岸恵子横浜出身の映画女優と国際的文筆家の歩み | トレンドワードの解説

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生涯・背景

岸恵子は1932年8月11日、神奈川県横浜市で生まれました。神奈川県立横浜平沼高等学校を卒業し、身長は161cmです。幼少期は横浜で過ごし、後の芸能活動の基礎を築きました。

1951年に松竹に入社し、映画『我が家は楽し』で18歳でデビューしました。翌年は映画『坊ちゃん重役』に出演し、俳優としての経験を積みました。以後、映画界での活動が本格化しました。

1954年4月16日、岸恵子は久我美子・有馬稲子と共同で文芸プロダクションにんじんくらぶを設立しました。プロダクションは文芸活動の支援を目的として活動し、以後の映画・エッセイ活動の基盤となりました。設立以降、同プロダクションは複数の映画制作や出版事業に関与しました。

1953年から1954年にかけて、映画三部作『君の名は』でヒロイン真知子役を務め、真知子巻き(ストールの巻き方)が社会現象となりました。1955年には第2回東南アジア映画祭で映画『亡命記』が出品され、最優秀女優賞を受賞しました。1956年にロンドン(レスターシャー)で英語特訓を行い、同年パリへ移住してフランス語を習得しました。

1957年4月29日に日本を出国し、5月にフランスで映画監督兼医師のイヴ・シャンピと結婚し、結婚式の立会人は川端康成でした。1975年に離婚し、娘デルフィーヌ=麻衣子・シャンピの親権を取得しました。2000年にフランスを離れ横浜の実家に戻り、一人暮らしを開始しました。公式サイト「岸恵子 いまを生きる」およびInstagram(@umikaze.keiko)を運営していました。右手の指先に麻痺と骨折歴があり、執筆は手書きからパソコン入力へ切り替えており、運転免許は返納して外出はサポートを受けていました。

芸能活動・映画・演技・受賞・国際活動

1956年にフランス映画『忘れえぬ慕情』に出演しました。1960年に第11回ブルーリボン賞で映画『おとうと』の主演女優賞を受賞しました。1972年には映画『約束』で萩原健一と共演し、1977年の『悪魔の手毬唄』で第1回日本アカデミー賞主演女優賞にノミネートされました。

1978年の映画『女王蜂』では殺人犯役を演じました。1991年に第45回毎日映画コンクールで田中絹代賞を受賞しました。2002年に第25回日本アカデミー賞で映画『かあちゃん』の最優秀主演女優賞、2003年に第26回日本アカデミー賞で映画『たそがれ清兵衛』の優秀助演女優賞を受賞しました。2004年に旭日小綬章を受章しました。

1996年に国連人口基金(UNFPA)の親善大使に任命され、以降継続して活動しました。サルトル、ボーヴォワール、コクトーらと親交を持ち、日仏両国で国際派俳優として活動しました。2002年にフランス共和国芸術文化勲章オフィシエを、2011年に同勲章コマンドールを受章しました。

受賞年賞名作品・部門
1955年第2回東南アジア映画祭 最優秀女優賞『亡命記』
1960年第11回ブルーリボン賞 主演女優賞『おとうと』
1991年第45回毎日映画コンクール 田中絹代賞
2002年第25回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞『かあちゃん』
2003年第26回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞『たそがれ清兵衛』
2004年旭日小綬章
2002年フランス共和国芸術文化勲章 オフィシエ
2011年フランス共和国芸術文化勲章 コマンドール

文筆活動・晩年と遺産

1983年にエッセイ『巴里の空はあかね雲』で日本文芸大賞エッセイ賞を受賞し、1998年にエッセイ『ベラルーシの林檎』で日本エッセイストクラブ賞を受賞しました。2013年に小説『わりなき恋』を発表し、翌年に同原作の舞台に主演・脚本執筆として関わりました。2021年に自伝『卵を割らなければ、オムレツは食べられない』を出版し、2024年に新刊『91歳5か月 いま想うあの人 あのこと』を出版しました。

2014年のキネマ旬報「20世紀の映画スター・女優編」では日本女優8位、同年の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優7位に選出されました。運転免許は返納し、外出はサポートを受けて行っていました。2026年8月7日、横浜市自宅で老衰により死去し、享年93歳でした。死亡は同年8月19日に所属事務所(舞プロモーション)の公式サイトで発表され、葬儀は近親者のみで執り行われ、香典・供花は辞退されました。