2週間余りの母の付き添い生活の中で、とても後悔していることが一つあります。
一度だけですが、母の体を乱雑に扱ってしまったことがありました。
このことは、いかに自分が器の小さい人間であるかを再認識させられる出来事でもありました。
ホスピスでの泊まり込み生活に入るに際して、自分は、母のためにできるあらゆることをしようと誓っていました。
たとえ夜中に何十回も起きる羽目になっても、たとえ母の体の移動を手伝いすぎて腰痛などになったとしても、少しでも母の役に立つのならなんでもしようと思っていました。
ところが、病院に泊まり込んでから10日くらい経ったときのことだったでしょうか。
母はすでに寝返りも自分ではできず、布団から足を出したりすることも困難になっていました。
そしてその夜は頻繁に要求があって、数分に一回くらいの間隔でやれ右に寝返りを打つ、やれお布団をまくる、やれ口を濯ぐ、というようにひっきりなしにヘルプを求める状態でした。
そのような状態が朝4時くらいまで続いて、とうとう自分の方が疲れてしまいました。
そして、寝返りを手伝う際に一度、手を抜いて、母の体をちょっと乱暴に動かそうとしてしまいました。すると母が痛そうに「ヒー!」というような声を出して意思表示をしました。(既にしゃべることはできなくなっていました)
これでは本末転倒です。何のための看病かわかりません。
本当に、悪いことをしました。
母は、24時間休むことなく体内で激しい戦いを繰り広げ、疲労困憊していたはずです。
我々は所詮、食事をしたり風呂に入ったりといった休みをとりながら母の看病をしているわけで、母の苦しみに比べたら比較にならない楽な状態にあったわけです。
にもかかわらず、自分の方が先に音を上げてしまったのでした。
人間は、極限状態に置かれて初めてその本質を出すものだと言われています。
今回のように、長時間の看病によって体力的にも精神的にも極限状態になっても、それでも本当に母のことを思って献身的な気持ちを維持できる人もいるのだと思います。そういう人は本当に美しい本質を持った方なのだと思います。
ところが自分は、その極限状態において自分を自我を優先してしまい、休みなく病気と闘い続ける母の体を乱雑に扱ってしまったのです。
自分がこんな調子だったから、余計に母の寿命を縮めてしまったのかもしれません。
本当に、申し訳なかったです。
しかし、このことを無駄にしないために、このことを大事な教訓として、自分の本質を変えていけるようにしたいと思います。