソックスの感触は、今でも覚えています。
自分は必要以上に雨に対して抵抗があるのですが、おそらくその時の記憶が反射的に働いて「雨は嫌だ」という気持ちを呼び起こしているのだと思います。

このように、やはり自分の場合も、自己防衛のために本当に嫌だったことが古い記憶として残っています。

基本的にこのような「生きるために重要な情報は、深いところに刻み込んで忘れないようする」という機能は、すごく優秀な良くできた構造だと言えると思います。

しかし重要なことは、そういう「刻まれたつらい記憶」に束縛されることではなく、前へと進んでいくことだと思います。
もっといろいろなことを経験して、いろいろなことに挑戦して、自分の中の許容可能容量(?)を大きくしていくうちに、そのつらい記憶を相対的に小さなものとなるのではないかと思います。
新しいこと、前向きなこと、今まで知らなかった世界、そういったものに挑戦する姿勢を常に持っていれば、いずれそのつらい記憶が、ほぼ無視できるくらい小さなものとなり、それまでとは全く違った人生に変えていくことができるのかも知れません。