今日は、今年最初の大先輩とのランチの日でした。
今回も非常に興味深くてかつ意味のある会話ができました。
彼との会話は「脳」の構造を探求するところが切り口になることが多いのですが、これはつまるところ人間にとっての「あらゆること」を探求するに等しいことだと思います。
結局のところ、脳がどう感じるかが人間にとってのすべてであると言えると思うので、この会話には極めて意味があると思います。
さて、今日のテーマも多岐にわたりましたが、最も興味深かった話は「脳の中にある、何かを処理するための思考回路は自分の意志とは関係なく、常に作動している」という話です。
例えば、街を歩いていて看板に書かれていることが目に飛び込んできたとき、その内容について真剣に考えようなどと思わなくても、無意識の中で勝手にその看板の内容を解析しているということです。
「人間の脳の95%以上は実は使われていない」といった学説がありますが、実際にはその95%はきっちり働いており、ただ自分の「意識」が認識していて制御できる部分が5%程度だということだということが、最近の脳科学で言われています。
そしてその95%の中に、上記のような「無意識の中で自動的に働いている処理」を司る機能があるようです。
この「無意識の中で働いている機能」は人間の5感のそれぞれに独立して存在し、同時に機能しているそうです。
したがって人間というのは、極めて高度なマルチ処理システムのようであると言えると思います。
と、ここまでは良いのですが、問題は、我々人間は、自分の意識でその「無意識の中で働いている機能」をコントロールすることができない、ということです。
例えば人間の波長に合わない、いわゆる「不協和音」の連続のような音楽が聴覚を通じて入ってきたとします。
すると脳の中の95%の無意識下で働く機能のうちの聴覚関係を担当している部分が、その音を解析して「これは体に良くない音である」と判断し、その音から体を遠ざけるために、体に対して「ここにいると居心地が悪いぞ」と知らせようとします。そのために、体を気持ち悪くさせたり、不快感を体内に廻らせたりといった仕事をします。
そうして伝わってくる気持ち悪さや不快感は、我々の意思では基本的にコントロールできません。
ところでよく仏教の修行などで「雑念を捨てる」とか「無我の境地に入る」といったことを目指すと思いますが、こういった修業は、もしかしたら上記のような「無意識の中で勝手に働いてしまう機能」をコントロールして、機能させないようにすることができるようになることを目指しているのかも知れません。
修行僧の方で高いレベルまで行かれた方は、例えば不協和音を聞いても平然としていることができるでしょうし、その他一般人にとっては不快と感じるようなことが襲ってきても平静を保つことができるのだと思います。
おそらくそういった方々はまさに「無意識の中で勝手に働いてしまう脳の機能」を抑えることができる術を、修業によって体得されたのだと思います。
今、自分は立場上「仏門に入って修行僧になる」わけにはいきませんが、無意識の中で勝手に働いてしまう機能を制御できるようなトレーニングを何とかしてやってみたいとは思います。
それができれば、人生もかなり有意義なものにできるのではないでしょうか。最初に述べたように、結局「脳がどう感じるか」が人生を決める要因になるはずですから。