何年か前に、自分がこの先どう生きていいのかも見えない状態に陥っていた時、ほとんどワラにもすがる思いで滝に打たれる修行に参加しました。
その時、その滝修行道場のお坊さんが最初に話してくれたことが、今も忘れられません。
「最も大事なことは、みなさんが、この滝修行を受けようと決心したその時の気持ちを、いつまでも忘れないことです。
この先の人生きっと、色々なことがあると思います。心が荒んでしまいそうになることもあるでしょう。しかし、どんな時でも、この滝修行を受けようと決心した時の気持ちを思い出してみてください。きっと何かが開けるでしょう。」
このお坊さんが言いたかったのは、「何かを変えるために、何か行動を起こそう」と思うことの大切さだったのだと思います。
人間は、想定外の辛いことがあったりすると、激しい絶望感に襲われて、何もしたくなくなったり、積極的な行動を起こせなくなったりすることがあると思います。
しかし結局、その絶望感にいつまでもとらわれて、後ろ向きな気持ちのままで、何も変えようとしなかったら「この世の大原則」である引き寄せの法則によって、どんどん悪いことが引き寄せられ、ますます悪い状態になっていくのは間違いありません。
辛い時にこそ、絶望感に包まれている時にこそ、そんな悪い流れを断ち切っていい方向に流れを変えるために、何か新しい行動を起こしたり、違う所に目を向けたりするべきなのだと思います。
現代を生きる普通の人が、滝修行を受けることを決心し、実際にそれを申し込んで山奥に入る、というのはかなりの決意だと思います。(やった自分が言っていれば世話はありませんが)
そういう決意をしたときの気持ちを思い出すことで、自分の中の気の流れをいい方向に向けていくように努めなさいと、お坊さんは教えてくれたのだと思います。
もうひとつ、滝修行で学んだことがあります。
それは、何か行動する前には、その環境と そして自分の心を清めてから臨むことだ、ということです。
滝修行のはじまりは、実は道場の掃除をすることからでした。
そこだけ聞くと「坊さんにうまくはめられて、タダで掃除をさせられたんだ」と思われる方もいるかもしれませんが、この掃除はそういう単純なことではないと思います。
仏教の世界では、掃除という行為は修行の一環として行われています。
それは、掃除という行為には、自分の心の有り様が反映するからだそうです。
ヘラヘラした気持ちを持っている人の掃除した後を見ると、実に散漫です。
逆に真剣に何かに取り組もうという気持ちを持っている人の掃除した後は、隅々まで妥協なくよく磨かれているものです。
だから、掃除という修行を通して、その修行をしっかりやり遂げることで、同時に心の有り様を磨くのだそうです。
お坊さんの言葉を借りれば、自分の心を磨くつもりで、これから修行をする場所を磨くのです。
ここまででもすでに、滝修行を受けた価値は十分にあったと思ったのでした。
実際に滝に打たれる部分については、また後日書きたいと思います。